2024年1月14日日曜日

良い事と善き業(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は、幸せ効果の最大化について
お話をしたいと思います。





皆さん日頃より小さい幸せを見付けたり
それとは限らずとも

「ラッキー!」とか、「善き!」とかを

得ていると思います。

幸せのサイクル、つまり回向ですが、
これは思った以上に分かり易く起きて
想像以上に目に見える形で表れます。

自分の引き起こした善き業(おこない)から
巡り巡って自分に戻ってくるのが
回向というものですが、

これは決して同じものが
巡ってくるという意味ではないです。
寧ろ、同じもの同じ事象なんて
返ってなんかきません。

形を変えてその時その場の
自分に於いての「善き」で
ふわっと返ってくる感じです。





このサイクルの中で
善き業を良い事と解釈していると
回向を最大限に発揮する事は出来ません。

善き業とは、日頃の業からくるもので、
それの最たるものが「小さい幸せ」です。

良い事というのは、小さい幸せと違い
いわゆる一日一善的な行動になりますが、
これを中心に意識していると、
思わぬものに足元を掬われます。

何かといいますと、
「小さい悪意」です。

良い事と小さい幸せの最大の違いは、
その意識の方向にあります。

小さい幸せはあくまでも
自分だけに価値のある善きな事象。
意識の方向は内側から外側を向きます。

良い事とは基本的に
自分以外の周りの価値に合わせる
良い行動となります。
意識の方向は外側にだけ向いてます。





意識の方向が外側にだけ向いていると
自分を褒めたり他を慈しんだりするよりも

「他より褒められたい」という
承認欲求が強くなってきてしまいます。

陰徳に尽きないといけない業が
陽徳へと極振りしてしまって、
徳どころか欲に溺れてしまうんですね。

これを続けていくと、

「このくらいなら良いだろう...」
「私の仕事ではないし...」
「何で私がやらないといけない?...」
「汚れるのは嫌だな...」

という様な、囁きが
心の中で大きくなっていきます。





以前にこんな事がありました。

家の周りのゴミ拾いが日課だという
知人がおりまして、

ある日、コンビニのコーヒーコーナーで
顔を合わせた際に、
自分が落としたガムシロは拾っても
他のゴミは拾いませんでした。

「拾えば良いのにw」
と、冗談気味に聞いたところ、
返ってきた答えは
「だって、手が汚れるからね」でした。

これが「小さい悪意」です。

勘違いしないでほしいのですが、
陰徳も陽徳もどちらも悪い事ではないです。

また、承認欲求そのものも悪ではないです。

ただ、陽徳は意識が外に向きすぎているので
承認欲求が渇き過ぎてしまって、
この様に反作用的な隙が
生じやすくなりがちなのです。





小さい幸せの場合は、本当に小さくて
自分だけの価値ですから、
承認欲求も自身で収める事が出来ます。

先述した「小さい悪意」の発生率も
自己完結型なので、ほぼゼロに近いです。

ですから、事象を最大限に活かせるので
幸せのサイクルの効果も最大となります。

よって、
「効果が想像以上に早く出現する」
という事なのですね。

良い事を中心に据えて行動していても
当然に効果は出てきますが、

「小さい悪意」の発生率は高くなるので
事象を最大限に活かせずに
幸せのサイクルの効果も目減りしますし、
下手をすれば、
マイナスとなる場合すらあります。

早い話が、良い事をしているにも関わらず
「小さい悪意」の誘惑に負けてしまうと、
せっかく頑張った良い事が帳消しとなる。
という事です。

それでは元も子もないですよね?

なので、地味な業ですし
理解をするにはセンスが必要となりますが、
あにきとしては
「小さい幸せ」を見付ける努力を
推奨しているんですね。