今回は動き方について
お話をしたいと思います。
日頃から色々な感覚を基にして
過ごしていると思いますが、
自分の出来に溺れてはいませんか。
あれが出来たこれが出来た
こんな事に気付けた
あんな事に気付けた
色んな事に気が付けて気付けて
「やったぜ」「バッチリ」と
自分の事は褒め倒す事も結構な事ですが、
その「気付き」に寄与した存在に対して
ちゃんと「感謝」をしていますか。
ちゃんと「信じて」あげていますか。
その場に限った話で済ませていませんか。
パワースポットや神社などの限定的な場所や
何か素敵な景色を見た時だけ
特別な存在に声を掛けたりしていませんか。
そういう事をしているから
善い事が遠退いていくのですからね。
皆さんが大好きな龍神などを始めとした自然霊や
小さくて可愛い属性霊や愛嬌のある動物霊
特に何って訳ではないけど
手を差し伸べてくれるそこいらに居る普通のお化け
想いの力を使ってどうにかしてくれる
親しき人や名も無き能力者
どういった場面であっても
「存在」というのはそこに居るのです。
ふとした時であっても、
意図した時であってもです。
心震わせる事に出会ったり
素敵なものを見たり感じたり
何か救われる事があったり、
感じ取れることが起きたり
自分に都合良く解釈をするわりには
単なる偶然だと済ませていたりしませんか。
そこで「信じる」「信じ切る」
と、いう基本的な業をしていますか。
手を差し伸べてくれた存在の想いを
無碍にする様な真似をしていませんか。
ちゃんと
「ありがとう」という言葉を発していますか。
崇め奉るのではなく、フランクに気軽に
「そこに居る」ことを認識して信じて
感謝の気持ちを発していますか。
視える視えないではなくて
感じたのだからそこに気持ちを述べる。
救ってもらえたり喜べたり
気付いたのであれば気持ちを述べる。
当たり前の動きをしていますか。
忘れてはいませんか。
創り上げるのが
気付きではない
そこに居る存在と
想い遣り合うのが
気付きなんやで














