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2026年2月15日日曜日

六時の方向上空60度(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




物事を思考し動く際に
ニュートラルという概念が
非常に重要となってきます。

どちらにも属さないのではなく
どちらも理解する様にする。

ここでの注意点は、
完全に分かる必要はないという点。
理解する努力が必要なだけです。

その上で、「違う」と断ずれば
別にそれで結構。

何も、常に真ん中に居る事が
ニュートラルではありません。
そして、良いとこ取りでもありません。

その時々の最適解を手にして実行する。




これだけ聞くと良いとこ取りだと
思うかも知れませんが、
それは「最適解=良い」と
自動解釈しているからです。

誰もそんな事は言っていません。
あくまでも最適解であって、
それに対し皆が良しとするものではない。

その時の自身の状況や状態に於いての

誰のための解答なのか
何のための選択なのか

ここが重要となってきます。
なので、決して善しとはなりません。
痛みを伴う事もあれば、
断腸の想いとなることだってある。

善し悪しという一元的で単細胞な判別ではなく
全体を見通して多元的な視点で判別をする。
さしずめ、
自身を核に据えた球体のイメージです。

このニュートラルの概念を実践していくと
話をしながらでもリアルタイムで
あるイメージが出来る様になっていきます。

自身の後方上空より周りを見渡す
というイメージです。

一元的に捉えずに
重力の井戸から
自身を解放する
肉体は無理でも
幽体なら可能
どちらも
自分自身なんやで

2026年1月6日火曜日

理解する努力(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




人の話をよく聴く。

人との会話をする時
人から何かを教わる時

よく聴くという基本的な所作が
とても大切になってくるのですが、
「よく聴く」を実践しながら若しくは
実践した後に行う

「よく考える」

という所作も忘れてはいけません。

人の話を聴いている時、聴いたあと、

理解する努力をするのか
理解したと自分に言い聞かせるのか

「よく考える」という業は、
ここで差が視えます。

理解したと自分に言い聞かせてしまう人は
「言語的な理解」と「本質的な理解」を
一緒くたに捉えてしまう癖があります。

例えば、何かを教えてもらった際に、

「分かりました」
または
「分かります」「確かに」

と、条件反射的な反応で
答えてしまう事が多いです。

これとは別に
理解する努力が出来る人は、

言語的な理解と「本質的な理解」を
分けて考える伝える事が出来ます。

どういう事かと言うと
例えば、何かを教えてもらった際に

「分かりました」
ではなくて

「言葉については分かりました。
ですが、内容については分かりません。」

みたいな感じで、何が分かっていて
何が分からないのかという様な
修飾を口に出して上手に使います。




本来、話をしている最中ましてや
何かを教示してもらっている時というのは、
原則として自身の知らない事や

自身の中で不明瞭な部分の解説となります。
つまり、言葉や知識の海を
処女航海している様なものです。

早い話が未知でよく分からない状態。

けれども、話している言語は理解が出来る。
皆さんは日本人だから日本語話者でしょ。

日本語で話をしてもらっているのですから
そこで使われている「言葉」は
多かれ少なかれ即時理解が出来ますよね。

これが「言語的な理解」です。

この言語的な理解と、
話の本質的な理解というのを
その場でイコールとさせるには、
土台となるそれ相応の知識が必要です。

つまり、知らぬ状態の話を聴きながら
本質まで理解を示すのは
現実的にほぼ無理という事なのです。

但し、その補完材料として話者による
