今回は、
ステップアップについての
お話をしたいと思います。
未来や将来の事を語る人は
大抵の場合、
不安や恐怖を煽るタイプが多いです。
理由は簡単で、
その方がセンセーショナルですし、
人々の目に留まりやすいですからね。
ですが、その結果
当然の様に人々の中には
不安や恐怖、絶望といった気持ちが溢れ
その次に
「自分だけは助かりたい」
という考えが芽生えてきます。
どこに行けば助かる?とか
何をすれば助かる?とか
主語が完全に自分のためという
自分本位な思考回路に陥ります。
防衛本能として備わっているものですから
確かにその通りですが、
あまりにも本能的過ぎる思考です。
以前から話している
ステップアップというのは、
この様な本能的思考を脱する事を指します。
皆が皆、自分を中心に据えているから
争いも絶えませんし、卑屈な形となっていく。
争いは嫌だと言いながらも、
いざ自分が何かに巻き込まれたら
直ぐに自分本位となるでしょ?
そこが問題でそれを変えないとダメ
と、言ってるんですね。
人々は平和を望むと言いながらも
思考回路は既存のまま。
根本や根幹が変わっていないから
平和や安寧というものが来ない。
常に何かに怯えて、何かに震える。
それを打破させる方法は、
人々の意識や考え方そのものを
変えないといけません。
この流れは既に始まっていて、
と言いますか、既定路線なのです。
前回も話しましたが、
今が二年目というのはその既定路線の中での
転換期という話です。
この既定路線そのものは
大昔から続いているものなのですよ。
そこで、人々が何を望むのか...
それが改めて問われる時期が始まっていて
今もその只中にある。
というのが事実です。
この先の近い将来に何かは必ず起こります。
天変地異、人災、戦争、
言い出せばキリがないですが、
何も起きないという方が不自然なのです。
人ですから何が起きるのかを気にするのは
当然の事ですし、それは自然な思考です。
ですが、問題はそこに固執するのではなく、
その時をその先をちゃんと生きられるか?
人として自分ではなく誰かの為にという
思考をちゃんと持ち得て行動できるか?
その誰かという枠の中を
人だけでなく万物に当て嵌めて思考できるか?
そこが確実に問われます。
その中で死も起きれば生もあります。
大量死にばかり視線が向けられがちですが、
そこには確実に「新たな生」もあるんです。
生きたい死にたくないという
本能的過ぎる思考ではなく、
果たして自分は何の為に誰の為に
目の前に広がり視えるものだけでなく
これから目の前に現れる今は視えぬ者へ
一体何が出来るだろうか?
という思考への変貌変化を理解して
日頃から実行に移す事が出来るかどうかが、
鍵となるんです。
とても抽象的な話の羅列となって
申し訳ないのですけどね、
この中心にあるのが愛や愛情であり
思い遣りであるんです。
実行へ移した人は自然と意味が身に入ります。
頭ではなく自然と理解が出来ます。
これが本当に問われるのはもう暫く先ですが
だからこそ、今から話しているのですよ。
ギリギリのタイミングですからね。
神さん仏さんや先人さん達の苦労が
本当に身に沁みるよ。

