2026年10月24日土曜日

肩を張らずに苗床を作る(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




日頃から様々な物事に
興味を持つ事が出来るかどうかで
その先の対応や対処が変わってきます。

興味を持つという事は、
色々な知識を手にすることに繋がります。

知識と云うのは
「情報」とも言い換えられます。

この世の中と云うのは、
全てが全てマニュアルやシナリオに沿って
動いている訳ではありません。

お題を設けてくれる事もありますが、
それはほんの一部に過ぎません。

大半の物事や事象というのは、
「突発的な内容」によって作られています。

「今日はこれをやりましょう」
「お題はコレです」

と、云うような感じで
内容の指定がされたりする事もありますが、
これらが道標通りに進むという確約など
実際にはどこにもないのですね。

突発的な物事への対処や対応というもので
武器として使えるのは、

「知識」と「経験」のみです。

「経験」と云うのは、
読んで字の如くな代物です。
その場の空気感的なものも此処に含まれます。

肌身で感じ取ったもの
視聴きして触れ得たもの

というのが経験です。
また、過去の成功だけではなく
失敗も含まれます。




知識というのは、前述した通り情報です。
情報を得るだけならば、
一方的に流れてくるものもありますから
興味など持たなくてもくても別にいいです。

ですが、興味を持って得たものの方が
得ている知識・情報の品質が高くなります。

一方的に垂れ流された情報のみならず、
自身から率先して情報を掬い取りに行くので
少なからず精度を上げたくなるのですね。

そこに俗欲や自分本位が絡んでくると
クオリティは著しく下がりますが、
そうでなければ確度は上がります。

誰もが必ずしも高品質化しないのは、
興味を持った事に対する認識力や理解力、
変換能力での差が生じるからです。

これは個人別での性質や体質の違いなので、
善いも悪いもありません。
平たく言えば、「個性」です。

ここでの差が、後にシングル仕様となるか
マルチプル仕様となるかに分かれます。

1つの物事から一つの事しか抽出出来ないのか、
それとも1つの物事から複数の情報を
得る事が出来るのか、という意味合いです。

何でもない普段の生活をしながら
有事ではなく平時に於いて
如何にこれを実行出来るのかが、

アクシデントが起きた際に活かす事の出来る
テクニックへと換える事が可能なのですね。

興味を持たずに放置をしておくと
人は物凄い速さで自分本位が強くなっていきます。
何故なら、興味を持たない事自体が
「楽」へと繋がっていくからです。

興味を持つ言うても
専門家になる必要は
全く無いんやで
あくまでも情報や
経験を得るための
きっかけの話やで

2026年10月19日月曜日

苦悩感情解放戦線(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




辻褄の合わない事を言われたりすると
ムカつきますよねぇ。

では、貴方はどうですか。

いつも整合性のある思考回路で
キッチリした事を述べていたり
全てに於いて間違いが無いと言い切れますか。

一定の状況下や条件下に於いて
整合性や合理性というのは

社会秩序や規範を補う上で絶対的と呼べるほど
必須な思考ではあります。

然しながら、
そこへ注力ばかりをしていると
まともな社会生活など送れる事はありません。

時と場合、ケースバイケース、その時々、

言い方は何でもよいですが、
一方向のみで堅く捉えること無く

柔軟性を全面的に出した動きをする事が
本来のスピリチュアルでは大切になってきます。

矛盾という言葉自体を覚える時に
当然ながら「辻褄のあわないこと」だと
誰しもが教わりますので、

その時点で
善い印象を抱く人は少ないと思います。

けれども、よくよく考えてみると
特別悪い事であるとは
言い切れないのが事実です。




実際に、人の思考と云うのは
「矛盾そのもの」であると僕は考えます。

今考えている事であっても、
それ以前の事であっても、
筋を通し切っているものもあれば
割と簡単に捻じ曲げてしまうものもある。

どんな物事でも一方向からの視野であるならば
その反対に位置している事を思考すれば
何に於いても辻褄は合わなくなります。

ましてや、思想や信条に関わる事なら尚更です。

