皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は動き方について
お話をしたいと思います。
日頃から色々な感覚を基にして
過ごしていると思いますが、
自分の出来に溺れてはいませんか。
あれが出来たこれが出来た
こんな事に気付けた
あんな事に気付けた
色んな事に気が付けて気付けて
「やったぜ」「バッチリ」と
自分の事は褒め倒す事も結構な事ですが、
その「気付き」に寄与した存在に対して
ちゃんと「感謝」をしていますか。
ちゃんと「信じて」あげていますか。
その場に限った話で済ませていませんか。
パワースポットや神社などの限定的な場所や
何か素敵な景色を見た時だけ
特別な存在に声を掛けたりしていませんか。
そういう事をしているから
善い事が遠退いていくのですからね。
皆さんが大好きな龍神などを始めとした自然霊や
小さくて可愛い属性霊や愛嬌のある動物霊
特に何って訳ではないけど
手を差し伸べてくれるそこいらに居る普通のお化け
想いの力を使ってどうにかしてくれる
親しき人や名も無き能力者
どういった場面であっても
「存在」というのはそこに居るのです。
ふとした時であっても、
意図した時であってもです。
心震わせる事に出会ったり
素敵なものを見たり感じたり
何か救われる事があったり、
感じ取れることが起きたり
自分に都合良く解釈をするわりには
単なる偶然だと済ませていたりしませんか。
そこで「信じる」「信じ切る」
と、いう基本的な業をしていますか。
手を差し伸べてくれた存在の想いを
無碍にする様な真似をしていませんか。
ちゃんと
「ありがとう」という言葉を発していますか。
崇め奉るのではなく、フランクに気軽に
「そこに居る」ことを認識して信じて
感謝の気持ちを発していますか。
視える視えないではなくて
感じたのだからそこに気持ちを述べる。
救ってもらえたり喜べたり
気付いたのであれば気持ちを述べる。
当たり前の動きをしていますか。
忘れてはいませんか。
自分に都合よく
創り上げるのが
気付きではない
そこに居る存在と
想い遣り合うのが
気付きなんやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
人に対して心配や感謝をします。
当たり前の事過ぎて
普通に考えてみれば話題にする事自体が
おかしな話なのですが、
この当たり前の所作の中に
落とし穴があったりするものです。
ご自身が心配や感謝をする場合ではなくて
される立場となった際や
これらをしてる人を視た時の事で
少し考えてみましょう。
心配や感謝というのは、
言葉だけを取ると聞こえが非常に良いです。
それは同時に聞こえが良いので
無条件で自身を良く見せるために
「至極使い勝手が良い所作」
とも、言い換える事が出来ます。
実際に、貧乏神やその眷属たる貧乏神気質と
呼ばれる存在になればなるほど、
この所作を濫用してる事が多いです。
そして、
その所作には必ずと言える程に
「主語の抜け落ち」が
発生しています。
「誰の為」と、いう最も重要な点が
すっぽりと抜け落ちているのです。
しかし、心配や感謝の言葉は述べる。
どんな所作でも大切なのは、
「誰の何に対して述べる言葉なのか」
と、いう点です。
これらが抜けているという事は、
その存在にとっての主語
つまり、言葉や意識の方向は
全て「当人」という事になります。
考えてみて下さい。
貴方や貴方の周りが
何かしら大変な思いをしたりとか
一生懸命に頑張った経緯があって
それを形にしたからこそ
心配や感謝を受ける筈なのに、
その努力や苦労の全ても
自分の俗欲を満たす為だけに利用する。
哀しくなるほどまでに
利己的な思考回路なのが、
貧乏神と呼ばれる存在です。
そこに気が付けないのは、
貴方にとっても貴方の周りにとっても
負の効果でしかありません。
普段の生活の中で、
人の一挙手一投足に対して
「よく視てよく聴いてよく考える」
この動きが
如何に理に適う業(おこない)であるか。
日頃からこういった点で
想いを向ける事や思い遣りの有難さが
深々と身に沁みてくるのが
本来のスピリチュアルを実践する上での
特効ですからね。
機能するんやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は動き方について
お話をしたいと思います。
今日は彼岸入りです。
お彼岸と言えばお墓参りとか、
色々とありますが、
何をするにしても
ご先祖さんを相手にしたり、
ご自身の大切な存在を相手にしたり、
そういった事がメインの行事です。
ここではご先祖さんに対して、
的を絞ってみたいと思います。
既に亡くなっているから
ご先祖さんな訳ですが、
この方々に生きている自分達が
