今回は考え方について
お話をしたいと思います。
人は自身が痛みを知らないと
それが如何に大変なのかを
他者と共感する事が出来ません。
身体的な痛み然り、
心の痛み然りです。
また、個々人で
痛みに対する耐性も異なります。
ほんの少しのチクッとする注射を
この世の終わりと言わんばかりの
痛みと形容する人も居れば、
10針を無麻酔で縫合する様な
人も居たりします。
心の痛みについても同様ですね。
特に心の痛みに関しては、
本当の痛みを経験して知っていないと
まず共感する事が難しいです。
痛みを知る者からすると
共感を得たいと考えますが、
実際のところそれはナンセンスです。
知らないものを体験は出来ませんし、
体験談を通じて話を見聞きしたとしても
他人事には変わりないので、
「そういうものなのか...」
と、いう程度で終わります。
また、非現実の話題を出して
疑似的な体験をさせようとしても、
これもやはり他人事ですし
一過性の物となりますので、
共感までには至りません。
つまり、
経験者が分かってもらおう
分からそうとしても、
相手にその受け皿的経験が
存在しなければ、
それは決して叶う事が無いのです。
それであるならば、
理解を得ようと感情論に
任せるのではなく
「意思を伝える」
と、いう点に特化させる事の方が
明らかに効果は出ます。
体験を理解させるのではなく、
知識として記憶させるのです。
その為には、感情論ではなく
冷静な理論が必要となります。
それには、
非現実的なフィクションや
ファンタジーなどではなく
圧倒的に現実的な話の方が有効です。
状況にオブラートを被せずに
そのままを伝える勇気も必要です。
それほどまでに人は、
他者の痛みに関する事に対しては
無知蒙昧を晒している生き物です。
あくまでも現実の中で
現実的な話を伝える。
日々の生活の中で、
ファンタジーに逃避しても
何一つ改善されないですよね。
本来のスピリチュアルというのは、
現実の中でこそ
活かされるものです。
実戦型スピリチュアルであり
攻撃型スピリチュアルというものだと
忘れない様にしなければなりません。
非現実に逃げても
何一つスピ的には
成就出来ないんやで