感情や心情に於いても例外ではなく、
ニュートラルな立ち位置での思考でない限り
矛盾は発生します。

ここで、気が付く人は気付きます。

矛盾そのものを消去する事は出来ない。
寧ろ、その矛盾を愛でるくらいの
「視野の広さ」と「器の大きさ」が
生きる為には必要なのだという点です。

観念を固定化させずに、
必要であるならば反対側に位置するものでも
柔軟に使うこと、使える事が大切なんですね。

自由度の高いライブラリーやアーカイブを
自身の中に設ける様な感じです。

ここでの気を付けるべき点と云えば、
決して「いいとこどり」ではないという面。

自身にとって嫌な事や辛い事であったとしても
そこに該当するので使うという点です。
ライブラリーやアーカイブですからね。

過去ログみたいなものでもあるので、
選り好みなんて節操の無い真似は
出来ないのですよ。

悩んで辛い時からの解放は
柔軟性を以てして矛盾を愛でれば善いのです。

矛盾を愛でるのは
ある意味で
自分との戦いや
それまでの自分
これからの自分
色々あった方が
ええと思わん

2026年10月18日日曜日

楽と無理(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




前回は頑張るという話をしました。
その中で、

「楽をする」と「無理をしない」
と、いうワードが出てきました。

本来のスピリチュアルに不慣れな方は
少々混乱されたかなと思います。

同じなのではないかと思えるこの二つ、
実は明確に違います。

動きとしては確かに似通っています。
肩を張らない的な意味合いに
違いは無いですからね。

然しながら、その意味の指す
意識の方向が変わるのです。

楽をすると云うのは
「自分のため」であって
意識の方向は内側へ向いています。

無理をしないと云うのは
「自分以外のため」であって
意識の方向は外側へ向いています。

所謂、「何のために」という点で
大きな違いが出てくるのですね。




ワードだけを取って見ていると
違いなんて無いものだと思えても当然です。

けれど、
ここでは「頑張る」という業の中での
この二つの立ち位置の話なのですね。

それを理解していれば、
説明が無くとも意味は薄っすら分かってきます。

「自分のために」という動きをすると
動きはどんどん緩慢になっていき、
やがては何もしなくなります。

元々、人はだらしのない生き物です。
動かなくて良いのであれば
何もしたくないのが本音ですからね。

それが自分中心となれば尚更加速します。
「楽をする」の行き着く先は
「動かない」であって

つまりは、「堕落」へと繋がってしまうのです。

それの裏側に位置しているのが
「無理をしない」という動きです。

「自分以外のために」という動きと云うのは
活力が湧いてきます。
動きとしては加速する感じです。

けれど、そこに落とし穴があって、
今度は無理をしてしまうのですね。

そうなった時に、余計な事をしてしまう。
「もっともっと」という俗欲が
ひょっこりと顔を出してしまうのです。
自分本位のお目見えです。

前回もお話をしましたが、
それではせっかくの頑張りも
本末転倒な結果となってしまう。

なので、自分以外のために「無理をしない」
この辺で止めておこう。
と、いう匙加減を使う事が出来るのです。
それは「昇華」へと繋がります。

同じ様に視えて全然違う二つの業。
これらの意味を理解して、
使い熟す事が想いの遣り取りには
必要になってくるものなのですよ。

楽と無理を
理解する
頑張ることが
普通じゃないのは
こういうところで
分かるんやで

2026年10月17日土曜日

頑張れる事は普通じゃない(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




頑張ることは大切です。
仕事だろうと日常の生活だろうと
何をするに於いても
頑張れることが重要になってきます。

ですが、ここが考え様な部分でもあって
頑張り過ぎてしまうと
色々と壊してしまうのですね。

頑張るという事自体が
結構勘違いされるものでして、

何となく「誰でもやれるもの」
と、いう感じの解釈で過ごされている方が
多いかと思うのですが、

実はそうではないのですね。

世の中には頑張れない人や
頑張ることを知らない人も多いです。

自身で設定したかどうかは別として
目標や目的に向かって頑張る。