出来る事は果たして何なのか
これ、結構多く戴くご質問です。
言い回しは回答する人によって
色々とあると思うんですが、
あにきに言わせればですが、
結局のところ出来る事は2つで、
1,感謝
2,生きる事
どこまでいっても、この二つです。
感謝と言うと、
生前に山積していた想いとか
思い出とかに沿ったものを
浮かべてしまいますが、
そう難しく捉えるのではなく、
「産んでくれてありがとう」
が、主だった感謝です。
貴方が相手するご先祖さんが
親御さんでなくても
祖父母さんその上であろうが、
これは変わりません。
だって、産んでくれた訳ですし、
よく読んでほしいのですが、
「主語、付けて無いでしょ」
何に関しても、これが全てです。
そして、何よりも
「自分が生きる事」です
ここに尽きます。
苦しみも有れば悲しみもあるし、
愉しい事だけではないけれど
紡いでくれた霊体の絆であり、
たった一つの肉体なのですから
生きて還すしか
気持ちを物質化する方法はありません。
それに、貴方のその姿を
一緒に居る人達が視て
それをまた紡いでいく。
例えその存在が血族で無くてもです。
なので、この二つが
ご先祖さんに出来る事となるのです。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は、
補助霊との向き合い方について
お話をしたいと思います。
日頃から挨拶したり感謝したり
各々様々な形で補助霊さん達に
触れている事と思いますが、
大抵の方々は、
挨拶と感謝止まりですよね。
それがそもそもの間違いで
向き合い方としては
完全にやっちまっている状態です。
補助霊さん達が如何なる存在か?
そこを考えると過ちに気が付きます。
根本的に補助霊とは
補助つまりサポートをする存在です。
誰も「貴方を護る存在」とは、
言っていません。
では、
何をサポートしてくれてるのか?
貴方が人として間違わない様に
人らしく生きるために
現世でしか学べない事を
学ぶための最低限のサポート
これを一生懸命にやってくれているんです。
朝起きた時、夜寝る時に挨拶をする
良い事があった時に感謝する
何か抜け落ちてはいませんかね?
これだと、良い面ばかりなのですよ。
つまり、綺麗事って意味です。
先述した通り、補助霊さん達は
サポートしてくれているんです。
別に貴方を
「おーよしよしヾ(・ω・`)」
と、護っている訳ではないのです。
貴方に必要ならば痛い思いも
ちゃんとさせます。
怪我をさせる事もあれば、
人と別れさせる事もあるし、
苦しめたり哀しめたり
特大級の大失敗をさせる事もある
皆さん的には「嫌だなぁ」と
思われる事だって
それが最善と判断すれば
必要だとするならば
しっかりとやってのけます。
そんな存在が補助霊さん達なんです。
では、聞きますが、
嫌な事があったりした時に補助霊さん達へ
「自分が悪かったです」
とか
「気付かせてくれてありがとう」
とかって言ってますか?
言ってないですよね。
「何で私が...」
「どうして私だけ…」
「ひどい...」「辛い...」「悲しい...」
って、事は心で思っているでしょ。
そういうのを自分本位思考というのです。
どんな時でも補助霊さん達は
貴方の最善を考えてサポートしてくれます。
ですが、
「貴方の最善」=「貴方に好都合なこと」
ではないのですよ。
良い時だけの感謝など、所詮は綺麗事。
駄目な時の反省や謝罪、その上での感謝。
そういう部分も鑑みないといけません。
そして、
補助霊さん達を愛しい存在
家族の様な存在、パートナーとしての存在
そういう目線にならないといけません。
間違っても崇め奉る存在ではないのです。
貴方とは、もっともっとフランクな間柄。
それが補助霊さん達ですからね。
貴方自身が補助霊を
務めてると思えば分かりますよ。
ありきたりな感謝よりも
日頃の会話や過ちの反省や
前向きな姿勢からくる言葉の方が嬉しいでしょ。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回はお客さんより
お声を戴きましたのでご紹介します。
あにきさん、
インスタ、ブログ記事を
いつもありがとうございます。
『悪口陰口を失くす?』
が、分かりやすく
とても為になりました。
ありがとうございます。
色々と考えながら読みましたが、
ふと気が付いたのですが、
あにきさんのレクチャーと
セッションを受ける度に
家族、仕事場の人間関係が、
スムーズになってきていて
空回り、ミス、トラブル、誤解、
落ち込み、等が最近は、
ほとんどありません。
有り難いです。
陰口、悪口を言うより
相手に直接、
『今度このようにして下さいね』と
伝える方が多くなって来ました。
前は、本人に言えず陰で言ってました
(反省...)
