今回は動き方について
お話をしたいと思います。
不思議なもので、
人は幸せだとその実感を
得ようとしません。
逆に、不幸であると認識している時は
幸せを着飾ったり
不幸自慢をしたりなど
真逆の方向へと自身を進めます。
幸せなら幸せだと
ハッキリ言えばいい。
何で幸せなのかも言えば良い。
個的思考であればそれが可能です。
幸せを感じている内容が多ではなく、
あくまでも自身でありますから
厭味なくこれが可能となります。
ですが、多的思考の場合ですと、
物質的価値が標準値となりますので
周りの目線や意図を気にします。
物質的価値とは、早い話が
“金”“地位”“権力”ですね。
ここに固執している間は
幸せを幸せだとはハッキリ言えない。
いつでも敵だらけの状態ですからね。
けれども、幸せを享受させるには
その幸せをハッキリと話せる事が
1つの達成点となります。
周りには無価値でも
自身にとっては幸せだと言い切れる事。
これを信じ切れる状態、
信に徹している状態となれるかが
鍵となるのです。
この視点で理解をしてみると
自身の幸せを聞いて小馬鹿にする人が
如何に堕ちているのか
念、俗欲に溺れているのかが分かります。
心や感情を司るのは幽体です。
幽体が狭小化したり
狭隘状態となっていると
肉体の動きは鈍くなり、
果ては霊体萎縮が起きてしまいます。
その流れを作ってしまうのが
念や俗欲へと溺れる事、
つまり念基軸状態です。
例えば、
「何の問題も無く五体満足=幸せ」
となるのか、逆に
「五体不満足=不幸」
となるのか
自身の思考が個的なのか多的なのかで
その中身は全てが変わります。
自身の価値基準を他に当て嵌めようと
必死になるからおかしくなるのです。
自分は自分、他者は他者です。
「私は動けて幸せです」
「私は動けないですが幸せです」
これを当たり前の状態として
笑顔で会話が出来るのが
個的思考同士の世界。
個的思考は多的思考の意図を理解出来ますが
多的思考は個的思考の意図を
理解しようとしません。
理解出来ないのではなく
理解しようとしない。
この思考の絶対数が逆転して
個>多となった時がフェーズ4の世界です。
己の幸せの実感を
共感は出来ても共有は不可能である。
それを正面から認識する事が
個的思考の基礎となります。
書いているんやで
個的思考は
そこの理解が
肝なんやで