これが、金銭や物品じゃないと
動く事すら出来ない人も居れば、

ごく短期間などでないと動けない人も居る。

相当に限定的な状況や環境だったり
明確な物質的見返りを得られないと
頑張ることが出来ない。

手っ取り早く
手間を掛けずに
ただ只管に楽をして
簡潔に動きたい

自身で考えることすら放棄して
人に考えてもらって
その通りに動いて
利益だけを手にしたい

そういったタイプの人が存在します。
少なくともこれは頑張りではないです。




頑張るということは普通の事ではなくて
実は結構特殊な事なのですね。

度合いや頻度にもよりますが、
頑張るためには
相当に意識を高めたり維持したりと
かなり努力をしないといけません。

何よりも、自身で考えないといけません。

目標の設定、目的の選定、手段の精査、

何のためなのか
誰のためなのか
何がしたいのか
いつまで掛かるのか

最初から最後まで終わりの見える事もあれば
闘病など終わり自体が視えないことだってある。

全てに於いて
厳しさを求めるものではないけれど、
楽というものとは懸け離れたものであることは
間違いないのが「頑張る」という業です。

だからこそ、常日頃から頑張っている人は
「無理をしない」
という心掛けが必要になるのです。

頑張ることはとても大切ですが、
無理をしてしまうと
その頑張り自体が、自身の肉体や幽体自体が
潰れてしまったりすることもあります。

それでは本末転倒です。
なので、頑張っているのであれば無理はしない。

無理をすると幾ら自分以外のために
動いていたとしても、その奉仕の精神が
無理によって自分のためという
自分本位へと知らぬ間に変貌してしまうのです。

これによって起こる弊害、想いと念の反転を
「過剰蓄積」と云います。

楽をするのではなく、無理をしない。
頑張るために必須な心掛けですからね。
忘れない様に動いていきましょう。

楽と無理をしない
似ている様で
全く違う
そこはまた今度
お話するんやで

2026年10月13日火曜日

過ぎた簡単は地獄への道標(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




苦しみも悲しみも愉しみも嬉しさも
日々感じる事が出来る感覚は
全て同じところにあります。

例えばですが、

苦しみを感じている時は苦しさだけで
愉しみなんか感じ得ない

そういった具合で
考えてしまいがちですが、

実際のところは、
苦しみを感じている時でも
愉しみを同時に感じているものですし、
その逆も然りです。

苦しみや愉しみを同じ事象や出来事で
同時に感じ得るという事でもありません。

仕事で叱責されて苦しんでいたとしても
同時に趣味のものなどやプライベートな事を
やったり考えたりするなると

愉しんで愉しんで愉しみまくれたりするでしょ。

あたかも心の中は苦しみに支配されていると
考えてしまっている様な時でもです。




人は、1つの感覚や一つの感情で
心の中や精神性を支配しようとしたり、
合理的に纏めようとしたりする癖があります。

悲しい時は悲しく
嬉しい時は嬉しく
苦しい時は苦しく
愉しい時は愉しく

ですが、そう単調に切り分けられる程
人と云うのは簡単なものではないのです。

感情や感覚というのは同じ位置にあって
表裏一体で存在しているものなのです。

片側だけに偏らせて意識をしようとしても
上手くいく事など土台難しい事です。
偏らせて思考したところで
一時的に上手く立ち回れたとしても

その反動は必ず自分に戻ってきます。

で、あるならば両方を思考する様な感じで
動こうとした方が無難ですし建設的です。

愉しい事ばかりを得ようとしていれば
その最中に苦しい事が起きた時に
容認できない様な状態となって
動きの中で落ち着きを失いますし、

悲しい事ばかりを考えていれば
その最中に嬉しい事が起きた時に
過剰に反応したり過大評価した状態となって
動きの中で誤った選択をする事に繋がります。

やはり落ち着きを失ってしまうのですね。

何かしらの感覚や感情を中心核に据えて
業を実行している最中だとしても
そこには対面となる感覚や感情も存在する。

その理屈を常に頭の片隅へ置いておくだけで
冷静さと云うのは身近なものへと
変わっていくのですからね。

感覚や感情は
簡単どころか
困難の極みなんや
それを無理に
簡単に考えるから
得られるものすら
得られないんやで