今回は考え方について
お話をしたいと思います。
自身が自己憐憫に陥り易いかどうか
その境目となるのが
「支えられていると考えているか」
「支えていると思っているか」
この考え方の違いです。
「自身が周りから支えられている」と、
考えられるのであれば、
基本的な思考と動作や所作は
「相手のため」や「周りのため」
と、いうものに自然となっていきます。
この思考形態の場合ですと、
基準となるのが自分ではなくて
「自分以外のため」となりますから、
日常的に反省と考察を繰り返します。
次に繋げていく考え方が主となる感じです。
ですので、
憐憫とは距離を置く様な感覚に近いと
考える事が出来ます。
これとは逆に、
「自分が周りを支えている」
と、いう考え方の場合ですと、
基本的な思考や動作所作というのは
口先では、
「相手のため」や「周りのため」と
枕詞の様に付帯して行動しますが、
「自分のため」が主流となります。
一見すると、前者と似ている様に思えますが、
決定的な違いとして
「相手のため」等の言葉を口にする
という点が見受けられます。
一先ずは自分というのを置いておき、
自分以外のためにまず動くといった、
奉仕の精神での思考や行動が理解出来ないのと
周りには同様に考えている風に思われたいという
承認欲求が強い為です。
そして、反省や考察というものの
意味は理解をしていますが、
自身が失敗をした時にすべきものとの
認識が強いので、
日常の中での反省等は前者に比べると
極端に少ないのが特徴です。
自身の反省よりも人の失敗を見て楽しむ。
同時に極端に自身が失敗する事を忌避します。
結果として、失敗後も反省ではなく
言い訳や擦り付けが主となるので、
自身の失敗を目の当たりにした時に、
自分を「上手く出来ない被害者」
と、いう位置付けにしてしまいます。
ここが自己憐憫を加速させるポイントです。
反省よりも自身を善として
悪を構築させるのですね。
勿論これは逆恨みでもあり、
単なる我儘に過ぎません。
反省を日常的に利用していないので
使い方も理解していませんから、
思考は穿ったものとなり前進的な思慮よりも
停滞的な動きがメインとなります。
褒めると直ぐに調子に乗るという
分かり易い特徴も出てくるので
見極める事は容易いです。

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