2026年6月3日水曜日

想いを使い熟す(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




想いによって形成される場の事を
「想いの力場」と、云います。

見た目の感じですが、
自身や対象を包む淡い色をした
限りなく透明な柔らかくて堅い球体

みたいなものだとイメージしてもらえれば
良いかなと思います。

想いの力場自体を発生させるのは
誰でも可能です。
但し、幾つか条件があります。

1:
自身並びに対象の中の「念」が想いを
バランス的に上回っていない事

2:
自身から対象への想いが薄れる
または消えないこと。

この二つが想いの力場の
発生及び維持に関する最大の要件となります。

1は、基軸に関する話です。
想いの力場なのですから
基本的には「想い基軸」でないと発生させたり
維持させたりする事が出来ません。

ですが、例外として、
自身の想いの総量が対象を
大幅に上回っている場合のみ、
ほぼ単独で想いの力場を形成させる事が出来ます。

しかし、この場合の想いの力場は
必然的に薄めとなりますので、

維持をする事に関して支障が出て来ますから
対象への現状の説明や解説というのが
必須となってきます。

2は、想いの総量に関する話です。

力場形成後に想いを保持する事が出来ない場合や
出来なくなった場合などは、
当然に力場の維持は困難となります。

一方もしくは互いに、想いを薄れさせる

例えば、
幻滅を含んだ意味での
自身や対象を嫌悪するとか
想いの種類に変化が生じるなど

こういった場合に「想いの総量」は薄れます。




ここで注意しなくてはいけない点は、
想いの保持が出来ない若しくは出来なくなった
と、いうものに「死は含まれない」という点です。

仮に自身か対象が亡くなったとしても
それは肉体が機能しなくなっただけですので、
想いや念というのは引続き保持されます。

但し、死後に生前の想念の保持や
基軸維持をするのは当人の器のサイズ、
霊体や幽体の状態や霊格の高さによって
往々にして変わってきます。

話を戻しますが、

力場の維持はこれらの要件の保持が
鍵となってくるのですね。

維持する為には何はともあれ
想いの保持が必要なのですから、

想いを阻害するものを
制御するしか方法がありません。
想いと対を成すのは念ですね。
つまり、「俗欲の制御」をする外ないという事です。

想いを増幅させるという方法では駄目なのかと
頭の切れる方々は考えると思います。
ですが、
以前からお話をしている通り

それに関しても「俗欲の制御」が一番の方法です。
何故なら想いを阻害する要素を制御する訳ですから
それは必然的に想いの増幅を意味します。

俗欲の制御という動きの最たるものは
「日頃の業」となります。

要するに、日々の努力そのものが
想いの保持へと繋がるという事ですね。




そして、想いの力場が形成されていると
それまで発生してきた嫌な事や
不可思議な出来事や難点、

様々な問題点の発生数が減衰したり
無くなったりします。

これは想いの力場形成と伴に
正の螺旋へと転じる事によって
「幽体の整い作用」があるからです。

幽体が整うと肉体や見た目への変化が生じます。
それは個々体では雰囲気として出たりするので
とても感じ取り易くなります。
人によっては視認する事も可能です。

早い話が、善くなっていて
非常にエネルギッシュな状態となりますから、
念主体の存在からすると近寄り難くなるのですね。

念主体の存在というのは、
貧乏神を含む生きている念基軸主体の存在や
既に死んでいる悪霊など全ての存在を指します。

結果として、それまでの災厄や忌み事を
どんどんと退ける様な流れとなり、
善い方向へと進んでいくという訳です。

最後に気を付けてほしい事は、
それまでの災厄が減るのであって
善い事が増えたり出てくる訳ではありません。

嫌な事が減るのですから、
事実上の善い事が増えたという事になりますよね。
この理屈を決して忘れてはいけません。

俗欲の制御を行う上で、
想いの力場の維持をする上で、
最上位で重要な「事実」ですからね。

自分のために善い事を増やそう
なんて思考だと、

何を先鋭化させて何を失うのかを考えられれば
こんなの言われるまでも無く分かる「真実」です。

あにきバリアーの
保持力は
伊達じゃないんやで
とは言えそれは
支え合いがあっての
ものやからね

2026年6月1日月曜日

自分に負ける(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




何か苦境に陥った際にその苦境から
脱したいと考え人は動きます。

つまり、答えを出したいという事ですね。

その時というのは、
自分との戦いとも云えるべき状態なので
相当必死にならないと
状況の打破というのは難しくなります。

ここで云う状況の打破とは、
必ずしもその状況に於いての好転とは
限らない物を意味します。

例えば、
失敗しそうな事が成功に繋がったとか
そういうものだけではなくて、

失敗しそうでそのまま失敗してしまった。

と、いうのも状況の打破です。

その状況から変わっていますからね、
打破です。

その状況を脱する事による
本質的な意味での答えというのは、
打破した先に出てくるものですから

打破後の動きが
本当に重要なものとなります。

その動きをする時というのが
自分との戦いとなります。

この勝負に勝つか負けるかで
その先の選択肢が変わってきます。
と、云いますか
「道筋」が変わる感じです。

自分との戦いというのは、
一言で表わすならば

「楽を取るか否か」

であると云えます。

自分に勝つというのは、
自分の中の「楽になりたい」という俗欲に
打ち勝つという事です。

その逆で
自分に負けるというのは
「楽になりたい」という俗欲に
流されるという事となります。




ここで、楽を取るか取らないかで
その先での自身の動き方に
制限が付加されます。

自由度が減るという意味です。

また、自身の中での世界が狭い場合でも
楽を取ることが多くなります。

自身の中の世界というのは
自分に於ける現実です。
自分の身の回りのみが現実という状態が
狭い世界となります。

子供の時を思い出してみて下さい。
学校と家の往復が基本でしたよね。
地球は広い世界は広いと分かっていても
貴方の世界はかなり限定的だった筈です。

これが「狭い世界」です。

子供と違って責任を持っているのが大人です。
大人でこの状態のままですと、
現実が極端に小さい訳ですから

自身の選択する方法や思考なども
かなり限定的になっていくので
自然と思考停止へ繋がる流れとなります。

その渦の中で考えは悩みへと変わります。
悩むと更に思考停止して逃避へと変わります。
何を選んだら良いのかが分からなくなるからです。

そして、信頼の置ける人物に聞くのではなく
何処の馬の骨かも分からないネット情報や
今ですとAIに頼り過ぎる様になっていく。

結果として、
間違った選択肢や自身に都合の良い選択を
踏む事になるので、自分に負ける事になるのです。

一度負けたら終わりという訳ではないですが、
その後の歩みは確実に限定的となっていきます。
故に、その先も楽を取る事が常態化していく。

幸せや愉しみ、想いや思い遣りとは
遠く懸け離れた人生となっていくという意味です。

色々と知って
勇気を持って
世界を大きくする
その努力が
必要なんやで