2025年1月25日土曜日

普段の中に(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




スピリチュアルが好きだと
標榜している人に多い思考が

「特別の検索」です。

どこかにつけて、何かにつけて
自分だけの「特別」を
追い求める思考です。

殊更その特別というのは、
利己的なものである事を占めます。

早い話が俗欲ですね。
分かり易い事で言うと、

「良い事が起きてほしい」とか
「金運を上げたい」とか。

その思惑にかこつけて、
「奇跡や神秘」といったものを
大袈裟に追い求める思考ですね。




本来のスピリチュアルで
云うところの「奇跡や神秘」は
俗欲とは反する場に生じます。

つまり、特別の検索をしたところで
奇跡も神秘も手に入らないですし、
目の当たりにする事も無い。
という事になります。

俗欲を基軸とした視線での特別など、
所詮は同一価値を共有する者でしか
感受する事の出来ない特別です。

それは万物という概念の中では
余りにも矮小過ぎる価値観に過ぎません。

「俗欲中心となると視野狭窄に陥る」
という形容は、
ここから得ている概念なのですね。

元来、礎となる要素は
「万物」に他なりません。




では、その万物とは
一体どこに存するのかを
考えてみましょう。

言うも得も無く、
万物の在りし場所とは何の事は無い
皆さんの周りを指し示します。

要するに、
皆さんの送っている日常や
普段の生活の中そのものが、

「万物の苗床」であり
「万物そのもの」である

と、言えるのですね。

皆さんが目を凝らして、
感覚を研ぎ澄ませて得ようとする
神秘や奇跡というのは、

実は既に身の回りで常態化している。
けれども、
それ自体に気が付けない程に
エゴや俗欲などの「多の価値」によって

「視界を混濁されてしまっているだけ」

に過ぎないものなのです。
その混濁を取り払うものが
思い遣りなのですよ。

利己的思考は
総ての感覚を
濁して穢して
つまらない
結果になるやで