今回は動き方について
お話をしたいと思います。
人はいつでも救う側と救われる側に
身を置く事になります。
どちらか一方という意味ではなくて
常に両方に身を置くという意味です。
それが時と場で変わるだけ。
そして、それは必ずしも
救えたり救われたりする訳でもないです。
どうにもこうにも
ダメな場合だってあります。
救えないとか救われないという事です。
自分自身を第一に考えて、
努力と云うものをせず
何かへの依存を恒久的に辞められない存在。
立場と云うものに固執して
常に自身を優位な状況下へ置いておき
他者を見下して蔑み、
立場が自身より上の存在には媚を売り
己の立ち位置のみを優先的に
保持しようとする性根の持ち主。
自身が原因だとは決して考えずに
何かにつけて人の所為や物の所為に
する事を志とする思考の存在。
貴方が救う側となっている際に
こう云った存在に出くわしたら、
相当な苦労をする事になります。
何故なら、
一定の条件が整わない限り、
こうした存在を救う事は叶わないからです。
厳密に云うならば、
救う前に貴方が力尽きてしまうか
貴方自身が負の影響力を受けてしまって
闇の領域へ足を踏み入れてしまうからです。
結果として、救う迄には至らない。
そういう結末が実際に起こり得ます。
これは、
救う側の器の問題とも云えますが、
それは救われる事ありきでの思考であって
ナンセンスでしかありません。
この現世は
基本的に救われる様に出来ています。
但し、それは努力を怠らずに
自身の四肢を使って前へと進む尽力を
認められた場合に限るものです。
四肢とは言いますが、別にこれは
身体のどこかに不具合や欠損があっても
同じ事を意味します。
自分の意志で前へと歩む
その努力をするという比喩です。
いくらきっかけを得ようとも
理に適った教えを請う事が出来たとしても
その場だけでなく日頃から使って動いたり
動く為の気概が無ければ
結局はその時々を凌ぐ事に躍起となり
陳腐なプライドに固執するあまり
理解したフリをして他との共感よりも
自らの威厳を優先させます。
その結果、
無理をする流れとなるので、
いずれは身を保てなくなりボロが出るから
それまで依存していた相手や存在すらも
自身を貶める魔的な存在として
手の平を返した動きをする様になる。
こうした中で、
親身になっていてくれる存在すらも
悪と断じて自身の敵としてしまう。
ある一定の条件下で
場が整っている状態や状況以外は、
遅かれ早かれこの流れとなり堕ちます。
そして、
ある一定の条件下とは想いを軸とした
「素直さ度の上昇を施す環境」を指します。
この意味合いを当の本人が理解や
認識をしない場合、
救う側が負の螺旋へ取り込まれて堕ちます。
なので、どこかのタイミングで
救うか引導を渡すかの判断を迫られるのです。
これは非常に辛く哀しい決断となりますから、
見定める為の知識を以て悔いのない様に
最大限の努力をしたいと考える筈です。
皆さんへお話をしているのは、
その為の指針と心構えに外なりません。
誰かに救われるのも
日頃の業の中での
努力や尽力と
俗欲を制御する為の
膂力たる素直さ
これしかないんやで