だいぶかわりました。
ミスをしても本当に謝れるようになりました。
生きる事に、気持ちが楽になってきました。
これからも日々反省し、
物事をよく考えて陰徳を積んで
幸せを沢山見つけて
正しい生き方をしていきたいと思います。
ありがとうございます。
以上、函南町Tさんからのご感想でした。
皆さんこんばんは、あにきです^^
加護と庇護とお話をしたので、
今回は自然霊です。
自然霊という存在は
そこかしこに居まして、
あにきに言わせると、
亡くなった人
(以下、「霊」と言います)
に遭うよりも数は多いですし、
実際に存在数も多いです。
但し、場所によってかなりの
バラつきがあるのも事実です。
例えば、都会と田舎ですと、
自然霊の遭遇数は圧倒的に
田舎の方が多いです。
だって、人が少ないし、
自然が多いですもの。
自然霊と霊の数が概ね均衡してると
思うのは海上ですね。
実数はどちらも少ない感じですが、
バランスが取れてると思います。
まぁ、場所にもよるんでしょうけどね。
自然霊というのは、
霊よりも姿を確認しやすい存在
の筈なのですが、
その存在が故にシカトしてしまう事が
多いのも事実です。
何が言いたいのかと言うと、
意識をしていないと絶対に視れないし
分からないという事ですね。
何気ない景色や風景、
自然の状態や環境。
毎日同じ景色を見ていても
いつもと100%同じなんて事は
絶対に有得ないのに、
同じだと認識している内は
絶対に視れない存在です。
おまけに気付こうとすればするほど
視る事が難しくなる。
意識レベルを常に高める感じでないと
まず気付けない。
そういう存在が自然霊なのです。
その中で最も分かりやすいのが空で、
これは都会も田舎も関係なしに
見る事が出来ますよね?
光と青空、雲とその形、雨の降る前
降雨時、降り方、風の流れ、向き、
温度、湿度、匂い、質感...
どれもが毎日同じなんて事は
ないでしょ?
この少しの違いをどれだけ分かるか?
どれだけ目にしたり嗅いだりして
判別が効く様になれるか?
ここが自然霊に気付ける様になる
最も分かりやすいポイントなのですね。
けれども、決して簡単ではないですよ。
分かりやすいとは言いましたけど、
簡単だとは言っていません。
どうしてか?
必ず邪魔が入るからです。
自我や俗欲という邪魔が。
それを自分なりに
どれだけ打破させる事ができるか?
そこで初めて気付ける様になる。
最初は年に1~2度程度だと思いますが、
それが増える様になれば、
毎日何度も気付ける様になるものです。
道のりは長いですけどね。
皆さんこんばんは、あにきです^^
今回は、みんな大好き貧乏神ネタです。
最近、と言っても昔から思っている事ですが、
『ありがとう!』を
素直に言えない人っていません?
人に何かをやってもらったり、
助けてもらったり、
まぁ何でもですけど感謝の意を伝えるのに、
ありがとうって気軽に使うじゃないですか?