話し方や解説の上手さが存在します。

この場合、それを理解していて
相手のためを考えてくれる話者であれば
思考停止を防ぐ為に、

「今の今、理解しなくても大丈夫ですよ」
「分からなかったら質問をどうぞ」

みたいな事を、必ず諭してくれます。




これら上述した両者の差となるのが、

「想念のベクトル」であり
「意識の方向」です。

意識の方向が自身に向いていれば

「認められたい」
「負けたくない」

などの、承認欲求や自己顕示欲の類が
強く出てしまうので、

「理解をしたと
自分へ言い聞かせる動き」をします。

同時に思考停止もしますし、
分かりもしないのに背伸びした結果
自ら質問をする機会すら手離す事になります。

反対に、意識の方向が相手に向いていれば、

「ちゃんと答えたい」
「もっと詳しく知りたい」
「もっと教えてほしい」

と云った具合に、
自身が今相手と何をしているのか
その行為に対して真摯に向き合って
粗相の起きない様な心情を働かせます。

要は、相手目線を仮想した共感を求めるので、
細かく丁寧な言い回しをする様になるのです。

この様に、問答一つで
相手や自身の「意識の方向」をチェックする。

「何が」分かっていて
「何が」分からないのか

会話という日頃の業に直結する所作の中で
互いに見極めたり、気付いたり、
気付かせてあげる事が出来るのが
本来のスピリチュアルであり、

そして、
あくまでも現実的で実戦型である
と、云うのも忘れてはいけません。

不意に出る言葉は
ある種での楽やで。
楽に溺れるのが
どういう意味かを
思い返して
考えてみてや。

2025年12月7日日曜日

時系列の軽視(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




普段の会話の中で
人に何かを話したり伝えたりする際、
時系列を無視する人が居ます。

順を追って説明するよりも

「その場の感情」や
「自身の感情に流されてしまい」

まともな説明が出来ないという意味です。

物事には順序というものが存在していて
その流れに沿うからこそ
事象というものが成立するのですが、

その重要点を自身の感情等を軸として
ガッツリと無視してしまう。

例えば、

自分が可哀想な思いをした、
辛い思いをした、
ムカつく思いをした、
面白かった、

これらの感情を元手として
同意を得たい、共感してほしいという
気持ちが先走ってしまい、

いつ(when)という大切な要素を
どこかへ置き去ってしまう。

「仕事で失礼な事を言われたの
本当にムカつく」

みたいな会話があったとして、
これだけを聞くと当日中の話かと
思ってしまいますよね。

しかし、実際は数日前の話だったりする。

これが時系列の軽視。




おまけに、時系列を軽視すると
「前後の欠損」というオプションも
もれなく付いてきます。

何かというと、
先述した例えで失礼な事を言われた点。
ここの失礼な事というのが、

そもそも当人が発端であったりする。

早い話が、
自分が原因で自分がいけないのに
その汚点を見せたくないし
認めたくないが一心で
ムカつくという点に絞って、
相手の同意を誘って満足する。

という、一から十まで自分本位な行為。

つまり、時系列を軽視する人は
自分本位の比率が高い事が多いのです。

なので、老若男女問わずに人の話は
よく聴かないといけません。
文字であるならば、
よく視ないといけない。

そして、よく考えて
お返事をしてあげないと駄目です。

「それはいつの話で、誰と誰が居て
前後の状況を教えてくれないと
意見も言えなければ同意も出来ないよ」と。




また、自身の話をする際に
出来るだけ固有名詞を出す事が
相手に対して物凄く丁寧な対応となります。

「こういう人が居てね...」
ではなくて、
「〇〇さんという人が居てね...」
という感じの話し方です。

話す相手が分かり易い様に
人だけでなく固有名詞は
出来るだけ教えてあげる。
(相手のためという業ですね)

