2026年11月8日日曜日

己愛しき堕落への序(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




意識の方向が内側へと偏ってしまって
自分本位が強くなってしまうと

人のやる事が認められなくなったり
融通が利かないですとか、
相手の自由を奪ったり束縛をしたり

「寛容性」や「柔軟性」というものから
須らく遠退いてしまう様になります。

何をするにしても
自分第一で思考する訳ですから
「承認欲求」や「独占欲」が
非常に強まっていくのですね。

そして、それら俗欲を自分以外へと放出する。

この手のタイプの人は、
表面上のみでの優しさには特化しています。

単に綺麗な言葉を使うですとか
物腰的に柔らかいですとか、
叱る事の少なさですね。

所謂、綺麗事を多用します。

相手のためを考えるのであるならば、
褒める事も必要ですが
時には叱る事も必須となってきます。

ですが、怒ることはあっても、
叱るという点がほぼゼロなのですね。

前述した通り、
表面上でのやり取りに特化しているので
褒める事は得意です。

但し、本当に表面上での口車となります。

また、叱る事が少ないのは
自分自身が正攻法で動きたくないからです。

叱るということは、
相手を「正す」という事に繋がります。




相手を正したらどうなりますか。
当然ですが、まともになりますよね。
そうなった際に、自身にとって都合の良い事が
通らなくなる可能性があります。

つまるところ、我儘が言えなくなるのです。
正されちゃいますからね。

なので、叱る事はしない。
その代わりに「怒る」のです。

意外なことですが、ずっと以前にも話した通り
叱ると怒るの違いを知らない人ですとか、
分かっていない人や混同している人が多いです。

考えてみればすぐに分かることなのですが、
考えもしていないから
バカみたいに怒りの感情をぶつけているだけの
「怒り」を「叱り」だと履き違えてしまう。

そういうタイプの人ですと、
ここで問題視している自分本位な人にとっては
カモとしか言いようのない状態となります。

束縛をする為に怒りをぶつける訳で、
それを甘んじて受け入れるのですからね。

誤解をしないでほしいのですが、
怒りそのものが悪いのではありません。
それを緊縛目的で使うことが悪なのです。

こうやってお話をしていると、
職場などの人間関係のことや
夫婦やパートナーなどの関係性が
頭を過るのではないかと思いますが、

これは子供に対する姿勢でも同じですからね。

親から見た子供、ジジイやババアから見た孫。
ちゃんと人として視ているならば、
この意味がよく分かる筈です。

褒め過ぎや
怒り散らかしは
誰のためなんや
自分が楽したい
思う通りにしたい
どっちもクズの
思考やで

2026年11月3日火曜日

信と感謝(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




日頃から色々な感覚を基にして
過ごしていると思いますが、

自分の出来に溺れてはいませんか。

あれが出来たこれが出来た
こんな事に気付けた
あんな事に気付けた

色んな事に気が付けて気付けて

「やったぜ」「バッチリ」と

自分の事は褒め倒す事も結構な事ですが、
その「気付き」に寄与した存在に対して

ちゃんと「感謝」をしていますか。
ちゃんと「信じて」あげていますか。

その場に限った話で済ませていませんか。

パワースポットや神社などの限定的な場所や
何か素敵な景色を見た時だけ

特別な存在に声を掛けたりしていませんか。

そういう事をしているから
善い事が遠退いていくのですからね。




皆さんが大好きな龍神などを始めとした自然霊や
小さくて可愛い属性霊や愛嬌のある動物霊

特に何って訳ではないけど
手を差し伸べてくれるそこいらに居る普通のお化け

想いの力を使ってどうにかしてくれる
親しき人や名も無き能力者

どういった場面であっても
「存在」というのはそこに居るのです。
ふとした時であっても、
意図した時であってもです。

心震わせる事に出会ったり
素敵なものを見たり感じたり
何か救われる事があったり、
感じ取れることが起きたり

自分に都合良く解釈をするわりには
単なる偶然だと済ませていたりしませんか。

そこで「信じる」「信じ切る」
と、いう基本的な業をしていますか。

手を差し伸べてくれた存在の想いを
無碍にする様な真似をしていませんか。
ちゃんと
「ありがとう」という言葉を発していますか。

崇め奉るのではなく、フランクに気軽に
