皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は動き方について
お話をしたいと思います。
色んな所に霊は存在します。
人の霊も居れば、動物霊も居ますし、
自然霊も居るし本当に色々です。
そして、
その数は結構なものとなります。
ですが、その殆どが都合良く捉えられ
勝手な解釈の上で使われています。
恐くも無いのに怖いと思われたり
大したこと無いのに崇められていたり
明らかにその場に居るのに
まるで存在しない様に扱われたり。
視えないのを良い事に
笑ってしまう程に都合よく捉えています。
にも関わらず、
視てみたいとか視ようとしたりとか。
自分が苦しい時だけ、
そういう存在に肖ろうとしたりとか。
確実に言える事は、
そんな風にしていても霊は全く相手にしない
と、いう事です。
普段から失礼無礼な態度の人に
助け舟を率先して差し出す様な
間抜けな人は居ないのと同じで、
万物の想いや念を感じ取る存在が
そういった図々しい思考の人に
手を差し伸べる訳が無いのですね。
その手のタイプの人は現実を視ようとせずに
必ず幻想へ逃避します。
幻想は幻想でも自身に都合の良い幻想です。
ちょっと写真に光が差し込んだり
レンズの反射光が写り込んだだけなのに
霊か何かと思って質問をしてみたりする。
そこで理想とはかけ離れた事実を教えられると
決まって臍を曲げます。
こう言ったくだらない思考で
質問してくる人は想像以上に多いです。
本当に何かが映り込んでいるならば
分かる人はそのままを伝えるでしょう。
然しながら、何も映り込んでいないのに
事実を捻じ曲げて
話を合わせる様な落魄れた真似をする
分かる人は基本的には居ません。
自身の思い描いた幻想のままにしておきたいなら
余計な事をせずに大切に取っておけばいい。
若しくは、
どんな時でも自分の意見にイエスと言ってくれる
頭が悪くて狡賢い方々にでも
賛同してもらえばいいだけです。
こういった都合の良い幻想へ逃げ込んでも
現実は何一つ変わりはしません。
少なくとも好転する事は無いです。
本当の意味で霊に何かを求めるならば、
現実の中の存在を詳細に観察したり
現実の中での素行を意識して
人様に迷惑が掛からない様な動きをする方が
明らかに先決となります。
挨拶すら出来なかったり
人の厚意を無碍にしたり
礼節や恩義を軽んじている様な人には
悪さをする様な霊が近寄ってくる事はあっても
霊に何か導きを下してもらえる事など
まず在り得ませんからね。
現世に生きている以上、
まず重んじるべきは現実です。
その意味が分かれば、
貴方の視える世界は一変しますよ。
みんな大好き
神さん仏さんだって
霊と同じ
括りなんやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は動き方について
お話をしたいと思います。
本来のスピリチュアルを知っていくと
必然的に「駄目な自分」というものへと
ぶつかる事になります。
この駄目な自分については
今まで散々話していますが、
要するに善い自分と対を成す部分です。
面接とかで聞かれる様な
長所と短所みたいに
善い自分と駄目な自分を
分離して考えてしまいがちですが、
そういう類の物ではありません。
対を成すものなので、
同じ位置の表裏で存在する自分です。
ですから、
善い自分が1000あれば
駄目な自分も1000存在する。
例えば、
のんびり屋さんなところが
善い自分だとするならば
危機感や緊張感に欠けるところが
駄目な自分という事になります。
そんな駄目な自分というのも自分です。
以前から話していますが、
どんなに嫌だと思ったところで
消去する事は叶いません。
寧ろ、毛嫌いする方がどうかしていて
その駄目な自分も自分なのだと認めて
如何に愛でる事が出来るかが
運気を上げたり、
生活を愉しくさせたりするための
必須条件の一つなのですね。
そして、駄目な自分というのは
大枠でのそれこそ誰が見ても
自分でも分かる様な部分もあれば、
核心的な部分や真に迫る部分、
自身の内面深くに根付いている様な
駄目な自分となると、
自分の事なのに自分では決して分かりません。
分かったとしても、
それを認めるという事が難しいのです。
では、どうするのか。
自分以外の存在に教えてもらう外
方法が無いのですね。
他者や周りの存在に
教えてもらうという事は
そこに意見を伺うという事になります。
その意見というのは、聴く側からすれば
とても辛辣な内容となります。
なので、聴いたとしても受け入れるのが難しい。
聴きたくも無い内容ですからね。
ですが、その内容を教えて欲しいと
願い請うのは貴方の自身なのです。
それなのに受け入れないというのは
人として礼節に欠けますよね。
ですから、聴くのであればどんな事でも
覚悟を以て聴かなければいけないし、
受入れる様に努力をしないといけない。
聴く貴方も苦しいですが、
話す側の相手はもっと苦しいのです。
にも、関わらず
その受入れる努力を怠ったらどうでしょうか。
その姿勢を相手さんは視ています。
もう何もまともな向き合い方はしてくれません。
それはつまり、駄目な自分に気付く手段を
永遠に失うという事になるのです。
苦しいからと言って自分を庇い
相手を蔑み自分を守ろうとする
これが自分本位です。
どんな時でも相手のためを考え
自分よりも優先的に捉えて動く
これが思い遣りです。
自身から頭を垂れて聴いたのであれば
相手に対して徹底的に真摯に向き合う。
それは聴いた時だけに留まらず、
寧ろ、聴いた後が本番なのです。
その場だけ真摯に向き合うのではなく
その場に相手が居ない時こそ
相手に対して真摯に向き合う。
この動きが出来る様になって
初めて分かる様になるもの
それが「想い」です。
想いが分かる人は
想いという言葉を
軽々しくは
口にしません。
その重みと苦しみを
理解しているからやで