2025年4月7日月曜日

声を拾う(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




かねてより話しておりますが、

「霊的な存在が視える」
「霊的な存在の声が聴こえる」を

自負されている方は結構居ます。
その方々の多くがネガティブ専門です。

寂しそうにしているとか
悔しそうにしているとか
辛そうにしているとか
怒っているとか

その手の存在の代弁ばかりで
違和感を禁じ得ません。

亡くなった方々は

そこまで辛い人ばかりではないし
言うほど悲しんでもいないし、
キレ散らかしている奴は少ないし

寧ろ、愉しんでいる方が多いですよ。

勿論、亡くなり方や状況によって
その差は多々ありますが、
それでも圧倒的に多いのは
ポジティブな方々ですね。

にも関わらず、ネガティブな声を拾って
そればかりを伝えるのは

ある種の決め付けと思い込みが
起因となっている結果かと考えます。




自身の思考回路や幽体の流れが
「念基軸」である場合、
その基軸に沿った存在が集まったり

その存在の声だけを自然とソートしてしまう
と、いう事は相当数あります。

「霊=悪」「死=悲」と、
断じてしまっているが故に
善い面を積極的に拾えないという事です。

これが「思考的視野狭窄」になります。

死後の世界や向こうの世界、
狭間の世界を語ったり、
ましてや亡くなった方々を語る際、

思考的視野狭窄に陥るのは危険で
遺された方々に対して絶望のみを
植え付けたり与えてしまう可能性が
高いからです。

向こうの世界には
浄土もあれば地獄もあります。
狭間の世界に至っては
ある意味フラットな領域です。

生きている者が死者の声を代弁する時、
生者の感覚で推し測るのは言語道断です。

大切になるのは、
現世から一歩踏み出た先の世界を
しっかりと理解した上で、

「その世界の住人の感覚で代弁をする事」
「自身の感情を決して入れない事」

これが守れない内は
代弁などはやらない方が身の為です。
あまり良い結果とはなりませんからね。

思い遣りに
欠けたら
どうなるのかを
考えてみるんや