2026年6月11日木曜日

邪なるもの(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




何か上手くいかないとか
微妙に調子が乗らないとか
明らかに運気が下がっている様な
気がしているとか

途中まで良い感じであったとしても
最初からダメダメだったとしても

状態が芳しくない時と云うのは
誰にでもありますし
起こりえる事態です。

そういった際に、
外に原因を求めてしまうのは
とても矮小な考えですよと

以前からお話をしていますね。
原因たるものは決まって自分だからです。

それを理解した上で、
悪化の原因ではなく要因や遠因を
知るために外へ目を向ける事は
とても有用な一手となります。

但し、この時に死者のみに対して
目を向けてしまうのはナンセンスです。

自身にとって宜しくない事の原因が
全て死人だと考える事は
あまりにも世界観が狭すぎます。

現実を直視していないと言ってもいいです。




嫌な事や辛い事が起きている原因は
自分自身だと認識をしているのですから、

その要因や遠因も限りなく現実視しないと
お話になりません。
何故なら、我々は現世を生きているのです。

要因や遠因もまずは現世の存在の関与を
思慮する事が順を追う上でも
大切な事となってきます。

筋というやつですね。

現実をちゃんと視ずに
脊髄反射的に死者や死人へ敵意を向けたり
忌避する気持ちを抱く事は

幻想への逃避そのものと云えます。

死者や死人よりも先に近寄ってくるのは
生きている存在です。

そして、邪な存在の最たる例は
自分自身の中の駄目な自分であり、
自分本位に溺れている自分そのものです。

その部分の「臭い(雰囲気)」を嗅ぎ付けて
生きている者が近寄ってきます。
この臭いの部分を「隙」と称します。

俗欲を制御せずに溺れてしまった結果、
自分自身が邪なるものへと変わってしまう。
もしくは、その臭いを出してしまう。

その隙を邪な存在である念基軸の者が嗅ぎ付け
貴方が溺れている俗欲や
自分本位を刺激する様な動きで
一人また一人と近寄ってくるのです。

その状況で周囲を固められて
悪影響を浴びまくる状態へとなった先に
死者や死人がズルズルと近寄ってきます。
これが悪霊による憑依です。

自分に都合が悪いからと言って
いの一番に視線を外へ向けるのではなく
まずは自身を改める姿勢が重要です。

外の世界からしてみれば
貴方だって日頃の業をちゃんとしていなければ
十分に邪なるものとして認識されるのですからね。

自分は大丈夫とか
思っちゃっている
段階で既に貴方は
邪なるものの
筆頭候補なんやで

2026年6月7日日曜日

力及ばずの苦渋(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




どんなに手を尽くしていたとしても
聴く側が教える側の痛みを
理解する事が出来なければ
そこで想いは途切れます。

痛みの理解というのは
その辛さや苦しさを
分かろうとする事に注力しがちですが、

それよりも大切になってくるのは
その後の動き方となります。

そこで痛みを理解しようとしているのか
痛みに対して見向きもしていないのかが
分かる様になるのですね。

仮に自身が下手を打った、
間違っていたと豪語していたとしても

そこで反省していると
言葉に出していたとしても、

動きや態度で示されていなければ
理解というものには程遠いです。

例えば、自身がミスをしたとして
それを相手に頭を垂れて直接謝罪する。
至極当たり前の事ですが、
これが出来ない人も中には居ます。

特段の事情も無いのに会おうともせず
文字で済まそうとしたり、

謝るべき当該者ではなく仲介者を通じて
代わりに伝えてもらおうとしたり、

謝ってもいないのに、周囲にだけは
謝罪した風の事を述べてみたり、

そして、勝手に泣き喚いて
挙げ句の果てには悲劇のヒロインを気取る。




自身の落ち度を棚に上げたまま
何も前に進ませようとせずに、
自己保身のみに徹しようとする姿を視て

一体誰が教える側の痛みを
理解してくれたと思うでしょうか。

普通の感覚であれば、
それで良しとする人はいないでしょう。

最初から最後まで自身の事しか
念頭に入れておらず、
真摯に向き合ってくれている相手すらも
スルーしている訳ですからね。

自分というのを大切にする事は
決して悪い事ではありません。

ですが、それはアイデンティティーの
維持や保護に徹する時の話であって、
何かしらの変化や変貌を加えたい時に
重要視する様な動きでは無いのです。

自分を取れば取る程、
相手の想いと云うのは薄れていきます。
自分本位に堕ちる訳ですから当然です。

その怠惰な動きが目に見える形で
映った時に、想いと云うのは途切れます。

そこが今生の別れの分岐点です。

誠意を持たぬ相手に対して
痛みと引き換えに希望を以て接する。

にも関わらず、とことんにまで
自分本位に溺れられてしまっては
手の施しようがありません。

力及ばずで苦渋を飲み
引導を渡す時というのは
何度味わっても善い気はしません。

僕が仕事をしている中での話ですが、
皆さんのプライベートでも
これは当て嵌まると思いますよ。

月単位年単位の
努力であっても
実らない事もある
その逆に
努力の実りも
多々あるから
救われてるんやで