「そこに居る」ことを認識して信じて
感謝の気持ちを発していますか。

視える視えないではなくて
感じたのだからそこに気持ちを述べる。
救ってもらえたり喜べたり
気付いたのであれば気持ちを述べる。

当たり前の動きをしていますか。
忘れてはいませんか。

自分に都合よく
創り上げるのが
気付きではない
そこに居る存在と
想い遣り合うのが
気付きなんやで

2026年11月1日日曜日

まずは基本を思い出そう(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




思い遣りというのは想像しているほど
簡単なものではありません。

ですが、
誰でもやれるものでもあります。
人を想いそこに自分本位を
入れなければ思い遣りは出来上がります。

けれど、そんな場面ですら
邪魔をしてくるのが自分本位であって

如何に自分以外を優先させるかが
鍵となってくるのですね。

そこで誰しもがやろうとしてしまうのが
「自分本位の抑え込み」です。

自分本位を嫌うがあまり
恐れるがあまり
どうにか出て来させない様にと

自分自身の中に抑え込もうとする。

もしくは、自分本位そのものを
消してしまおうと考えてしまう。




しかし、それは愚行なのです。
自分本位というのは俗欲でもあります。

俗欲という事は、「念」とも言えます。

「念」という事は
「想い」と背中合わせの存在。

つまり、消そうにも消せない
自分の大切な一面なのですね。

それを無理に抑え込もうにも
そもそもですが、そう考えている時点で
俗欲なのですよ。

何のために抑え込みたいのか。
どうして自分本位を忌み嫌っているのか。

自分が嫌な思いをしないために
自分本位を抑え込もうとしても
言う事なんて聞いてくれません。

大切なのは自分本位やそれを具現化している
「駄目な自分」を認める事です。

抑え込むのではなくて仲良しになる。

この考えに基いた動き方が出来ないと
思い遣りというのは表面上で留まってしまい
結果として恨みを買うことに繋がりますからね。

いつでも
何処でも
自分本位は
出て来くんねん
人は楽をする
生き物やからね

2026年10月27日火曜日

純朴なる知は力なり(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




「正直者が馬鹿を見る」
と、いう言葉があります。

個人的には非常に好まない言葉なのですが、
世の中を描写するという意味では

これほどピッタリな言葉は
無いのではないかと僕は考えています。

学校や職場、または知人友人や
家族間や親族間などの対人関係などで
この言葉がマッチする場面は多々ありますよね。

ここで、正直者は何ら問題無く善い方で
そうでないズルい奴が何もかも悪いのだと
言い切ってしまう人も居ると思いますが、

それは少々間違っています。
正直だから何ら過失無く善いのかというと
そういう事ではないのです。

正直に進ませたいのであれば、
ありとあらゆる知識や情報を余すことなく
取り入れる努力をしなくてはいけません。

そういった努力をせずに
単に正直に突き進むというのは、
武器を揃えている敵陣へ丸腰で突っ込むのと
同義とも云える様な愚行です。

ズルい相手というのは、
どんな立ち位置であろうとも「楽」をして
自分の事を善く魅せたいという存在なのですから

そこに立ち向かうには知識を以て
理論武装し相対するよりほか打つ手がないのですね。

そういう努力をせずにへこたれたりしていても
何も解決などする事はありません。

この知識と云う武装の中には、
「相手の特徴を見極める」というものも入ります。

一体、どういった思考回路なのか。
何が目的なのか。何をしたいのか。

そういった特徴は言うなれば攻略のヒントです。
また、このヒントは必ず表に出ています。
隠す事が至難の業なのですね。

特にズルい相手というのは、
自己顕示欲と承認欲求に酔いしれていますから
フィクションに出てくる様なスーパーヴィランは
まぁ居ないと思った方が良いです。

つまり、「バカ」ということです。




そして、ズルい相手というのは、
「絶対安全圏」からでないと攻撃してきません。

ここで云う絶対安全圏というのは、

ズルい相手が「得意とすること」や
「反論をされない場所」や
「立場や地位を振りかざせる場所」という領域を指します。

それは暴力かも知れないし、暴言かも知れないし、
意地悪かも知れないし、職場かも知れないし、
家の中かも知れないし、教室や学校の中かも知れないし、
スクールカーストかも知れないし、役職かも知れない。

