2026年10月10日土曜日

現実の為のスピリチュアル(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




常に落ち着いて冷静でいましょう。
色々な場面に於いての
理想の動き方ではありますが、

ある場面だけ限定的に冷静になるとか
ピンチの時に落ち着いて動くとか、

自分の都合で簡単に出来るものではないです。

これは普段から心掛けていなければ
絶対と言い切れる程
やれるものではありません。

では、何を心掛けるのかと云うと
落ち着いて冷静になりたいのだから、

いつも落ち着いて心静かにしていれば
良いみたいに捉える人がいるのですが、
それは全力で間違っています。

そんな事をしていても
冷静に判断したり動いたりする事は
出来る様になりません。

大切なのは、
反復練習とマインドセットです。

反復練習というのは、身近な所で云うと
小学校とかで行った避難訓練などが
分かりやすい例となります。

ある一つの出来事や事象を想定して
それに伴った事後の動きを身体で覚える。

こういった動きを定期的に行う事で
例え慣例化していたとしても、
いざという時に一定の動きは
自然と出来る様になります。

但し、反復練習時に気を抜いているか
気を入れているかで、
有事の時の判断は変わります。

テキトーにやってても大丈夫という事は
あり得ないって話ですね。




マインドセットというのは、
状況の判断と優先順位の構築を指します。

何か問題が発生した際に、
頭の中に在る常識を一定の段階を踏んで
自ら壊していく事です。

常識と云うのは、
生活の中に於いて必要な規範ですから
僕らには切っても切れない代物です。

と、同時に有事の際には
動きや判断を縛ってしまう足枷にもなるのです。

いざ動かなければならない状況や
即断しないといけない状況に於いて、
「様子見」をしてしまったりする
要因の一つなのですね。

状況に応じた動きを思考レベルで構築する。
それがマインドセットです。

例えば、何でも無い時の常識で云うならば
暴漢に襲われたら「手を出すな」と、
誰もが教わりますが、有事でのそれは間違いです。

襲われている時点で反撃をしなければ
どこまでもやられてしまいます。
この時に、段階を踏むのがマインドセット。

逃げる隙を作るために敵を遠ざける動きをするのか
逃げられないから徹底的に敵を排除するのか

その判断を一瞬で行って気を入れるのです。
つまり、「覚悟を決める」という意味です。

路上で襲われたパターンと
家に不届き者が入ってくるパターンと
状況は全然変わりますよね。

前者は逃げる選択がありますが、
後者はそもそも逃げられない。

それを理解した上での覚悟です。

これらをより詳細にシミュレートして
普段の生活の中に落とし込む事が必要になります。
その為に必須な動きと云うのが、

「よく視て」「よく聴いて」「よく考える」

と、いう基本動作です。
自身の置かれている状況を緻密に観測して
自分が今何をしているのかをしっかりと理解する。

この動きそのものを普段から行っている事で
災害だろうが事件だろうが、事故だろうが、
有事の際は数段の違いが出て来ます。

ボケっとせずに意味を理解して動く。

本来のスピリチュアルは
神秘性や奇跡的な事ではなくて、

「現実の中にこそ在る」

と、いうのを実感できる筈ですよ。

今自分が何をして
どうしているのかを
ちゃんと考えて
理解しながら動くのが
冷静さを手にする為の
第一歩なんやで

2026年10月9日金曜日

境界線上のメソッド(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




みんな大好き個人力。
あんな力やこんな力など
能力には様々なものが存在します。

実際に、感覚を基礎として
僕のところでも色々なものが使える様に

やり方だけではなくて、
個人力としての力の開発や
どうやったら元々備わっているその力を
呼び戻す事が出来るのかなど、

色んなことを教えているのですが
その中に俗欲の制御というのがあります。

何度となくお話をしていますね、
「俗欲の制御」。

俗欲の制御というのは

やりたい事をやらないとか、
無闇矢鱈と我慢をするとか、
煩悩がどうのこうのとか、

そう云った様な
単に欲を抑えるという意味ではなくて

相手を想い、思い遣った上で
その場その時々での最適解を導き出す為の
「自身の気持ちのコントロール」となります。

キーワードは「自分以外のため」です。




単に各種俗欲を我慢するみたいなのは
その場凌ぎに過ぎませんから

「意味を考えない」

と、いう動きが出て来てしまうのですね。

これですと中心核となるのが
自分になってしまうのです。

要するに、自分本位を誘発するだけなのです。
それでは本末転倒です。
思い遣るなんて何処吹く風に等しくなります。

そうではなくて、
あくまでも自分以外の相手を想って
発動させる「動き」が
「俗欲の制御」なのですね。

例え、その場に居ないとか、
自分以外には視えていなかったとしても

自分を中心核に据えずに思考して
相手を思い遣り動く。

この動きが出来ないとどんな個人力を
使えたところで自己満足で終えてしまう。

「自分の能力が凄いでしょ」
「こんな事が出来るの」
「私は分かる力を持っているから」

と云うようなクソ程くだらない自己陶酔に
陥る様になってしまうんですね。
そして、高確率でその際には
誰かをダシにするのです。

何でもかんでも伝える事や教える事が
全て正しいのか、最適解とは何なのか。

生きている存在のみならず、
生きていない存在について能力を使う時でも
歓びに溢れる事ばかりではなく、

そこには遺族や関係者など知ったら傷付くであろう
存在が居るという事を考えて動いているのか。

個人力というのは「想いの延長線上」に在って
「俗欲との境界線上」に在るものだというのを

理解しないといけないのですからね。

自分のために
使っている内は
能力なんてのは
堕ちていくのみやで

2026年10月7日水曜日

まやかしと本質の狭間(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




信じるというのは難しいです。
特に、「自分を信じる」というのは、
超難関な業となります。

いや、そんなの簡単だよね。

と、思える人は出来ているから
そう断言することが可能なのですね。
(これは厭味ですからねw)