聞く側だった場合は、
単刀直入に名前を聞くのも大切です。
「それは誰さんなの」と。

話し手が言いたくない場合もありますが、
これは聞いてる側の権利ですから
気にせずに聞きましょう。

名前すらも言いたくないのか
名前を言うのが都合悪いのか

聞く事によって話し手側のスタンスが
透けて視えますからね。大切な事です。

これらを踏まえた上で
自身の周りで起きてる会話を
今一度、思い返してみましょう。

貴方自身が良い様に
利用されていたかも知れませんよ。

感情論で話しても
何一つ解決はしない
くだらん話に
付き合っているほど
無駄な時間は
無いんやで

2025年12月6日土曜日

立場の考慮(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




日々の生活に於いて
人との関係性というのは
どの点に至っても発生するものですが、

この中で思慮が出来る人と
出来ない人の違いというのがあり、

どことなく皆さんも
感じているのではないかと思います。

その中でもハタと忘れがちな点として
「立場」というのがあります。

これを考慮する事が出来ているか否かで
結構な違いが発生します。

例えば、
各種教える人は教わる人に対して
自身が得ている知識や経験則などから
物事について教えます。

その最中、教わる人にも
当然に意思というものが存在しますから
「なぜ」「どうして」
の様な疑問点が生まれてきます。

これは須らく正常なことですが、
問題はその後。

教える人からの解説を経て
納得をしたと同時に、

「そうかも知れませんね」

という様な、
未断定の意思表示をしてしまう方を
老若男女問わず散見する事があります。

納得をしていないのであれば
再度疑問を呈すれば良いのですが、

そうではなくて納得済みの上での
未断定という話です。




この台詞は、
教わる人の自信の無さから
表層に出てくる言葉でもありますが、

自身が教わる人であるという
「立場の考慮」が出来てない場合にも
出現する台詞でもあります。

教える人に対する「見下し」や
「非認定」ですね。

早い話が、自身の知識量では
補いきれない筈なのに
教える人と同等の立場だと
誤認識しているという意味合いです。

どんな物事でもそうですが、
「教える」「教わる」
という立場が発生する段階で
同等にはなり得ません。

立場を同等とするのであれば
教える人となった場合もしくは

「教える人に対して教える人」へと

自身が昇華した場合のみとなります。




一見すると、思慮をしているが故の
台詞だと認識してしまう内容ですね。

然しながら、これは真逆の内容で
思慮をしていないからこそ、
発生するのです。

では、どこに対して
思慮をしていないのかと言うと、

意識の方向が
全て内向きとなっているのですね。
簡単に云うと、
教える人に対して意識が向いておらず

自身の中での完結となっている。
という意味です。

詰まるところ、話をよく聴いてないから
別の考えをさも思考だと誤認している状態。

立場を考慮すれば、
意識の方向は自ずと決定します。
教える人が教わる人へと
想いを向けているのですから、

教わる人は教える人へと
想いを向けるのが定石となります。

これが「想いの遣り取り」です。
(相手のために向ける奉仕の精神)

そこのバランスを認識出来ていない段階で
思慮というのは達成しておらず、
自己優位や自己完結の状態と成り下がる。

これを「自分本位」と言います。
(自身の中でのみ纏まる独りよがり)

