今回は動き方について
お話をしたいと思います。
経験を積んだ先に与えるものがあります。
ここでの経験とは
自らが率先して動いた内容もあれば
意にそぐわない形での内容もありますし
当事者ではない内容もあります。
そして、全てが全て
誇らしい経験とは言い難いです。
例え誇らしくなくても
恥じた事だったとしても
そういった経験を隠すのではなく
教え伝える事が出来るかどうか。
誇らしい体験や経験というのは
誰もが尾鰭を付けてでも話したがります。
それが遠い過去の話だろうが
自身の事で無かったとしても
さも、自分の事の様に
相手に対して優位性を誇示した形で
話しますよね。
しかし、そういった内容の話には
全くと言っていい程価値はありません。
話したところで、
得るのも念だけに留まります。
人に何かを教える上で
本当に大切になってくるのは、
なるべくなら言いたくない経験や
言わずに済ませたい様な話です。
自己の優位性を求めるのではなく
相手に勇気を与えてあげる為に話す。
何事も上には上が居るように
下には下が存在します。
この世の春を迎えている
状態だとしても
この世の終わりだと感じている
常態だとしても
その人が突端という事は殆どありません。
何故ならば、
真の意味で端に居る存在と云うのは
そんな事すら考えないからです。
自分本位を着飾って
独りよがりになり果てる
そういう云わば中途半端な状態だと
自身が突端だと思い込むのですね。
大抵の場合は、その手のタイプの人は
経験値が浅いです。
経験が乏しいが故に
直ぐ突端だと思い込む訳ですから、
圧倒的な経験値を元手として
その現実を教えてあげる事が大切なのです。
そして、
その人にとっての重要な情報は
必ずしもその場で全てを
与えるものではありません。
注意すべき点は
「順を追う」ということ。
教える立場にある以上は
相手のその先が視えている状態を指します。
視えているから全てを伝えるのではなく、
視えているからこそ
その場で端的な解答を出してあげる。
ここでの解答は口にする事が全てではなく
敢えて何も言わないという選択もあります。
また、
正答を伝える事で惨めな先となるならば、
自身を悪者にされようとも
覚悟を以って逆の事を話すのも然りです。
そういった覚悟が出来ないのであれば
教える側の立場にはならない方が善い。
人を、相手を想うということや
相手のために動くという事は
こういう覚悟の下で成り立つものなのです。
ええかっこしいを
したいなら
教える側には
立たん方がええで
身を滅ぼすだけや