ネットの中でのみという場合すらありますし、
これらのハイブリットだったり混合だったりと
様々な領域が相手の絶対安全圏なのですね。

こうして書くと絶望的な感じがしてきますが、
実は結構狭いものなのです。
相手が多人数に膨れ上がる事もままありますが、
それはあくまで一時的な共感や強要によるものなので

時間経過や立場の欠損と共に瓦解していきます。
要は、「繋がりが脆い」という意味です。

これら絶対安全圏を相手は隠そうとしませんから、
どの範疇でどの範囲なのかは見て直ぐに分かります。

それであるならば、その土俵に乗らなければ良い。
同じ土俵で馬鹿正直に戦おうとするからバカを見るのです。

どうせやり合うならば、自分の土俵に乗ってもらう。
相手からすればアウェー戦です。
そうなる様に誘導をしてあげるのです。

考える事をほぼほぼ放棄している様な方々なので、
楽が出来るのであれば自ら誘いに乗ってきます。
バカとはそういう存在ですからね。

いじめや各種ハラスメントといった
コンプライアンス違反をしてくる相手と対峙するならば
こういった知識が絶対条件として必要なの。

こういう事も考えずに、
「正直者が...」などと云ってたり
自ら手を尽くさずに他人へ助けを請ったところで

今度はそこで良い様にされるだけですからね。

「よく視て」「よく聴いて」「よく考える」

実戦で培った基本的な動作と思考の三原則は
何よりも効果を発揮しますよ。
本来のスピリチュアルは現実の中でこそ活かすもの。

それを忘れずに普段より不断の努力を積む事が
正直者がバカを見ないで済む第一歩ですからね。

机上の空論や
夢物語的な
理想論ではなく
傷付きながらも
実戦の中で
得たものは
裏切らないんやで

2026年10月24日土曜日

肩を張らずに苗床を作る(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




日頃から様々な物事に
興味を持つ事が出来るかどうかで
その先の対応や対処が変わってきます。

興味を持つという事は、
色々な知識を手にすることに繋がります。

知識と云うのは
「情報」とも言い換えられます。

この世の中と云うのは、
全てが全てマニュアルやシナリオに沿って
動いている訳ではありません。

お題を設けてくれる事もありますが、
それはほんの一部に過ぎません。

大半の物事や事象というのは、
「突発的な内容」によって作られています。

「今日はこれをやりましょう」
「お題はコレです」

と、云うような感じで
内容の指定がされたりする事もありますが、
これらが道標通りに進むという確約など
実際にはどこにもないのですね。

突発的な物事への対処や対応というもので
武器として使えるのは、

「知識」と「経験」のみです。

「経験」と云うのは、
読んで字の如くな代物です。
その場の空気感的なものも此処に含まれます。

肌身で感じ取ったもの
視聴きして触れ得たもの

というのが経験です。
また、過去の成功だけではなく
失敗も含まれます。




知識というのは、前述した通り情報です。
情報を得るだけならば、
一方的に流れてくるものもありますから
興味など持たなくてもくても別にいいです。

ですが、興味を持って得たものの方が
得ている知識・情報の品質が高くなります。

一方的に垂れ流された情報のみならず、
自身から率先して情報を掬い取りに行くので
少なからず精度を上げたくなるのですね。

そこに俗欲や自分本位が絡んでくると
クオリティは著しく下がりますが、
そうでなければ確度は上がります。

誰もが必ずしも高品質化しないのは、
興味を持った事に対する認識力や理解力、
変換能力での差が生じるからです。

これは個人別での性質や体質の違いなので、
善いも悪いもありません。
平たく言えば、「個性」です。

ここでの差が、後にシングル仕様となるか
マルチプル仕様となるかに分かれます。

1つの物事から一つの事しか抽出出来ないのか、
それとも1つの物事から複数の情報を
得る事が出来るのか、という意味合いです。

何でもない普段の生活をしながら
有事ではなく平時に於いて
如何にこれを実行出来るのかが、

アクシデントが起きた際に活かす事の出来る
テクニックへと換える事が可能なのですね。

興味を持たずに放置をしておくと
人は物凄い速さで自分本位が強くなっていきます。
何故なら、興味を持たない事自体が
「楽」へと繋がっていくからです。

興味を持つ言うても
専門家になる必要は
全く無いんやで
あくまでも情報や
経験を得るための
きっかけの話やで