この様に、各種立場の考慮が出来ない人は
「よく聴いて」「よく考える」という
基本概念を失っていて
想いのバランスを認識出来ないのですから

思慮など到底不可能になる。
という事なのですね。

これは誰でもやりがちな事ですからね。
自分は大丈夫なんて思っていると、
既にやらかしている可能性が高いですよ。

ちゃんと相手の立場
自分の立場を考えて
話をせんと
想像以上に
手痛い竹箆返しを
喰らう事になるんやで

2025年12月2日火曜日

”反省”という単語(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




日頃から何かにつけて
「反省」をされていると思います。
自分を正の螺旋という流れへ
進ませる為にも必要な業ですし、

反省つまり「自戒」の事ですが
これをやらないと
何を正すのかが分からないですからね。

然しながら、
この反省という業ですが、
何を以てして反省なのかを

よく理解しないで使われる事が
多いのも確かです。

最も多いのが
反省という「単語のみの独り歩き」。

例えば、話の中などで出てくる

「私も反省しています...」
「あの人も反省しているのだから...」

みたいなやつですね。

反省という「単語」が
話の中で散見していますから
どことなく「反省している」様に感じますが、

聞く側がこれを真に受けると
確実に失敗します。

話す側にとっても「反省」という
単語のみの使い方をすると手痛い目に遭います。




事、本来のスピリチュアルという立場としての
話をさせて頂きますと、

元来の反省というのは
想いを軸とした「正の螺旋」に於ける業であって

反省に宿るのは「相手のため」という様な
想いに他なりません。

という事は、

もし、反省という「業」を会話の中で
使うのであれば

誰が(who)、何を(what)、
どこで(where)、なぜ(why)、
どれを(which)、どうして(how)、

という様な5W1Hに則して
反じて省みたその内容そのものを
当事者へ「詳細」に伝えなければ、

想いとしての機能は果たせません。

その逆として、
先述した様な「反省」という
「単語の独り歩き」をした場合はどうなるのか。

相手には「念」が伝わり、
相手からも「念」が返ってきます。

実際に、
「反省」をこの様な使い方をする場合は、
その当事者とは全く向き合わずに
「逃げの言葉」として使うパターンが主です。

(話をしたくない)
(そぶりを見せて誤魔化したい)
(自身の意見だけ通したい)
(そもそも面倒臭い)
(自分は悪くない)

