2026年9月5日土曜日

天視地認(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




常日頃から話していますが、
物事と云うのは表裏一体で
成り立っています。

想いは想いだけで成立してるのではなく
念が同じ位置、同じ場所、同じ場面で
そこに居るから想いが成り立ち

その逆に念も想いがあるから
成立する様に出来ているのですね。

光があるから陰が出来て
陰があるから光が際立つ

考え方や
それに沿った動き方についても同様で

片側だけに偏らせずに
あくまでもニュートラルな視点で
ニュートラルな動き方をするというのが
大切なのですよと

以前から教えていますね。




例えばですが、

無理を続けていれば、健康を失うし
遠慮を続けていれば、機会を失くすし
悪口を続けていれば、信頼を失くして
我慢を続けていれば、己自身を失くす

挙げ始めればキリがないほどに
色々な物事や事象が
こういった動きに則っているんですね。

自身が嫌な状態ですとか、
辛い状況ですとか
上手くいかないと嘆いている時は

どこかで必ず何かを必要以上に続けていて
そこに相まって何かを失くしている。

その結果として辛さや苦しさが
表面化したり具現化したり
溢れてしまうという感じなのです。

改善させたいとか
脱却したいと考えるのであれば
まずは己の動きを視ないといけないですし、

宜しくない流れとなっていて
その渦中に
自ら飛び込んでいるのだという事実を

勇気を持って認めないといけないのですね。

駄目な自分を認めようというのも
元を質せばこういった表裏一体の原理から
導き出した話なのですよ。

前に進みたいなら
後ろも視るのさ
歩んできた道や
してきた事を
改めて見つめ
認める事が
大切なんやで

2026年9月3日木曜日

無知、悔恨、起死回生(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




悔しい出来事があった際に
恨み節を奏でてしまったり
過剰に自身を責めてしまったりするのは

少し違うと考えましょう。

大切なのは何故に悔しい思いをしたのか
真の原因というのは一体何なのか

と、いうのを探らなければなりません。

目先で起きた出来事から
1つ1つの要因を探っていく過程で

自分以外への批判や批難をしたり
致し方無しと逃避をしたり

色々な考えが巡る筈ですが、

原因を探るために真実へ潜ろうと
すればするほど、
自身が原因であり要因の一つであると

気が付いてしまうものです。




「あの時こうしておけば良かった...」
「こうする事が出来たのでは...」
「何故こう出来なかったのか...」

考えれば考えるほど
自己嫌悪や自己憐憫に陥りそうな感じですが

いつも教えている様に
お話をしている様に
冷静に俯瞰で視て
客観的にニュートラルに捉えてみると

自身に知識が無かった事や
経験が足りていなかったことなど

圧倒的な情報不足や経験の不足が
悔しさの要因であり原因であると

ハッキリ気が付くことができ
そして、理解することが出来る筈です。

その時の相手の発言だけに
耳を傾けがちになりますが、

その発言に対する自身の発言や
立ち回り方や先見の見出し方や
問題点の見抜き方や論点の落し処など

これまでの自分が手を抜かずに
日々の生活や日頃の業の中で

興味を持って行動し
勇を用いて飛び込んでいったり

そういった動きが多かったら
悔しい思いをする事自体が無かったと
理解してしまうはずです。

それらやそれらで得られるものこそが
即ち「知識」や「知恵」
つまり、「情報」そのものであり

「経験」であり「自信」なのですね。

その上で実感する事になるのですよ、

自分が何も知らないということを知り、
無知は罪であり、
知は力であるという現実を。

相手のためを
想って動けば
自分のためだと
動きが全く変わる
というのが
分かる筈なんやで

2026年8月30日日曜日

邪魔を愉しめ(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




毎日を一生懸命に頑張る。
どんな人であっても
何処までいってもこれは変わりません。

但し、
皆が皆そうしているとは言っていません。
やっている人はやっている
と、いうだけの話です。

何もせずに
単調な暮らしをしているだけの人も居れば、
頑張っているフリをしている人も居るし。

頑張るという気概を
燃えるゴミの日に出してしまった様な
人だって居ます。

ここを読んでいる人は
頑張る事がデフォルトだと思いますから、
そこに注力して話します。

頑張っていると、
どうしても無理をしがちです。

頑張り過ぎ
やり過ぎ
抱えすぎ
焦り過ぎ

言い方や内容はどうであれ、
真剣勝負を挑み続けてしまうからこそ
無理をしてしまう。




しかし、
ここで問題点が生じてくるのです。

何かと云うと、
「甘んじる」という点。

頑張る事が出来てしまう反面、
休みや落ち着く期間が長いと
気を抜いてしまったり

同じ動きで楽をしてしまうと
頑張る事を忘れがちになってしまう。

そして、その後に自己嫌悪へ陥るので、
脱却を図るために
またしても無理をしてしまう。

このスパイラルに嵌っている人は
そこそこ多いと思います。

頑張っているからこそのジレンマ。
無理をするが故の落日。

このままではいけないと思っていても、
何かしらの策を考えてみても
やはり同じ道程を踏んでしまうのは、

あるものが足りていないからなのですね。
それは

「ゲーム性」
「限界突破」

この2点です。




邪魔を好むというのは、考え方です。
おそらくですが、
誰しもが邪魔を嫌います。
遮られるのって嫌ですものね。

けれど、人って面白いもので
邪魔が無いと怠けますし、
ヤル気が無くなってしまうんです。

マリオを思い出して下さい。
あれって邪魔しかないでしょ。
キノコやカメが突っ込んでくるし、
火まで飛んでくれば足場も崩れます。

