2026年6月18日木曜日

通りすがりのお説教(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




自身が自己憐憫に陥り易いかどうか
その境目となるのが

「支えられていると考えているか」
「支えていると思っているか」

この考え方の違いです。

「自身が周りから支えられている」と、
考えられるのであれば、
基本的な思考と動作や所作は

「相手のため」や「周りのため」

と、いうものに自然となっていきます。

この思考形態の場合ですと、
基準となるのが自分ではなくて
「自分以外のため」となりますから、

日常的に反省と考察を繰り返します。
次に繋げていく考え方が主となる感じです。

ですので、
憐憫とは距離を置く様な感覚に近いと
考える事が出来ます。

これとは逆に、
「自分が周りを支えている」
と、いう考え方の場合ですと、

基本的な思考や動作所作というのは
口先では、
「相手のため」や「周りのため」と
枕詞の様に付帯して行動しますが、

「自分のため」が主流となります。




一見すると、前者と似ている様に思えますが、
決定的な違いとして
「相手のため」等の言葉を口にする
という点が見受けられます。

一先ずは自分というのを置いておき、
自分以外のためにまず動くといった、

奉仕の精神での思考や行動が理解出来ないのと
周りには同様に考えている風に思われたいという
承認欲求が強い為です。

そして、反省や考察というものの
意味は理解をしていますが、

自身が失敗をした時にすべきものとの
認識が強いので、
日常の中での反省等は前者に比べると
極端に少ないのが特徴です。

自身の反省よりも人の失敗を見て楽しむ。
同時に極端に自身が失敗する事を忌避します。

結果として、失敗後も反省ではなく
言い訳や擦り付けが主となるので、

自身の失敗を目の当たりにした時に、
自分を「上手く出来ない被害者」
と、いう位置付けにしてしまいます。

ここが自己憐憫を加速させるポイントです。

反省よりも自身を善として
悪を構築させるのですね。
勿論これは逆恨みでもあり、
単なる我儘に過ぎません。

反省を日常的に利用していないので
使い方も理解していませんから、
思考は穿ったものとなり前進的な思慮よりも
停滞的な動きがメインとなります。

褒めると直ぐに調子に乗るという
分かり易い特徴も出てくるので
見極める事は容易いです。

相手のためを
思考出来れば
反省も考察も
日常的に使うのが理
失敗を敵視するから
それすらも出来なく
なってしまうんやで

2026年6月13日土曜日

それって貴方が楽したいだけですよね(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




人に教える側に立った際に
優しさを履き違えると
とんでもない目に遭います。

優しさとは厳しさでもあります。

「相手のため」と、云う一心で
動きや言葉で示すものが
本来のスピリチュアルでの優しさです。

ですから、
単に聴こえの良い言葉ですとか
相手に合わせた動きですとか

よちよちいい子でちゅねー的な
動きや言葉は優しさとは言いません。

厳しい事を口にすると
毛嫌いされる風潮がありますが、
だったら何ですか。

「そんなものはクソ喰らえ」

と、云うくらいの考えの方が
確実に相手のためとして動けます。




ここで注意しないといけないのが
相手のためと言いながら、

「自分のため」という選択をする事です。

厳しい事を口に出来なかったり
自分自身に対して叱咤出来ない人というのは

決まってここで自分を取ります。
早い話が「楽を取る」という事です。

人に対して助言や苦言
それこそ叱咤激励をする場合、
以前にもお話をしましたが

教える側の心が痛みます。

この痛みは地味に響きますから
覚悟を以て耐え忍ばないといけません。

然しながら、この痛みに負けてしまって
あろう事か自分自身を取ってしまう。

相手のためと自分に言い聞かせながら、
その実は自身の楽を選択してしまう。

本来であればそういう場面でこそ、
自身が痛みを飲み込まなければ
「相手のため」と、いう奉仕の精神は
貫徹する事が出来ないのです。

厳しくする事で

「かわいそうだから」とか
「駄目になってしまうかも」とか
「倒れたらどうしよう」とか

これら総てが言い訳であり、
そういう思考の時の貴方の意識は
どちらに向いてらっしゃいますか。

本当に相手に向いてますか。

十中八九、自分自身へと向いている筈です。
そんな状態で折衷案や
間違った優しさを提示しようものなら

もっと大切にしなければならないものを
一生失う事に繋がりますからね。

相手のためを以て
苦しみから解放してあげたいのならば
まずは自身が覚悟を決めて死地へ赴く。

自分だけ安全な場所から
何をどういう風に指示しても
誰もまともになんぞ聴いてくれませんし、
バカしか生まれませんからね。

楽の共感よりも
苦しみや苦悩の
共有を目指す
本当の意味での
楽というのは
苦痛の先にあるのを
理解せなあかんで