今回は動き方について
お話をしたいと思います。
霊を視るのに必須な事として
「五感の研ぎ澄ませ」
「生きている存在を視る」
「万物への認識」
の、3項目があります。
この中で恐らく一番難しいのが
「万物への認識」です。
ふとした時に人は人だけを認識します。
視界に入っていたとしても
その他の存在を忘れてしまいがちです。
この感覚を極力薄くさせるのです。
無くす事は不可能なので薄くさせる。
自分が周りにいる存在と同じで
現世に居る“一存在”であって
種や種別だけが違うという認識を
可能な限り当たり前の状態にする。
と、いう感じです。
これを話すと「自然と一体化」などの事を
口にしてくれる人が多いのですが、
その中での「自然」というのは、
動植物で止まっている人がほぼです。
それでは万物ではなくて
「科学的知見での生物」です。
認識すべきはあくまでも「万物」ですから、
鉱物や空気、火や水、人工物も含みます。
それら総ての中での構成要素の一つが
「自分」なのだという認識を持つ。
少なくとも
「持つ努力をする」という意味です。
本当に視たいのであれば、
この感覚は絶対条件となってきます。
普段すっかり忘れている当たり前の感覚を
どれだけ認識する事が出来るかで
視え方も視える世界も変わります。
少なからず「狭間の世界」を
正確に視たいのなら必要になります。
間違ってしまいがちなのは、
万物への感謝をする
という事では無いという点です。
この手の説明をすると直ぐに
認識=感謝と解釈する人が多いのですが、
それは大きな誤りであり
考え無しの馬鹿な動きですし、
あまりに宗教的観点が強すぎます。
認識だと言ってるのであって、
そこには善い点だけが存在しているではない
というのを忘れてはいけません。
死に直結する様な怖い点もありますからね。
貴方達も善い面と悪しき面の両方を
持ち合わせていますよね。
それを理解する事無く感謝に直結させるのは
あまりにも利己的な思考であり
「逃避」と言えるものです。
以前にも投稿をしましたが、
その場で一分間息を止めてみて下さい。
当然ですが苦しいですね。
そのまま止めておけば死ねます。
これが空気という存在です。
水を一滴も飲まずにいたら死ねますね。
これが水という存在です。
料理に火は不可欠ですが、
服に引火したら死ねますね。
これが火という存在です。
あまりに身近に存在する万物の一つであり
その存在の親さ故に
すっかり忘れている善悪の二面性。
それらを全て含めた存在と
自分達は一緒なのだという認識を持つ。
この独特で基本的な感覚が
これまで視ようとしなかった視界や
視えてこなかった視界を押し広げてくれて
視たい世界を自然に視える様に
してくれるのです。
そこに広がるのは、
悪霊だけとか生霊だけとか人だけとか
そういった狭く隠遁な世界ではなくて
今視えている世界よりも遥かに広くて
念想が溢れている世界ですからね。
眠くなったり
頭痛がでたら
すまんやで