2024年12月23日月曜日

怠惰という罠(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




人は様々な理由で
楽をしようとする存在です。

少なくとも、現世にいる我々は
例に漏れる事無く
どこまでも楽を追い求めます。

それは、肉体を纏った事で
俗欲を得た代償というものなのですが、
楽を求める事そのものは
決して悪ではありません。

これを「追求」と呼びます。

寧ろ、我々にとっては
かなりのプラスの事柄となります。
追求というのは、知恵を付けます。
技術も発展していきます。

俗欲をスターターとして、
生きる上での便利ツールを創り出すにも
追求は絶対に必要です。

但し、
追求の果てで楽という欲に溺れてしまい
思考を停止させ、
行動を起こさなくなるのは問題です。

これを「怠惰」と呼びます。




怠惰は、
楽と便利と思考停止が組み合わさると
誰でも陥る罠みたいなものです。

「動けるのに行動を起こさない」
「考えれば分かるのに考えずに終える」
「考えそのものを他へ依存する」

こうなってしまうと、
自分の意思というのは形骸化され
目には写るけども
そこには視えぬ誰かしらの存在に、

飼い慣らされ飼い殺されるままの
畜生と言い切れる状態となります。

アイデンティティーなど
無くなってしまうという意味です。

この状態から抜け出すのは
容易な物ではありません。

抜け出す方法はありますが、
その行程に自身が追い付かないとか

「怠惰の依存や誘惑」から

意識を外すのが非常に苦しみを
伴うものだからです。




怠惰という罠に溺れてしまった意識は
世間という広大な快楽のマトリクスに
リンクしている訳ですから、
それを引き離す。

つまり、
「多から個」へと改めて移行させる。

けれど、
ここでは自身の意思
とりわけ「取り戻したい」という
強固な意識が必要になってきます。

例えるなら、

強烈な渦潮の中を漂流している人が
自らその渦より出ようとする力と
その渦から引き揚げようとする人の力が
合致しないと抜け出せない。

と、いった感じなのです。

普段より思い遣りを軽視して
怠惰に溺れて自分本位で動く事が
如何に後々に響いてくるか、

そして、
その鳴韻は自身のみならず
自身の周りにも波及します。

動けるのに動かずに怠惰へ堕ちるのは
想像している以上に
由々しい結末を齎しますからね。

適度さを忘れたら
誰でも堕ちるのが
怠惰の罠なんやで