色々な場面で、
出来事や事象の大小を問わず
「自分を信じる」ようにするには、

「覚悟を決める」という意味なのです。
何の覚悟かと云うと、

「誰の所為にもしない」

と、いう覚悟です。

正直なところ、
これを実行するのは本当に困難を極めます。

人の所為や物の所為にする方が
自分の所為にするよりも簡単です。
責め立てれば良いだけですからね。

つまり、自分を信じるよりも
他人を信じる方が100倍は簡単なのです。

覚悟を決めなくても、
何かあった際にはそいつの所為にして
責め立てればいいだけですからね。

また、言う事も聴こえも
周りからすれば格好良く響きますからね。

尚、ここまで話しておいて何ですけども、
これって何も信じている事には
なりませんからね。




また、
「自分の事しか信じない」のと
「自分を信じる」というのは別物です。

「自分の事しか信じない」と口にする人は、
大抵の場合、自分の事も信じていません。

単に責任を逃れてフラフラとしているだけで
その場その時で、信じる先を変えていて
他者の話をあたかも自分に照らし合わせて

さも自分が生み出したり、
自分が口にしたかの様に
言いたいだけの人であって
覚悟を決めて口にしているなんて事は

萬に一つもありません。

以前にも話していますが、
自分の事しか信じないなら
周りの存在も信じないという意味ですからね。

前段でも話しましたが、
自分を信じるというのは

どんな場面だったとしても、
自己の動きや考えに責任を持つ事を指します。

当然、文句も言えば愚痴も口ずさみますから
100%完璧にという事は
原理原則としてあり得ないですが、

それを加味したとしても、
可能な限り自己の責任の名に於いて
覚悟を決めて行動をする。

自分を信じるという事は、
相手を信じるという話に繋がるのです。
何故なら、自分が覚悟を決めて
そうしようと決断した事なのでしょ。

相手を信じようと決めたは自分なのですから。
そういった覚悟を常々秘めながら
日頃の業を熟していく事が、

「自分を信じる」という事なのです。

どうしても善い事ばかりを想像して
自分を信じると使いがちになるでしょうけど、
自分を信じる先には結果として
失敗や自分にとって都合の悪いことも含まれます。

それらの全てをひっくるめで
「自分を信じる」が成り立つ訳ですから、

自分達がやれる事と云ったら

「信じられるに値する為の努力をする」
「覚悟を決める事が出来る様な知と経験を得る」

まずはここが基本となる訳です。
この基本を育てる場が「日頃の業」なのですね。

さて、貴方は自分を信じられていますか。

やればやるほど
難しさが身に沁みる
それが自分を信じる
という業なんやで

2026年10月5日月曜日

魂の座(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




家族、知人友人、職場、業務関係者、
日頃からコミュニケーションを取る為に
貴方はあの手この手で
悪戦苦闘している事と思います。

以前より話をしている通り、
コミュニケーションの基本であり
究極系は「会話」です。

単に言葉を交わすのが
「会話」ではありません。

そこに気持ちをしっかり乗せて
遣り取りをするのが「会話」。

その気持ちというのは、
想いでもあり念でもあります。

この手の話をすると
善い事ばかりを考える人や
無理にでもそちらへ結び付けようと

教え広める人が結構多いので
どうしても偏りがちなものでもあります。

実際のところ、「会話」というのは
想念の交錯がとても激しいです。
一瞬にして纏まることもあれば
爆散することもありますよね。

その時に、どうしても言葉のチョイスを
念頭に入れた成功や失敗を
考えてしまいますが、

実のところ、想いが入っていたか
念が入っていたか、

それらを意識していたかどうか
と、いうのが問題だったりします。

確かに、言葉のチョイスは必要です。
明らかに場違いな言葉を選定すれば
気分を害する人だっていますし、

