2026年7月4日土曜日

完璧主義の思考形態(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




日常の中にほんの少しで良いので
変化を付けてみましょう。

同じ様な動きの中でも、
僅かな違いを設けるだけで
ルーティン化は避ける事が出来ます。

ですが、
そのわずかな違いや少しの変化ですら、
気軽に設けられないタイプの人も
存在するのですね。

その人達が陥ってるのが
「完璧主義」です。

「ちゃんとやらないといけない」
「間違える事は悪」

これが完璧主義の基礎部分です。
その基礎に則って、事前に調べるとか
知識を得るというものであれば
何も問題は無いのですが、

そこで留まる事が出来るのであれば、
完璧主義にはならないのですね。

パーフェクトに拘るのだから
完璧主義な訳でして、
何もかも100%を目指す。

しかし、悲しいかなその反動で
冒険というものを拒絶する様になります。
完璧を目指すあまり、

「失敗を恐れる様になる」

極度なまでに失敗を恐れるから、
安全パイを狙う様になる。
この段階で、完璧には程遠いという事に
当の本人は気が付きません。

安全パイを狙うあまり、
小さい変化すら恐れる様になる。
その小さい変化はとても簡単なことだと
理解をしていても、

やらない理由、やれない理由を
別に探し始めて言い訳で塗り固める。

その言い訳の中で、
自身が原因だとは決して言えないので、
人や物に縋る様になる。

何故かと云うと、
失敗した時に文句を付けるためです。

自分は悪くない。
あれが悪いこれが悪いと、
さっきまで縋ってきた存在を悪と断じて
それらの所為にして自身の不出来を隠すのです。

そういった思考形態を是としている結果、
冒頭でお話をした様な少しの変化すら
自身で設ける事が出来ない。

どんなに小さな失敗でも
恐くて怖くて仕方がないから、
いつも同じ動きや同じ考え方に頼って
どこまでも「楽」をする様になるのです。




そして、
それが「楽」だと分かっていながら
周りから断じられるのも怖いので、

努力をしている人と同様に
自身もやっているのだと
見様見真似の虚勢を張る様になるのですね。

けれど、その虚勢はまさに虚ろなものですし、
その本質などは理解をしていないし
しようともしていないのだから、

益々立場や社会的なステータスに頼った
物言いをしてくる様になる。
完璧主義の人がやたらと上から目線だったり

お殿様気質、お姫様気質なのはこの為です。

何をどう云う風に装っても
ハリボテの作り物となってしまうのが
完璧主義の恐ろしいところです。

また、その依存性はとても高く、
脱するにはそれ相応の苦痛が必要です。
何をすれば良いのかは難しくありません。

小さな変化を設けるところから始めれば良い。

ですがね、いくらハリボテとは言え
それまで自身のアイデンティティーを
維持してきたものを否定する訳ですから、
一筋縄ではいかないのですね。

苦しみや悲しみ、辛さなどに
幼少期から向き合ってきた人達や、

今この瞬間や直近でそういった経験をして
人の想いに触れる事が出来た人達からすれば、

何にも難しくない事だとしても、
完璧主義の人にしてみたら
超高難度の挑戦となるのです。

なので、生暖かい目で見守りましょう。

     ではなくて

ガンガンに叱咤激励してあげないと
いけないのですよ。
これまでクソほど楽をしてきた訳ですし、
直ぐに楽へ逃避する癖があるのですから

その癖を上書きしてあげないと
完璧主義からの脱却は難しいのです。

「優しさを履き違えずに厳しさを出す」

苦痛に対して真摯に向き合ってきた
貴方達ならば優しさとして出来る筈です。
他者に対しても、自身に対してもね。

心苦しくも
叱った後に
潰れてしまうのは
貴方が原因ではなくて
相手の勝手です。
真摯に向き合わない
相手がバカなだけやで

2026年7月1日水曜日

膂力としての素直さ度(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




人はいつでも救う側と救われる側に
身を置く事になります。

どちらか一方という意味ではなくて
常に両方に身を置くという意味です。
それが時と場で変わるだけ。

そして、それは必ずしも
救えたり救われたりする訳でもないです。

どうにもこうにも
ダメな場合だってあります。
救えないとか救われないという事です。

自分自身を第一に考えて、
努力と云うものをせず
何かへの依存を恒久的に辞められない存在。

立場と云うものに固執して
常に自身を優位な状況下へ置いておき

他者を見下して蔑み、
立場が自身より上の存在には媚を売り
己の立ち位置のみを優先的に
保持しようとする性根の持ち主。

自身が原因だとは決して考えずに
何かにつけて人の所為や物の所為に
する事を志とする思考の存在。

貴方が救う側となっている際に
こう云った存在に出くわしたら、
相当な苦労をする事になります。

何故なら、
一定の条件が整わない限り、
こうした存在を救う事は叶わないからです。

厳密に云うならば、
救う前に貴方が力尽きてしまうか
貴方自身が負の影響力を受けてしまって

闇の領域へ足を踏み入れてしまうからです。

結果として、救う迄には至らない。
そういう結末が実際に起こり得ます。

これは、
救う側の器の問題とも云えますが、
それは救われる事ありきでの思考であって
ナンセンスでしかありません。




この現世は
基本的に救われる様に出来ています。

但し、それは努力を怠らずに
自身の四肢を使って前へと進む尽力を
認められた場合に限るものです。

四肢とは言いますが、別にこれは
身体のどこかに不具合や欠損があっても
同じ事を意味します。

自分の意志で前へと歩む
その努力をするという比喩です。

いくらきっかけを得ようとも
理に適った教えを請う事が出来たとしても
その場だけでなく日頃から使って動いたり
動く為の気概が無ければ

結局はその時々を凌ぐ事に躍起となり
陳腐なプライドに固執するあまり
理解したフリをして他との共感よりも
自らの威厳を優先させます。

その結果、
無理をする流れとなるので、
いずれは身を保てなくなりボロが出るから

それまで依存していた相手や存在すらも
自身を貶める魔的な存在として
手の平を返した動きをする様になる。

こうした中で、
親身になっていてくれる存在すらも
悪と断じて自身の敵としてしまう。

ある一定の条件下で
場が整っている状態や状況以外は、
遅かれ早かれこの流れとなり堕ちます。

そして、
ある一定の条件下とは想いを軸とした
「素直さ度の上昇を施す環境」を指します。

この意味合いを当の本人が理解や
認識をしない場合、
救う側が負の螺旋へ取り込まれて堕ちます。

なので、どこかのタイミングで
救うか引導を渡すかの判断を迫られるのです。

これは非常に辛く哀しい決断となりますから、
見定める為の知識を以て悔いのない様に
最大限の努力をしたいと考える筈です。

皆さんへお話をしているのは、
その為の指針と心構えに外なりません。

誰かを救うのも
誰かに救われるのも
日頃の業の中での
努力や尽力と
俗欲を制御する為の
膂力たる素直さ
これしかないんやで