2025年12月6日土曜日

立場の考慮(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




日々の生活に於いて
人との関係性というのは
どの点に至っても発生するものですが、

この中で思慮が出来る人と
出来ない人の違いというのがあり、

どことなく皆さんも
感じているのではないかと思います。

その中でもハタと忘れがちな点として
「立場」というのがあります。

これを考慮する事が出来ているか否かで
結構な違いが発生します。

例えば、
各種教える人は教わる人に対して
自身が得ている知識や経験則などから
物事について教えます。

その最中、教わる人にも
当然に意思というものが存在しますから
「なぜ」「どうして」
の様な疑問点が生まれてきます。

これは須らく正常なことですが、
問題はその後。

教える人からの解説を経て
納得をしたと同時に、

「そうかも知れませんね」

という様な、
未断定の意思表示をしてしまう方を
老若男女問わず散見する事があります。

納得をしていないのであれば
再度疑問を呈すれば良いのですが、

そうではなくて納得済みの上での
未断定という話です。




この台詞は、
教わる人の自信の無さから
表層に出てくる言葉でもありますが、

自身が教わる人であるという
「立場の考慮」が出来てない場合にも
出現する台詞でもあります。

教える人に対する「見下し」や
「非認定」ですね。

早い話が、自身の知識量では
補いきれない筈なのに
教える人と同等の立場だと
誤認識しているという意味合いです。

どんな物事でもそうですが、
「教える」「教わる」
という立場が発生する段階で
同等にはなり得ません。

立場を同等とするのであれば
教える人となった場合もしくは

「教える人に対して教える人」へと

自身が昇華した場合のみとなります。




一見すると、思慮をしているが故の
台詞だと認識してしまう内容ですね。

然しながら、これは真逆の内容で
思慮をしていないからこそ、
発生するのです。

では、どこに対して
思慮をしていないのかと言うと、

意識の方向が
全て内向きとなっているのですね。
簡単に云うと、
教える人に対して意識が向いておらず

自身の中での完結となっている。
という意味です。

詰まるところ、話をよく聴いてないから
別の考えをさも思考だと誤認している状態。

立場を考慮すれば、
意識の方向は自ずと決定します。
教える人が教わる人へと
想いを向けているのですから、

教わる人は教える人へと
想いを向けるのが定石となります。

これが「想いの遣り取り」です。
(相手のために向ける奉仕の精神)

そこのバランスを認識出来ていない段階で
思慮というのは達成しておらず、
自己優位や自己完結の状態と成り下がる。

これを「自分本位」と言います。
(自身の中でのみ纏まる独りよがり)

この様に、各種立場の考慮が出来ない人は
「よく聴いて」「よく考える」という
基本概念を失っていて
想いのバランスを認識出来ないのですから

思慮など到底不可能になる。
という事なのですね。

これは誰でもやりがちな事ですからね。
自分は大丈夫なんて思っていると、
既にやらかしている可能性が高いですよ。

ちゃんと相手の立場
自分の立場を考えて
話をせんと
想像以上に
手痛い竹箆返しを
喰らう事になるんやで