2024年5月21日火曜日

使うということ(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は教わった後のことについて
お話をしたいと思います。





この仕事をしていますと、
皆さんへ日頃より様々なアドバイスや
知識の提供をさせて頂いておりますが、

結局のところ、

何かを教わったその後の動き...
行動が伴っていなくて
二の足を踏んでしまっている。

というのを多々見掛けています。

せっかくポイントを教えてもらったのに
体の良い言い訳をして使わない。

それなのに、
善くならないと思い悩む。

大概の場合、ここでの言い訳は
ご自身の覚悟が決まらないのを
人のせいにしてみたり、

単に「自身から行動に移せない」
といったパターンが殆どです。
要は、「甘え」ですね。





どんな事でもそうですが、
知り得た知識や情報というのは、
使ってなんぼなのですね。

普通にしていて使う機会が無いのなら
使う機会を作れば良いし、
その努力をすれば良いだけです。

そういう手間暇を面倒臭がって
何もせずに背中だけ押してもらおうなど...

そんな都合の良い事をする人が
この世に居ると思いますか?

もし、居るとするならば、
それは余程お花畑思考の人か
何にしても貧乏神の類のみです。

そもそも、
貴方はそれを他人様にしますか?
絶対にしない筈です。

なにせ、自分の事ですら
面倒臭がってるのですからね。

そういう糞味噌な思考を
棄て去る事が出来なければ
何を聞いても
何を教わっても無駄骨です。





自ら時間とお金を掛けて
剰え頭まで下げて聞きに来た話を
その場で棄て去る愚行。

聞くだけで分かった"つもり”になって、
使うことすらせずに
出来ない善くならないと言い張る愚かさ。

それは、差し詰め
家でケツを搔きながら下らねぇ番組を見てたり、
現金をドブに捨ててるのと同じ行為です。

時間もお金も無駄にしている
という意味ですね。

何をするにしても、
得たものは即使ってなんぼです。
そして、
それを維持してなんぼです。

そんな基本的な所作も行えないで
自分は出来ているなどと、
口にするにも烏滸がましい限りなのですよ。

そんな人の言う事に対して
周りが耳を貸す訳ないですし、
誰一人として相手になんぞしてくれません。

聴こえの良い部分だけを切り取って
良いとこ取りを企む癖があるから
日頃の買い物だって下手くそでしょう。

安さに目が眩んで変なサイトで購入したり
安物買いの銭失いが多いのだろうと
容易に想像する事が出来ます。

強いて言うなら、
ご自分の同貉だけが頷いてくれるでしょうね。





散々こき下ろしましたが、
そうなってしまわない様にする為に
得たモノは勇気を以って使うんです。

それをその身に沁み込ませるんですよ。

善くなれる人と
いつまでも善くなれない人の
最大の差は、
この「使う」という点なのです。

使うという事を普段からしないから、
いざ使おうにも動けない。

手取り足取り使い方を教わっても
自分への甘え癖が抜けなくて
今度は勇気が出なくて使えない。

その挙げ句、思考そのものを放棄して
ただの道化に成り下がる。
そこには感情も感動も優しさも想いも
何一つ無いですから、

自分と他人の恨みや念を積み重ねていき
貧乏神へと堕ちていく。

「使う」という業を無碍にしただけで
あっという間に悪化します。

言い換えれば、
「使う」だけで少なくとも
善い方向へ歩みを進める事はできる!

という事でもあります。

勿論、使ったからこそ出てくる
新たな課題や障壁はあります。

けれど、それは使ったから知れるのです。

勘違いされると嫌なので
敢えて言いますが、

あにきが教えたのに使わない事を
嘆いているのではなくて、

「何事に於いても
使わずに無駄骨とする事が
本当に愚かしい...」

というのを嘆いているのです。

さて、
あなたはどういう選択をしますか?