それをどういう訳か全然言えない人がいます。
同時にそれは、
謝ることができない人を指します。
こういう人って決まって一言多かったり、
自己肯定つまり言い訳ですね。
を、し続けたりします。
そのくせ、自分は褒められたい。
認めてほしいとか。
願望よりも欲望が強い人が多いです。
もし、近くにそういう人が居たら
よく観察をしてほしいんですが、
一人で居る時ふいに何か変な顔
(睨んだり、蔑んだり)してたり、
やたらと自分に関する情報を知りたがったり、
身の回りの片付けが出来ていなかったりしています。
そして何よりも、お金の話が大好きです。
でも、支払いは嫌いです。男気が無い。
【 人から貰う一万円は 端た金
人に渡す千円は 超大金 】
こういう感じの考え方ですね、具体的に言うと。
近くにいたら要注意です。
近付かないのが無難です。
皆さんこんばんは、あにきです^^
今回は久しぶりの言霊シリーズです。
スピリチュアル思考や霊的な思考が
昔と比べると一般的というか、
柔らかくなったというか、
まぁ、いい感じ?になった時代だと
言われていますが、
僕としては、
逆じゃないのかな?(゜゜)?
って、思っています。
昔の方がもっと直接的だったし、
方向がブレていなかったと思うんですよね。
昔は堂々と御先祖様や神様仏様、
自然霊さんや地域の神様とかに対して
声を出して感謝していたと思いますもん。
それがいつしか、御先祖様ってワードを
口にするだけでも、変な目で視られる様に
なってしまった。
それと比べたら良くなったとは思いますが、
でも、違和感は禁じ得ません。
とまぁ、堅めの前置きはこのくらいにして、
今回は運気UPのためのヒントを少し
お話してみますね^^
最近、「感謝」という言葉を使う人が
増えてると思います。
口頭で使うよりも、どっちかというと、
SNSとかで文字にして使うってやつです。
まぁ、口頭で「感謝」とは言わないもんね。
「ありがとう!」とかじゃん?使うとしたら。
んでさ、この「感謝」を使う時に、
ちゃんと相手先を書いてますか?
例えば、よくあるきれいな風景画像とともに、
「日々、感謝です^^」と書いてあったとして、
これって、誰に対してなの?
って話です。
とても些細なことなんだけども、
この些細な部分がとても重要になってくるのが、
本当の意味でのスピリチュアルなのね。
言葉を文字に起こすって事は、
言葉を口にしているのと同じ行為にあたるから、
言霊も当然に生まれてくる。
相手が人の場合であれば堂々と書いても、
相手が視えない存在の場合は、
色々と危惧して書かないのかな?って思います。
でも、「感謝」という言葉を使うのであれば
そこは勇気を持って書いてほしいところ。
あなたが霊的な存在を信じているのであれば、
あなたなりの考え方で書けばいいし、
もし、突っ込みを危惧しているのであれば、
そんな心配はしなくても良いと思うのね。
例えば、
いい景色が撮れて、その時にご自分が
何となく(これは御先祖様のおかげだなぁ…)
って、思ったら「御先祖様ぁ!感謝☆」とか、
意思を伝える先を指定してあげればいい。
言霊の力は絶大だから、必ず想いは届くし、
一つ一つが小さいけれど、積み重ねていくことで
その力が増していくのね。
その代わり、方向性が曖昧になってしまうと、
力が増すどころか、
いい言葉なのに使えば使うほど
マイナスに働いてしまうという怖い側面もある。
伝える先を指定しないが故に、
言葉(言霊)が八方美人化してしまって、
嫉妬や妬みを生み出してしまうのと、
最悪なのはいつの間にか、
「書いて(言って)おけばいい…」
と言った、機械的で作業的なものとなってしまう。
これはよくある落とし穴で、
段々と自分中心な思考になっていって
しまうんですね(この蝕みは怖いですよ)。
どんな時でも相手をしっかりとイメージして
言葉を遣う。
これが言霊の基本です。
その相手が恋人だろうが友達だろうが、
家族だろうが、子供だろうが、
御先祖様だろうが、自然霊さんだろうが、
守護霊さんだろうが、補助霊さん達だろうがです。
たった、これだけの事で運気は上下します。
(毎日の事ですからね継続は力なのですよ☆)
慣れてくれば、例えそこで一人ぼっちだろうが、
誰か居ようが、
声を出して感謝出来るようになります。
こうなってくると、その差がよく分かります。
(頷いている人の顔が何人か目に浮かぶわぁw)
という訳で、気になった方は
ちょっとチャレンジしてみては如何でしょうか^^