今回は考え方について
お話をしたいと思います。
世の中には「簡単」という言葉が
溢れ返っていますが、
この簡単というのは
なかなかどうして難しいです。
簡単に教えてもらう事は
教える側の技量ですので、
教わる側が考える事ではないです。
しかし、
ずっと簡単に教えてもらうというのは、
些か話が異なってきます。
簡単が過ぎてしまうと、
「思考する」というのを
端折ってしまう事に繋がってきます。
時間と経験が積み重なってきた時に、
その「思考する」事を削りますと
身に付かない様になってきます。
初歩の歩の場合のみ
簡単に教えられるのですが、
経験を積む事によって
内容に深みが増していきますから
所謂「簡単」という訳には
いかなくなるのが世の常です。
内容を踏襲した上での
「簡単に教える」は可能です。
ですが、そこにはそれまでに
培ってきた知識や経験を活かして
教わる側が憶えていないと、
ほぼほぼ付いてくる事は不可能です。
それをも度外視して
総てを簡単に誰でも分かる様に
教えるというのは、
確実に誤った情報を掴ませてしまう
という事に繋がります。
なので、段階を踏んで
難易度を上げていかないと
成長を促進する事は出来ないのですね。
簡単ではないからと言って、
考えるのを止めてしまったり。
難しいからと言って
教わる側が努力を放棄して
簡単にしてくれと懇願するのは、
どう考えてもナンセンスです。
成長進化をしたいのであれば
如何に「脱簡単」をするかです。
そして、同じ簡単でも
「簡単に考える」
と、いう方向の思考回路へと
繋げる事が出来るかが鍵となります。
ここでの簡単というのは、
「柔軟に」という意味の形容です。
基礎知識と慣れてきた情報があり、
それを実際に使う事によって
身に沁み込ませて憶えていく。
その後、
段階を確実に上げていく中で
柔軟性を獲得していく。
同時に考える時間も増加していきます。
本来のスピリチュアルというのは、
皆さんが思っている以上に深いですし
想像以上に難しいものです。
けれども、
確実に理解する事が出来る様になる。
そういったモノでもあります。
何故ならば、
皆さんが単に忘れているだけで
誰しもが通ってきている「道」の中の
話なのですからね。
難しくなるだけや
柔軟に
考えられる様に
努力あるのみやで

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