2025年10月19日日曜日

虐め談義1(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




虐めをなくそう

そういう台詞を耳にして
数十年となりますが、
無くなっていないですね、虐め。

無くす事が出来れば最高ですが、
現行のままでは
まず無理だと思います。

社会的制裁を加えようが
仮に刑事罰を設けようが、
表面上の数を減らす事は出来たとしても
無くなる事はありません。

完全に無くすのであれば、
人の思考そのものを現行から変える
そういうレベルでないと
間違いなく無くならないです。

虐めと云うと学校での出来事や
子供の頃の話みたいに感じますが、

実際にはそんな事は無く
大人の世界の方が更に多く存在しており
そこかしこで起きています。

会社や組織やご近所だけでなく、
家の中でもありますよね。
嫁姑とか、親族間の話とかさ。

とんでもない数が蔓延していて、
それも殆どが大人です。
そんな大人を見て子供は育つ訳ですね。

そりゃ子供達も虐めます。
自分の身の回りの大人達が
堂々とやっているのですから、
真似をして当然なのですよ。




こういう話をすると、
何も知らない奴が話している
机上の空論の様に
聴こえてしまうでしょうから

一応、言っておきますが、
僕は幼少期にも、学生時代にも、
何なら大人になって勤めていた時にも
ハラスメントという名の
虐めを受けていますからね。

基本的に虐めは「立場の弱さ」が、
事態を悪化させていきます。

最初期は立場が対等で突っぱねていたり
耐えていたとしても、
繰返し押し寄せてくるストレスが
自分を圧迫すると同時に、
自分で自分を圧し潰す様になっていくのです。

そして、物を言わなくなったり
言えなくなったりする。
場合によっては、
そう教育されている場合もある。

手を出すな
口を出すな
汚い言葉を吐くな
相手を敬え
目上を敬え
親を敬え

真面目な子や人になればなるほど、
これらを忠実に身に付けていきます。

勿論、これらは間違っていません。
ですが、これらが通じるのは
相手も同じ立場や心情だった場合のみです。

それをちゃんと教えている人が
一体どれだけ居ますか。

世の中は理不尽だから、これが通用する様に
やっていかないと駄目だねと、
通用しない事の方が多いからね。

と、本音で教えている人が
どれだけ居るでしょうかね。




建前論や綺麗事を基礎として
肝心な部分を教えない内は、
人は亡くなっても
この問題は決して無くなりません。

例えば、
僕が学生時代に受けた虐めには
僕の実の両親も虐める側に
加担をしていました。

それが止めとなって、
僕は自殺を決意するのですが
御覧の通り未遂で済んでいるので
こうしてここでお話をしています。

これはラッキーだったとしか
言えない結果です。
その後、環境が変わったのかと云うと
何一つ変わっていませんし、

劇的に変わったのは
僕自身の考え方のみです。
この時に、先述したお話の考え方の
基礎が出来上がりました。

無くせない。無くならないから、
無くそうと言う。

そこには人の後ろめたさ等もあるから
余計に無くなる事は無い。
そうこうしている内に、
一人また一人と亡くなっていく。




本当に無くしたいのであれば、
根本的な考え方を変えて
言葉よりも先に
実力行使に出るしかないのです。

暴力へと訴えるのではないですよ。
場合によってはそれも必要ですが
それは賭けでもありますし最終手段です。

それよりも、
被害が出ない様にする為の
「認識の実力行使」と

被害を被った際に行う
「法に基いた実力行使」

これらを同時にやっていく事が
大切だと僕は考えます。

「教育と制裁」ですね。
そして、「避難」です。

世の中は理不尽です。
平等という幻想に溺れずに
不平等の中を上手く生きる為のコツを
その身に植え付けていく事が、
重要となってくるのですよ。

一人で抱えるな
味方は必ず居る
それが親や家族とは
限らない
生きている人とも
限らないんやで。
必ず生き延びるぞ