2026年5月23日土曜日

向き合い方(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




本来のスピリチュアルを知っていくと
必然的に「駄目な自分」というものへと
ぶつかる事になります。

この駄目な自分については
今まで散々話していますが、

要するに善い自分と対を成す部分です。

面接とかで聞かれる様な
長所と短所みたいに

善い自分と駄目な自分を
分離して考えてしまいがちですが、
そういう類の物ではありません。

対を成すものなので、
同じ位置の表裏で存在する自分です。

ですから、
善い自分が1000あれば
駄目な自分も1000存在する。

例えば、

のんびり屋さんなところが
善い自分だとするならば
危機感や緊張感に欠けるところが
駄目な自分という事になります。




そんな駄目な自分というのも自分です。
以前から話していますが、
どんなに嫌だと思ったところで
消去する事は叶いません。

寧ろ、毛嫌いする方がどうかしていて
その駄目な自分も自分なのだと認めて
如何に愛でる事が出来るかが

運気を上げたり、
生活を愉しくさせたりするための
必須条件の一つなのですね。

そして、駄目な自分というのは
大枠でのそれこそ誰が見ても
自分でも分かる様な部分もあれば、

核心的な部分や真に迫る部分、
自身の内面深くに根付いている様な
駄目な自分となると、

自分の事なのに自分では決して分かりません。

分かったとしても、
それを認めるという事が難しいのです。

では、どうするのか。

自分以外の存在に教えてもらう外
方法が無いのですね。




他者や周りの存在に
教えてもらうという事は
そこに意見を伺うという事になります。

その意見というのは、聴く側からすれば
とても辛辣な内容となります。
なので、聴いたとしても受け入れるのが難しい。

聴きたくも無い内容ですからね。

ですが、その内容を教えて欲しいと
願い請うのは貴方の自身なのです。

それなのに受け入れないというのは
人として礼節に欠けますよね。

ですから、聴くのであればどんな事でも
覚悟を以て聴かなければいけないし、
受入れる様に努力をしないといけない。

聴く貴方も苦しいですが、
話す側の相手はもっと苦しいのです。

にも、関わらず
その受入れる努力を怠ったらどうでしょうか。

その姿勢を相手さんは視ています。
もう何もまともな向き合い方はしてくれません。
それはつまり、駄目な自分に気付く手段を
永遠に失うという事になるのです。

苦しいからと言って自分を庇い
相手を蔑み自分を守ろうとする
これが自分本位です。

どんな時でも相手のためを考え
自分よりも優先的に捉えて動く
これが思い遣りです。

自身から頭を垂れて聴いたのであれば
相手に対して徹底的に真摯に向き合う。
それは聴いた時だけに留まらず、

寧ろ、聴いた後が本番なのです。

その場だけ真摯に向き合うのではなく
その場に相手が居ない時こそ
相手に対して真摯に向き合う。

この動きが出来る様になって
初めて分かる様になるもの
それが「想い」です。


想いが分かる人は
想いという言葉を
軽々しくは
口にしません。

その重みと苦しみを
理解しているからやで

2026年5月22日金曜日

自分を持つ(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




何をするにしても上手く捗らない
行動の結果に至るまでの因果の中で
原因を他へ求めてしまう。

物や人の所為にするというやつですね。

この状態に陥ってる時は
高確率で自分というものを見失っています。

もう少し掘り下げてみると、
「人に合わせてしまっている」状態です。

何かの判断や決断をする際に
人の意見を聞いたり、
きっかけを貰う事は間々あります。

しかし、それはあくまでも
第三者からの助言や提唱であって

決断をするのは自分自身なのですね。

この意見を聞くという段階で
自分で思考する事を放棄してしまっていると

その他者の意見を
都合よく自身の意見として捉えるので
己の責任すらも他へ転嫁してしまいます。

当然ながら、
そこから派生する判断や決断も
他人任せという流れとなります。

この様な態様を至極当然だと認識する人は
何をやっても上手くいく事はありません。

そこに「自身の意思」や「自分を持つ」
と、いう思慮そのものが存在しないからです。




自己意思や自分を持たないで
先述した通り他者任せとなってしまうと、
そこに努力の価値を見出す事が適いません。

所謂、「ヤル気が出ない状態」となるのですね。

自らの意思で自らが決断し覚悟を決めるから
前へ動こうとする推進力を得る事が出来ます。

どんな事でも良いですが、想像してみて下さい。
人に「やれ」と言われて行う事よりも
自分で「やろう」と考えた方が
断然動き易くなりますよね。

例え、行動した結果が失敗だったとしても
自身で覚悟を決めて動いた事であれば

そこに一定の責任を背負いこみますから
決して後悔などはしない筈です。

また、それに伴う反省をする事も可能です。

これらの動きを本来のスピリチュアルでは
「正の螺旋」と呼称しています。




善い動きの因果律の中で、
どうしても繰返しと捉えがちですが
そこには時間と空間の概念が必ず加味されます。

つまり、物事や事象に関しては
時間が進む力が物理的に添加されるという意味です。

なので、繰返しですとその形状は「円」ですが、
円に対して推進力を加えると
それはスパイラル=螺旋という形状となるのです。

同じ様な事をしていたとしても、
全く同じには成り得ない事象の進み方の概念です。

少し話が逸れましたが、
この正の螺旋に乗る為に必要なのが
「自分(自己意思)」です。

この自分を持つために必須な動きが、
「やたらと人に合わせない」という姿勢です。

人に合わせれば合わせる程に、
自己意思の減衰は速度を増します。

社会通念上、合わせる必要がある善い部分と
楽を目的とした合わせようとする俗欲の部分。

これらをしっかりと見定めて
腹を括って決断し率先して動く
と、いう業が出来ないと

念頭でお話をした様な上手く捗らない状態へと
滑落していくのです。

この上手くいかない流れの事を
「負の螺旋」と呼称しています。

そして、負の螺旋の流れは
「堕落」そのものですから、行き着く先は
生きている内は「貧乏神」
死んだ後は「悪霊化」を経て「地獄行き」となります。

どの道、皆さんが望む様な幸せとは
程遠い結果となるという流れなのですね。

文字や言葉でこういった事を視聴きしても
この流れがどれだけヤバいのかは
全くピンと来ないと思います。

元々、分かり難い話ですし
そういった内容なので全然構わないのですが、

せっかくなのでこの「ヤバさ」を
記載した本日より三日間の内に
皆さんの夢の中で味わえる様にしてみますね。
2026.5.22~2026.5.25

偶にはこういった遊びもいいでしょう。

貧乏神、生霊、
悪霊、地獄とその先
これらの一端を
視れる様に頑張ります
おっかなくても
ノークレームで
お願いなんやで