現実で置き換えたらそれはもう酷いです。
あのヒゲオヤジは相当に頑張ってますよね。

もし、あれで邪魔が何も無かったら
どうでしょうかね。
何も面白くないですよね。クソゲーです。

邪魔は嫌だけども、敢えてそこを愉しむ。
「かかってきなさい」という気概で挑む。

限界突破というのは、
「意図して臨む無理」というやつです。

自身の持っている全てを使って無理をする。
そして、限界を超える。
無理をしない事を続けていると
楽勝過ぎてつまんないんですよ。

自分の力がどんなもんなのかと
試してみたくなるでしょ。

そこで、普段はやらない事なのだけど
目標を明確に定めてこれでもかと無理をする。

当然に疲れますが、
成功しようが失敗しようが
自身のボーダーラインを知る事が出来ます。

より一層強くなったと実感も出来れば
なにくそ魂でまた頑張る事も出来る。

ご自身の生活に置き換えてみると
至らない面や悩んでいる点で
往々にしてこれらが足りていないと
肌身で分かる筈ですよ。

怠け癖や
楽したい願望は
誰にだってあるし
消す事は出来ない
どうせやるなら
愉しみながら
やりたいやんか

2026年8月26日水曜日

震えてもいいから立ち向かえ(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




誰のために
  何のために

普段から何度となくお話をしている
行動をする時の意識の置き場ですが、

分かってはいても自分の弱さや
駄目な自分が邪魔をしてしまって
上手く活用出来なかったりします。

例えば、
子供のためにも喧嘩をしないと
いけない場面なのに、

怖いと思ってしまったが故に
ハッキリとモノを言う事が出来なかったり。

波風を立てたくないと
思ってしまったが故に、
云うべき事実を言わずに終えてしまったり。

理想は全然違う筈なのに、
自分でも動き方が間違っていると
分かっているのに

自分の弱さや駄目な自分に
負けてしまって捻じ曲げてしまう。

そういう時に都合よく、
「逃げる事も大事」
みたいな言葉に救いを求めてしまう。

その結果、後々に訪れるのは
自己憐憫と自己嫌悪です。

貴方の事を何とも思っていない人や
他人事としか考えていない人は

上辺っ面の内容だけを示して

「逃げの一手」
「希望的逃避」

を、必ず勧めてきます。
そんなの仕方ないよ的な言い方で
話自体を理解したフリをしてみたり、

何も出来なかった事を差し置いて
「なんだって言うのよねぇ」みたいに、
相手の悪口を代弁してみたりするのです。




それらは誰のための動きですか。
何のための動きですか。

自分が本当に守りたかった相手に対して
胸を張って言える事ですか。

守りたかった相手に対して
泥を塗ったり突き飛ばしてるのと
同じではないですか。

大切な人を本気で護りたいのであれば、
仮に恐いなとか、嫌だなと思っても

自分の身勝手な心情を優先させずに
ぶつかる事や喧嘩する事も必要なんです。

端から見たらそれが非常識に映ったとしても
それで大切な存在を護る事が出来るのならば
別に構わないじゃないですか。

こういった精神を「義」と云います。

これに信用や信頼が入ると「信義」となり、
忠を尽くす心が入ると「忠義」となり、
理が合わさると「義理」となります。

そして、
相手のために義を尽くすことを
「奉仕の精神」と云うのです。

誰でもいいですが
大切な存在を護りたい、
護り抜きたいのであれば

口先だけの無粋な言動ではなく
自身の意志に属した堂々たる行動を以て
恥じぬ背中を視せるべきなのです。

見て見ぬ振りをせず
勇を用いて動きへ変える。

ひれ伏す前に藻掻き抗うことが出来るのも
自分自身の意志ですからね。

見て見ぬ振りをして
後出しする奴には
後出しで返せばいい
常識が通用するのは
常識を崩さずに
正攻法で挑んでくる
相手だけなんやで

2026年8月22日土曜日

護力(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




もう夏も終盤に差し掛かっていますが、
風物詩として肝試しなんかがありますね。

今で言うところの心霊スポット巡り

この心霊スポットっていうのは
なかなかに俗物的だなぁと
思わせてくれる代物です。

何かしらの曰く因縁のある場所を
心霊スポットと称して
わーきゃーする。

まぁ、好き好きなので
ご自由にとずっと昔から思っています。

大抵の場合、
心霊スポットと呼ばれている場所は
だからなんだの状態となっています。

不良の巣窟となっている事が多いので
そういう危険さの方が強いです。

僕自身、この心霊スポットという呼び名や
そういったランドマークを作ること自体が
どうしても好きにはなれません。

何故かと云うと、
態々そんな廃墟とかをスポット化せずとも
おっかない場所なんて五万とあるし、

そもそも因縁がある場所なんて
皆さん一人一人の徒歩圏内に
数か所はありますからね。




そういう場所には目もくれずに
見た目の恐さや忌避感のみで
ある場所にピントを合わせたところで

それはあくまでも表面上での話。
そこには誰かしらの生活や思い出があって
優しい話とかも沢山存在するんです。

にも関わらず、面白おかしく
自分達の欲のままにスポットとするのは
どうにも人の心が通っていなくて
嫌なのですよね。

どうせなら、そういう場所を
勝手に綺麗にする方が面白い。

綺麗にと言っても物理的な美しさではなくて
幽体的、霊体的に綺麗にしてしまう。

因縁のある場所ですとか、
ガチで悪霊が溜まりやすい場所とか、
そういった場所は結構あります。

そんな場所に勝手に行って
勝手に浄化をさせちまえばいい。
常々、僕がやっている事です。

どうせなら住み易かったり
何だか問題が減ったり
知らずと運気が上がったりした方が善きでしょ。

能力ってのはね、
そういう風に使うんです。

力ある者ならば
一緒になって
恐怖を誘発させたり
するんじゃなくて
光あれ幸あれの方へ
使うべきなんやで