皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は動き方について
お話をしたいと思います。
悪霊と云う存在がいます。
死してなお俗欲に執着を
続ける存在の総称になるのですが、
この悪霊とは、
どの様にして生まれるのでしょうか。
端的に云うと、
何かしらの執着を切り離せない場合に
死後悪霊と化します。
生への執着かも知れませんし、
やりたい事への執着かも知れません。
単に生前の思考を
肉体が無い状態で続けようとする執着
と、いう場合もあります。
強い恨みなどで悪霊化してしまう様な
ケースもあります。
この「恨み」という部分は、
言い難いのですが殺害されてしまった等の
悲しいケースも含まれます。
ただ、
1つ誤解の無い様にして頂きたいのは、
「悲惨な死を遂げたからと言って
必ず悪霊と化す訳ではない」
と、いう点です。
悪霊と化すのは俗欲への執着が基本です。
仮に悲しくも
非業の死を遂げてしまったとして
亡くなった方がどんな形でも
それを受入れているのであれば、
悪霊と化す事は無いのです。
寧ろ、俗欲への執着という点で云うならば、
手を下した人間の方が悪霊化し易いです。
何故ならば、俗欲に溺れた結果
手を下した訳ですからね。
また、恨みの連鎖や負の螺旋という
影響力が働きますから、
亡くなられたご遺族などの方が死後に
悪霊化してしまうという事も少なくないです。
これらはどんな形であれとても悲痛な事です。
出来る事なら悪霊化は防止したい。
僕がずっと胸に秘めている
原動力たる想いです。
その中に、
貧乏神化防止というものがあります。
生前に貧乏神と化してしまうと、
その存在は死後確実に悪霊と化します。
貧乏神という存在は、
現世に於ける社会の中での善悪は
まるで関係の無い存在です。
つまり、
普通の人でも貧乏神にはなるのです。
本来のスピリチュアルは、
ここを可能な限り防ぐためにあるものです。
ですが、それは当人に
委ねられるものですので
自ずと限界点が生じてしまいます。
人らしく生き、俗欲に溺れずに制御する。
失敗を恐れずに人間味を大切にして、
前へ向かって進む過程で
向こうの世界の理を護る努力をする。
早い話が、「想い」を軸とした
考え方や動き方をしようねってやつです。
悪霊と化した存在の末路は悲惨ですからね。
哀しみどころか
世代を超えて
連綿とした
恨みの連鎖を
生んでしまうのが
貧乏神や悪霊化です
ええこと無いんやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は動き方について
お話をしたいと思います。
人には誰一人として例外無く
「駄目な自分」というのがあります。
簡単に云うならば、しょうもない自分です。
「善い自分」の対極に位置するもので
駄目とは言っても自分は自分なので、
拒否も否定も出来ません。
この駄目な自分を如何に制御するかで、
運気というものが大きく変わってきます。
間違えてはいけないのは、
「制御(control)」であって
「消去(delete)」ではない点です。
「駄目」という部分を意識するあまり
消去を考えてしまいそうになりますが、
それは絶対に無理なのです。
何故なら、駄目な部分ではあるけれども、
それも「自分」に過ぎないからです。
見せなくする事も、見えなくする事も
聴こえなくする事も
ましてや、
感じなくさせる事すらも叶いません。
自分に変わりないのですから、
何をしたってそこに存在します。
けれども、
この駄目な自分を野放しにしてしまうと
いずれ善い自分を喰らってしまい、
駄目な自分が支配をしてしまいます。
全面的に駄目な自分に溺れた存在が
所謂「貧乏神」です。
なので、そうはならない様にする為に
駄目な自分を制御するのですが、
制御に必要なコツは2つあります。
1:「認めてやる」
2:「使ってやる」
1は、以前から話しているので、
ここでは割愛します。
2は、駄目な自分を認めた上で
意図的に「使ってやる」事を意味します。
駄目なのだから「使わない」方へと
シフトしがちですが、
それでは拒んでいるのと同じですので
振り出しに戻ってしまいます。
1の段階で、駄目な自分も
「自分の大切な一部分」だと認めたのだから、
意図的にちゃんと使ってあげるのですね。
善い自分ばかりを使っていたら
依怙贔屓になってしまうし、
駄目な自分がもっと捻くれてしまって
果ては暴走してしまうでしょ。
そうなったら、一気に溺れてしまいます。
それでは努力が水の泡です。
駄目な自分を意図して使えば、
それは人にとって
「面白い(funny)」部分へと変貌します。
これを「人間味」と云います。
いくら駄目な自分を認めてあげても
意図的に使ってあげなければ、
「隠蔽」や「拘束」をしているのと同じです。
もし、貴方が徒に縛り固められていたら
そこから脱したいと思うでしょ。
フラストレーションもストレスも
酷いことになりますよね。
その先に何が起きるのかは
想像するのが容易い筈です。
認めて使う。
「制御」という言葉の意味を
ちゃんと理解すればこうして言われなくても
答えは簡単に出る筈です。
誰の前でも
解放するのではなく
信じられる人の前で
ほんの少し解放させる
お金ください(ピエン)
って、堂々と
言えるかどうかやで