こういった思考がメインの時に
使ってしまうのが、
「反省という単語の独り歩き」です。

ね、想いとは程遠い内容でしょ。




もし、本来のスピリチュアルを
理解している人や
理解する努力をされている人が、

会話の中で
反省という単語のみを耳にすると
確実に違和感を覚えます。

強烈な違和感を覚えるので、
その内容を必ず相手に尋ねたり

「詳細は」とか、「詳細を」とか、
何かしら相手さんがこちら側へ伝える為の
促しをしてくれる筈です。

何故かと言うと、

「よく視てよく聴いてよく考える」

と、いう実戦形式での行動原理に沿って
皆さんは動いている訳ですから、

反省というワードはただの「単語」であって
その内容を口にしてもらわないと
意味が無いというのを知っているからです。

その内容にこそ、
想いが詰まっているのだから
それを言葉や文章として伝えてほしいし、

伝えられる様に動いてあげようという
奉仕の精神に基いた動きとなりますから、
上記の様な促しをするのですね。

また、単語のみの使用は
「狡さ」という念を基とした動き
だというのも知っていますから、

確認の意味もあるのですね。
言うなればディフェンスラインです。

態々、率先して
念を受け取る必要はありませんからね。

どこか使い勝手の良い単語なので
安直に利用してしまいがちですが、
運気の維持や安泰安寧を望むのであれば

真摯に向き合って反省の内容を
述べた方が身の為ですからね。

覚えておきましょう。

「反省という業は、逃げの言葉ではない」


こういう点を
上手く使い熟すのが
日頃の業なんやで

2025年11月14日金曜日

実践実感してる神秘(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




それまで
視えなかったものが視える様になる。
聴こえなかった事が聴こえる様になる。

これが何の話かと言うと、

僕とのセッション等を通じて
状況改善が進んだ方々が
必ず手にする"感覚"の話です。

別にお化けが視える様になるなんて
一言も言ってないですし、
死者の声が聴こえる様になる
とも話していません。

ただ、視えなかったものが
視える様になって

聴こえなかった事が聴こえる様になる。

それは、そこに居る人の姿であり
人の声でもあり、

生き物の姿であり、
生き物の鳴き声でもあり、

植物や動物を問わずに
万物の姿でもあり、万物の声でもある。

何とも怪しげな術者が口にしそうな
台詞のオンパレードとなっていますが、

これらを適確に表している言葉を
僕らは日常的に使っています。

それは「雰囲気」です。




それまで
視えなかった雰囲気が視えて
聴こえなかった雰囲気の音が聴こえる

あら不思議、
さっきと比べると意味が格段に
分かる様になってきたでしょ。

エネルギー、気、霊気、霊感、
よく分からなくて不一致な
紛らわしい言葉を態々使わなくとも

普段使いの言葉で表現は充分に事足ります。

それらの言葉には
回復や改善のイニシアチブは何一つ無く
それらの言葉を使って満たされるのは
話している人の自尊心だけですからね。

んなもん使って自身の立場の建立をせずに
素人さんの目線に立って話せば良いんです。

それが思い遣りですね。

話が少し飛びましたが、
自身の状況が悪化や増悪している時とは
感ずるべき雰囲気を
感じられていない状態です。

つまり、
意識が内側へと向いている状態であり
これが「思考的視野狭窄」となります。

口語的に云うと、自分本位状態ですね。




なので、
よく視れば分かるものも
視えなくなる程に「俯いて」いて、

耳を澄ませば聴こえる事も
聴こえなくなる程に
「塞いで」しまっている。

そこから首を上向きにさせたり
塞いでる手を外してあげたりして
回復をさせれば

視えたり聴こえたりする
準備が整います。

その先で、
視野の動かし方や音の聴き取り方を
説明して解説して落とし込んでいく。

すると、それまで華麗にスルーしていた

「雰囲気」が露骨に視える様になるし、
「雰囲気」の音が聴こえる様になる。

こうして、皆さんが言うところの
「不思議な力(笑)」や「霊感(笑)」の
基礎が出来上がるのです。

何のこたぁない、
神秘的でも無ければ超自然的でも無いし、
とても現実的な話でしょ。

ですから、誰でも出来るし
その権利や能力自体は端から持っていると
言ってるのですよ。

これが
「本来のスピリチュアルの基礎」です。

ここから、想いや念が分かる様になるし、
人の見極めが出来る様に繋がっていくのです。

まぁ確かに、更にその先へ進む為には
努力の積み重ねが必定ですから、
貧乏神気質の人には無理ですけどね。

空気を読むとは
違うで
雰囲気を
感じ取るんや
所謂空気ってのは
念想の事やさかい
全くの別物やで

2025年9月20日土曜日

ちゃんと思考する(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




季節の変化や移ろいを感じるというのは
とても気持ちが良いものです。

どの季節にも言える事ではあるのですが、
