2025年8月7日木曜日

想いとは(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




「想い」というのが善いことで
「念」というのが悪いこと

とてもシンプルな解釈ですが、
皆さんこの様な感じで覚えている筈です。

何も間違っていないですし、
全然それで結構なのですけども
ただ、人はこれが故に

善きことだけを意識しようとして
悪しきことを意図的に意識から
遠ざけようとします。

問題はここです。

物事というのは、
どちらか一方へと偏ってしまうと
碌でもない事しか起きません。

とは言え、
勘違いしないでほしいのですが
何も悪しきことを推奨も助長もしていません。

思い出してほしいのですが、
現世の様々な物事というのは
相互関係で成り立っています。

それは自身に於ける想念でも
同じだと教えましたね。

「想い」の対局には「念」が必ず存在する。

この自身の中の念を認知して
確実に理解する事が、
想いの本領発揮へと繋がります。




善い事が起きてほしいからと言って
「想い」ばかりを注視する様にしていても

それは良いとこ取りですから、

「想い」ではなく
「俗欲の塊」に過ぎませんよと

以前にも記載しました。

また、
自身の汚い面や汚い動きを認めもしないで

「これは誰ダレのため」
「これは何々のため」

と、己の動きを正当化させる為に
想いという「言葉」だけを盾にしたりする。

想いは貴方にとっての
都合の良い言い訳ではないのです。

真に想いを発揮するには
念の存在を常に認めないといけない。

自身の中の念の存在を認めるからこそ
想いの尊さが理解出来るし
相手への敬いや己よりも優先させるなど

想い基軸とした業を初めて実行出来るのです。

貴方が決して悪人ではないのに
これまで嫌な事が続いていたり
今一つパッとしなかったのは、

ここの理解が為されずに
最終的には「自分」を取っていたからです。




色んな物事を学習しても
人に縷々様々な事の教えを請うても、

自分に都合が悪くなったり
自分の嫌いな事や苦手な事へと至ると
言い訳としての「想い」を利用して

それまで貴方に教えてきた数々の人の
「想い」を自身の歪な「似非想い」で
いとも簡単に塗り替えてしまう。

つまり、自分優位な思考回路に陥る。

それは想いでも何でもなく
非常に強い俗欲であり、高濃度の念です。

貴方が想像している以上に
扱いに苦痛を伴うのが「想い」です。
辛さを伴うのが「想い」です。

苦痛を緩和したり、
辛さを消すのが「想い」だと考えているから
いつまでも己の中の念を
理解してあげられないのですよ。

強烈で効き目抜群な痛み止めは
想いではなく
楽を優先させる「俗欲であり念」なのです。

だから、使い方を間違えると
あっという間に依存をしてしまう。

そんな危うい代物には
目を見張っておくのが普通です。

これとは違い
「痛みや辛さ」を引き換えにするもの。
つまり、
「努力や鍛錬」を糧として
その後の善き事へと導くものが

「想い」というものですからね。

だから俗欲塗れの
人の方が
現実を直視せんと
無駄に綺麗事や
詭弁を述べたり
しまくるんやで