皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は以前に書いたストーリーズの
アップグレード版です。
色々な手法で皆を救いたい場合は、
まず、身近な人に心血を注ぎます。
お構いなしに
風呂敷を拡げるのではなく、
ちゃんと聴いてくれる人、
自分を理解してくれる人に対して
真摯にそして、堂々と話をします。
そうする事によって、
意識の質が一定に保たれますし、
何よりも分かり合えたという喜びが
心の中に根差していきます。
その喜びを小さい幸せと定義した上で、
それが各々個人に繋がっていくと、
野川の様に広がっていきます。
一人が10人、10人が100人...
やがて、その小さい幸せは、
意識の共有によって現実化していき
大きい幸せへと変貌を遂げます。
これらの流れを知っていて、
傍観つまり何もしないとか、
見て見ぬ振りを続ける
伝える人なのに伝えないという事は、
幸せの独り占めと同意義ですし、
信じる事も、伝える事も、汲み取る事も、
剰え踏み込む勇気すら持たない
という事になりますから、
向こうの世界の基準に照らし合わせると
罪となるのです。
その上、
「自分はまだまだ...」等と言い訳をして
謙虚さを盾に何もしないのなら、
それは、
「思い遣りを忘れてしまっている」
と、言い切れます。
行き過ぎた謙虚さ、過剰な謙虚さは
行動を阻害するだけのものですから、
決して善いものではないのです。
謙るのは一度でいいんですよ。
そんな動きをしていれば
当然に小さい幸せは見付からないですし、
数々の意識をする事も不可能ですから
瞬間瞬間を愉しむという事も出来ない。
人というのは、
お互いに失敗をしながら反省を重ねて、
助け合って救い合って
成長をしていくものです。
その為に必要な気持ちが思い遣り。
今自分の周りに居る全ての存在、
人・動物・虫・物・植物・鉱物・霊体
万物全ての存在に対して
その思い遣りを向けて形にしたものを
愛情と言います。
愛という字は
手で受けて、心を添えて、足で運ぶ、
情とは、
互いの心を天の如く青く染める(広める)
と書きます。
それらを合わせた心情を
『愛情』とわざわざ表現してくれている
日本語の素晴らしさと、
先人…我々のご先祖様達の紡いできた
思い遣りを理解して活かす事こそが、
我々のやるべき事ですし、
ステップアップに必要なことなのですね。