特に木々の彩りが美しい秋は
何かと癒されるものですよね。

そういう時に、
ちゃんと思考しているのかを
意識してみて下さい。

お花や紅葉の美しさばかりに
気を取られていると
足を滑らせたり
運転を誤ったりして、

事故に繋がったり
怪我をしてしまったり
善い事とは程遠い結果となります。

何で美しいものを視ているのか
それは本当に自分の意思なのか
周りがやっているから
そうしているだけなのではないか

普段は気にしていないのに
流行りの波に乗っているだけとか
癖になっているだけではないか

本当に自己の意思かどうかを
問いかけてみるんです、自分に。




何を目的としているのかを
よく考えてみる事で、
その動きの本質を捉える事が出来ます。

何の為に誰の為にどういう理屈で
自分は動いているのだろうかを
しっかりと思考する。

運気というのは、
どこまで行っても自身の動き次第で
変化するものです。

例え風光明媚な場所を観たとしても
身近な所で済ませていたとしても
目的を逸脱してしまうと
出てくる結果は崩れます。

貴方が実践する業の一つ一つが
運気の維持に繋がりますが、

どんなに素敵な業だとしても
貴方がそれに酔いしれていたら
そこまでの話です。

観て感じ取り結果を得る筈の目的が
いつしか
自身の動き自体の満足度が目的となる。

それは自分本位に他なりません。

小さい事でも大きい事でも
目的をちゃんと思考しながら
動いてみて下さい。

視るものすべてが変わりますから、
秋のレジャーもより一層堪能出来ますし
愉しみは数倍に膨れますよ。

目的を失って
食欲の秋を
堪能しまくれば
お腹はもっと
膨れるんやで

2025年9月14日日曜日

日常を活かす(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




常に自分自身の意見を最優先とするか
適宜他者の意見を優先とするか

耳を傾けて声をよく聴いて
相手を尊重する事によって
繋がっていく現実があります。

こう話すと
どうしても生きている人同士の話で
結論を出してしまいがちですが、

ここには単に死んでいる人や
自分をサポートしてくれている補助霊、

様々な場所に点在している自然霊と
呼ばれる存在なども
多分に含まれています。

霊の言葉や声なんて聴こえない

そう思っているのは貴方の勝手で
実際には聴けているのが現実です。

実のところ、
視えるよりも聴こえるの方が
遥かにハードルは低いんですよ。




霊的な存在というのは、
直接幽体に語り掛けてきます。

それを肉体に落とし込む形で
言葉として認識をします。
早い話が、
霊的存在の音声データを
ダウンロードしている感じです。

ちなみにですが、
霊的存在の声を聴くための
アプリケーションに相当する部分は
既に皆さんはインストール済です。

それが、幽体ね。

このダウンロードが中々難しいもので
幽体から肉体へ落とし込む際の
データ量に対して
接続速度が非常に遅いため、

途中で接続が切れてしまうのです。

なので、断片的だったり
薄っすらとしか聴けなかったりします。

夢で例えると分かり易いのですが、
憶えていられないですよね、夢。

ハッキリと憶えているものと
薄っすらとも覚えていないものとの
差の激しさが物凄いでしょ。

あれが、
幽体から肉体への落とし込みの
難しさを表す典型的な例です。




全てのデータだと容量が大きくて
非常に大変になりますが、
そこを聴覚だけに限定すれば
結構な容量が節約できます。

霊的存在との遣り取りに於ける
コツみたいなもんですよ。

皆さんはどうしても
視覚に頼り過ぎてしまう。
見たいという願望が強いとも言えます。

目で視えた方が安心もするし、
恐怖も抑えられますからね。

ですが、
その願望が却って皆さんの感覚を
面倒なものにさせてしまっているのです。

なので、少し考え方を変えてね、
例えば、聴覚に頼る率を高めて
視覚に相当する部分を
想像で補ってみて下さい。

CGイメージ補強みたいなもんです。
自身の中の知識や経験が相当数あれば
一部の感覚を基にしてVRを構成できます。

何も全てが全てを物質に触れる感覚で
どうにかしようとするから
無理が生じてしまうんですよ。

何だか、ぶっ飛んだ事を言ってると
思うでしょうけどね、これってさ
普段から皆さんもやっているからね。

声だけを聴いたりして相手を認識する
電話とかで普通にやってるでしょ。

あれをそのまんまやればいいの。
簡単でしょ。

でも中々出来ない
それはあんた自身が
見た目を盾に取って
邪魔をしてしまう
からなんやで

2025年9月12日金曜日

真面目の反動(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




人の話を「聴ける人」と
「聞けない人」がいます。

聴ける人の中にも

「聴くのが上手い人」と
「真面目に聴ける人」と
「聞ける人」がいます。

聴くのが上手い人というのは、
所謂聴き上手な人を指します。

同時に話し上手な人とも言えます。

真面目に聴ける人は、
聴くという行為に対して
