今回は動き方について
お話をしたいと思います。
個々人に於いて様々な場面で
「会話」
と、いう業が繰り広げられます。
この会話というものは、
誰もが触れ得る事の出来る
動きの一つです。
最初に伝えておきますが、
スピリチュアルの立場では
口頭や文面のみならず
目くばせなどのジェスチャーによる
コミュニケーションや
心内での遣り取りなども
「会話」となります。
例えば、
病床の方への遣り取りや
墓前などで御先祖さんとの遣り取り、
動物や植物等との遣り取り
夢の中での遣り取りなど
物質的側面や物理的側面だけでなく
非科学的側面や精神的側面の遣り取りも
全て紛う事無き「会話」
と、するのが本来のスピリチュアルです。
さて、皆さんこの会話の中で、
相手によって意義の有無を感じられる事が
あると思います。
心の充実感の有無と言った方が
分かり易いかも知れません。
これは何故に起きるのでしょうか。
幾つか要因がありまして
その代表格と言えるのが、
「基軸」と「格」です。
「基軸」と、いうのは
自分達が何を芯に据えて会話をしているか
という根幹部分の要因となります。
平たく言うと、
「想い」なのか「俗欲」なのかです。
「格」と、いうのは所謂「霊格」です。
霊体のレベルですとかリテラシーであると
思って頂いて構いません。
これらが複雑に絡み合って
会話の意義の有無を決定付けます。
同じ会話でも人によって感覚の受取りが
大きく異なってしまうのは、
本来のスピリチュアル的に言うと
この為です。
この中でも
「有意義な会話」
と、いうものを幾つ発生させ、
幾つ消化出来るかが、生き易くする上で
現実を愉しむ上で、
必須の構成要素となってきます。
敢えて俗な言い方をするならば、
運気を上昇させる上でという意味ですね。
有意義な会話は、
「個々人の性格や感情」が土台となり
その上で
「双方の格の高さのバランス」と
「想いの力場」の構築を触媒にして発生します。
ここの中身が少しずれていたり力場の構築が
負の力が中心の「念の力場」となると
そのサイズによって意義性に欠けたりします。
にも関わらず、勇を用いて切り上げたり
転進など何らかの改善策を行わずに
遅疑逡巡でいたりすると、
高確率で宜しくない方向へと進む訳です。
もし、何だか色々と上手くいかないと
思われている方がいらっしゃったら、
日頃の会話を見直してみて下さい。
格は自己判断が出来ずとも、
その相手は何を基軸としているのか。
自分は勇を用いてハッキリとした物言いを
相手にしているかどうか。
そして、その無意義な会話の数が
有意義な会話数と比較すると
勝っているのではないか。
この辺を自身にて鑑みるだけでも
状況改善に繋がります。
そして、会話とは
肉体を越えて幽体の繋がりを
実感出来る非常に簡単な業の一つです。
貧乏神に踊らされたり、
自身の俗欲に振り回されていたりして
苦しみからの脱却を図りたいのであれば
こういったセルフチェックを実行する事が
幸せへの道標となりますからね。
思考停止して他力本願となると、
善い自分は遠退くだけですよ。
関係改善を
したい時なんかも
有意義な会話を
目指すのが
近道になるんやで




