皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は動き方について
お話をしたいと思います。
人には誰一人として例外無く
「駄目な自分」というのがあります。
簡単に云うならば、しょうもない自分です。
「善い自分」の対極に位置するもので
駄目とは言っても自分は自分なので、
拒否も否定も出来ません。
この駄目な自分を如何に制御するかで、
運気というものが大きく変わってきます。
間違えてはいけないのは、
「制御(control)」であって
「消去(delete)」ではない点です。
「駄目」という部分を意識するあまり
消去を考えてしまいそうになりますが、
それは絶対に無理なのです。
何故なら、駄目な部分ではあるけれども、
それも「自分」に過ぎないからです。
見せなくする事も、見えなくする事も
聴こえなくする事も
ましてや、
感じなくさせる事すらも叶いません。
自分に変わりないのですから、
何をしたってそこに存在します。
けれども、
この駄目な自分を野放しにしてしまうと
いずれ善い自分を喰らってしまい、
駄目な自分が支配をしてしまいます。
全面的に駄目な自分に溺れた存在が
所謂「貧乏神」です。
なので、そうはならない様にする為に
駄目な自分を制御するのですが、
制御に必要なコツは2つあります。
1:「認めてやる」
2:「使ってやる」
1は、以前から話しているので、
ここでは割愛します。
2は、駄目な自分を認めた上で
意図的に「使ってやる」事を意味します。
駄目なのだから「使わない」方へと
シフトしがちですが、
それでは拒んでいるのと同じですので
振り出しに戻ってしまいます。
1の段階で、駄目な自分も
「自分の大切な一部分」だと認めたのだから、
意図的にちゃんと使ってあげるのですね。
善い自分ばかりを使っていたら
依怙贔屓になってしまうし、
駄目な自分がもっと捻くれてしまって
果ては暴走してしまうでしょ。
そうなったら、一気に溺れてしまいます。
それでは努力が水の泡です。
駄目な自分を意図して使えば、
それは人にとって
「面白い(funny)」部分へと変貌します。
これを「人間味」と云います。
いくら駄目な自分を認めてあげても
意図的に使ってあげなければ、
「隠蔽」や「拘束」をしているのと同じです。
もし、貴方が徒に縛り固められていたら
そこから脱したいと思うでしょ。
フラストレーションもストレスも
酷いことになりますよね。
その先に何が起きるのかは
想像するのが容易い筈です。
認めて使う。
「制御」という言葉の意味を
ちゃんと理解すればこうして言われなくても
答えは簡単に出る筈です。
誰の前でも
解放するのではなく
信じられる人の前で
ほんの少し解放させる
お金ください(ピエン)
って、堂々と
言えるかどうかやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
本来のスピリチュアルに於いて
とても重要になってくるのが
「ニュートラル」
と、いう考え方です。
中間に位置する場から
客観的に物事や事象を見極め判断する。
好き嫌いなどの偏った見方ではなく
その時に必要なものを冷静にチョイスする。
単なる善いとこ取りだと
考えられてしまいそうですが、
意味は全く異なります。
ニュートラルとは、
あくまでも「立ち位置」の話なのです。
どちらか一方へ偏らせるのは簡単です。
好みで決めれば良い話ですからね。
それが故に、
対面への否定感や拒否感が生じます。
その拒否感を正当化させる為の動きや
思考が主となっていくので、
自ずと偏りは増していきます。
そして、行き着くのが「完璧主義」です。
現世で我々が生きていく以上、
偏りや隔たりというのは避けられません。
それ自体は悪でもありません。
自身の意見や心情を万人万物へ
まともに伝える事すら叶わないのですし、
成長や進化という過程に於いて
隔たりも偏りもある種では必須となります。
そこで争いが生じますが、
融和というのは、
これらがあるから存在するものですし、
理解を成せるものなのです。
しかし、その途中過程に於いて
極端な偏りや隔たりを掲げたり、
立場の保持を主な目的としてしまう事があります。
これが「完璧主義」です。
片側に極端に寄せてしまって、
対面を思考する事が出来ない状態。
相反する思考は敵となり
矛盾を悪と断ずる考え方。
こうして話すと何となく視えると思いますが、
自分本位と同じですよね。
独りよがりを拗らせて、
思考的視野狭窄へと陥るがあまり
自身の世界を徒に狭くしてしまう。
結果として、
「受け容れ」も「受け止め」も出来ずに
心身共に惨めな状態へと堕ちてしまうのです。
この状態を回避して、その先へ進む為の
考え方が「ニュートラル」です。
立場や思想に極端な固執をせずに
中間ではなく「中空」より視線を拡げ
対局ではなく「大局」を視る。
優しさと厳しさの同居を理解し、
矛盾という名の選択の自由を行使する。
自身の考えを芯に捉えつつも
他者の考えは自身には思い付きもしなかった
「宝物」だという思考を創る。
相手との遣り取りは
意思の押し付け合いではなく
意志の受け容れ合いであり
心情の受け止め合いであるという捉え方。
その中での係争は一過程に過ぎないので、
それが目的ではなくあくまで手段という認識。
故に、相互意思の齟齬は必然であり、
ご都合主義の完全融和などは存在せず、
相手を好みで選ぶのではなく
互いの違いを認め合う「間接融和」を信条とする。
ほんの一部に過ぎませんが、
これらが本来のスピリチュアルに於ける
基本概念であり、ニュートラルという考え方です。
現世でありながら
向こうの世界の理を実践する。
辛く苦しいですが、そこを見詰めて
活かし生きる。
文字で読むと面倒臭そうですが、
やってみるともっと面倒臭いですw。
ですけどね、価値はありますよ。
いつでも誰でも
気軽に出来て
辞めるのも自由
ってか、
言われてやる様な
もんでもないんやで