2025年2月26日水曜日

視える(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




視えない存在が視える。
そういう能力を持っている人に
多く見受けられるのが、

「悪霊への偏り」です。

私は視えるのよ系の人が
意気揚々として話す時、
大抵の場合、悪霊限定だったりします。

本来のスピリチュアルですと、
悪霊も善い霊も普通に視えます。

狭間をうろうろしている霊というのは、
善い霊が圧倒的に多いです。

つまり、「霊=善い霊」だと、
認識する方が普通という形となります。

にも、関わらずその逆を標榜するには、
何かしらの原因があるのだろうと、
捉える方が建設的です。




単に霊をよく知らないので、
分からないから悪霊だと断じている人は
「霊=悪霊」と、決め付けたりします。

これは致命的な知識不足です。

自身が悪霊候補の貧乏神気質なので
善い霊を意図的に排除して、
悪霊を態々引き寄せてしまうという流れを
自ら作っている事もあります。

これは、論外となりますが、
皆さんの想像以上に多いパターンです。

自身が視えるという能力を特別視しており、
優越感という俗欲に溺れてしまっている。

以前に投稿をしました、
「特別の検索」の成れの果てですね。

人から煽てられようが、
もてはやされようが、
視える程度など何ら特別ではありません。

視ようとすれば誰だって視れます。
それが、常時なのか稀なのか
以前にお話をした視え方の云々は別として

視るだけでしたら
誰だって視れるものなのです。




視たいという意気込みと
本来のスピリチュアルに対する全き知識、
万物に対する思い遣りとそれに対する理解。

これらを自分サイズで得る努力をしていけば
必ず視える様になるのが
「霊視」と呼ばれる能力です。

物凄く割愛して書いているので
あっさりとした内容となっていますが、
その実はかなり濃いものとなります。

そうそう簡単ではないのは確かです。
科学的知見も必要ですし、
非科学的要素も必要ですし、
社会常識も必要ですし、
個人としての論理的認識も必要です。

知識力、判断力、理解力、想像力、認識力、
それらを総合的複合的に使って
思考回路を形成していく。

気の遠くなる様な話ではありますが、
その過程の中でついぞ唐突に
視える様になってたりします。

感じられる様になった人は
分かると思いますが、

特別だと思おうとしても
特別感など実感出来ない程に普通の筈です。

そのくらいにありふれた能力が
視えるという能力なのです。

個人力は誰にでも
備わっている
普通の能力
なんやで