大っぴらに誤解や勘違いを
招いてしまう危険性も出て来ます。

けれど、如何に適正な言葉を選ぼうとも
そこに気持ち、想いや念が乗っていなければ
会話としては意味を成さないのですね。

例え、眼の前で聴いていたとしても
スッと自身の中に入ってこないのです。

そして、その逆も然りです。
幾ら頑張っても相手に受け入れる器や
その気概が無ければ全く届かないのですね。

受け容れない訳ですから。




想いや念というのは
目に視えたり視えなかったりと
不確実性の高いものではありますが、

意外な部分で、
はたとその存在が視えたりします。

その一つが「抑揚」です。

こんな経験ありませんか。
会話ではないですけど、歌を聞いてる時に
音程も音階もバッチリなのに、

内容が全然入ってこなくて
感動もクソも無く聞くに堪えないという経験。
いわゆる満点の筈なのに良くないってやつです。

単に正しければ良いという訳でも無く、
揃っていればいいという訳でも無い。

そこに「気持ち」というのが乗っていないから
雑音にしか聴こえないのですね。

会話も同じです。
そこに「想い」や「念」が乗っているから
相手にも届くし自分にも響く。

ただ言っていますというだけでは
何も思わないでしょ。

当然、相手に届かせたいのであれば
努力が必要になりますが、
「相手次第」という不可分性もあります。

どんなに努力をしたとしても
相手の器が矮小だったり、
そもそも閉ざして塞いでいれば届きませんし
何も響きません。

それでも努力をする事が必要ですし、
自身に至っても理解する努力が必須となります。

そこで確実に視えている筈なのに
視えなくさせてしまっている本質と中身。

魂を宿らせているのかいないのか。
そこを意識して動く事が大切ですからね。

魂を座して使う
言葉も会話も
これを理解すれば
形だけの思い遣りも
隠れた自分本位も
純朴な想いも
見抜けるものなんやで

2026年10月2日金曜日

ありのままを...(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




貴方は人に何かを伝える時に
内容に編集を付け加えずに
そのままを話す事が出来ますか。

そんなの簡単だと思いがちですが、
これが実は結構難しいのです。

人には
自分本位という機能が備わっています。

この自分本位はあらゆる場面で
ひょっこりと顔を出すのですね。

どんなに小さい物事だとしても
人に何かを伝えようとする際も
それは変わらず存在します。

小さな出来事を大きく言ってみたり
出来事そのものに尾鰭を付けてみたり
逆に過少的な言葉で言ってみたり

ありのままそのままで
モノを伝えるというと
結構難易度が高い筈です。




そこには個人的な主観や好みも入ります。
貴方の立場や相手の立場などが
入り混じる場合もあります。

自分の事を善く見せたいという
俗欲が入る場合もあれば、

人から良く思われたいとか
恩を売る様な動きになる場合もありますね。

面白く伝える為に
嘘は云わずとも少し脚色をしてみたり

深刻な話になればなるほど
自分や自分のエピソードを現実よりも
色濃く見せようとしてしまったりもする。

これだけではないですが、
こういった事全てが自分本位です。

ありのままの出来事を
そっくりそのまま伝え話す。

相手が傷付かない様にとか
色々な意味で言い難い場合などは
言葉を選んだりはするにしても

ありのまんまというのは
知識、知恵、洞察力、語彙力、
理解力、認識力など様々な考えを用いなければ

どうにも難しい業(おこない)です。

けれども、相手のためや
自分以外の存在のためだと考えるのであれば
やらなくてはいけない業でもあります。

考えるよりも実践あるのみ。
やってみれば分かりますが、
頭では理解していても中々大変ですよ。

自分本位、つまり俗欲を制御したいのならば
避けては通れない業です。

思惑が交錯すると
シンプルに
なればなるほど
高難度になる
やってみれば
分かるんやで