集中する事が出来る人です。

但し、そこから話の内容や真髄や
要点をきちんと得ているかは別です。

どちらかと言うと
ちゃんと聴いている、聴けているという
「自身の姿に酔っている人」が多いです。

真面目に聴ける人に対して
後から再度話の内容を聞いてみると、

「言葉は聴けていても
内容は理解出来ていない」

なんて事が多々あります。

これが
「真面目の反動」というやつですね。

ついでに、
「聞ける人」というのは、
本当にただ聞いているだけで
聞けないよりは良いよね。
みたいな感じの人を指します。




この「真面目に聴ける人」というのは、
視る場合でも同様に
「真面目に視る人」となり易いです。

やはり構造は同じで、
その真面目な自身の姿に酔ってしまう。

真面目というのは、単に「性格」です。

どうしても、善悪としての捉え方で
使われる場面が多いので勘違いし易いですが、
単に性格上の話であって

「真面目=善」

として、捉えてしまうから
その姿に酔いしれてしまうのですね。

実際のところ、
不真面目でも善い人は居ますし、
真面目でも悪い人だって居ますよね。

ただ単に
動き方や考え方を司る性格の切り分け
でしかないのが、真面目というワードです。

なので、真面目だからと言って
そこに酔いしれてしまうのは
強大な自己満足に過ぎませんから

行き着く先は貧乏神となってしまいます。
多いんですよ、自身の真面目さに酔い過ぎて
地獄へ堕ちていく人。

ま、結果として独りよがりとなって
自分しか視ていない訳ですから
当然と言えば当然の結果なのですけどね。




然しながら、決して間違えてほしくないのは、
「真面目な性格」というのが
駄目な事だと言っているのではないです。

全然悪い事ではありません。
ちょっとだけ依存する毒素成分が強いのと、
ステルス性が高いので
じんわり響いてきてしまうのですね。

気が付いたらとんでもない事になっている。
みたいな感じに効いてしまうのが
真面目の毒素なんです。

これを制御するには、
真面目の反動を理解しないといけません。

真面目ってのは本来は「辛い事」です。
“楽をする”とは相反する側面ですからね。

にも関わらず、
そこに他者と比較しての優位性や
一時的な快楽を得ているというのは
適切な真面目さであれば有得ない話なのですよ。

こうやって考えると、
真面目な自分に酔っているという意味が
分かりますでしょ。

要するに、真面目も行き過ぎると
俗欲依存が進んでしまうから
ヤバいですよという話です。

四六時中、真面目を貫くのではなくて
適頃な面で真面目の効果を
最大限に発揮すれば良いだけ。

そうでもしないと
勧善懲悪の波に飲まれてしまって
いつしか完璧主義の渦中に嵌って
二度と脱出出来なくなってしまいますからね。

張る場面は張って
抜くところは抜く
その加減を
知る事が
真面目さんには
不可欠なんやで

2025年5月12日月曜日

即効性の希求(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




「運気が良くない」とか
「調子が良くない」とか
「何かと上手くいかない」とか
「もっと良くしたい」とか

理由は様々あれど運気UPを望む人の
殆どが俗欲をベースにしています。

ここまでの話を聴いて

「それは宜しくないな」
「私は違うわね」

などと、思った人は
そこそこに危険な状態です。

何故かと言うと、
何をするにしても俗欲をきっかけとして
人は動くものだからです。

俗欲に溺れる事が駄目なだけであって
俗欲そのものは決して悪では無いです。

そこから目を逸らして
最後まで話も聴かずに悪と断定するのは
自身の駄目な面をも視ないと、
宣言しているのと同じなのですね。

そういった状態の方がやらかし易いのが

「即効性の希求」です。




「辛さや苦しさから逃れたい目を背けたい」
確かにその気持ちは分かりますが、

大元の問題を理解する事と
その改善に目を向けなければ
例え一時的な快方を得たとしても、

いずれまた同じ状態に陥って
症状は見るからに増悪していきます。

自身の状態が芳しくないのは
貴方が長期間に渡って俗欲に溺れながら
周りに流されて好き勝手に動いてきたツケです。

云わば、俗欲や貧乏神といった毒沼の中に
どっぷりと浸かってきた訳です。

解毒自体の即効性は約束出来るものですが、
その後の改善という点や
予防などという点については
即効性など望める事は無いのです。




それなのに即効性ばかりを希求するから
おかしな事に繋がっていくのですね。

何事に於いてもですが、
改善というものには「急がば廻れの精神」が
重要なものとなってきます。

「持っているだけで幸せになれる」
「視るだけで運気アップ」
「聞くだけで霊力増強」などなど

断言できますが、
そんなの決して有り得ない事です。

運気UPや改善というのは
貴方自身の不断の努力が実を結ぶものです。

よく視てよく聴いてよく考えながら
失敗を恐れずに自ら動いて得るものです。

あにきみたいな存在は、
貴方の努力を開始させたり後押しをする為の
きっかけに過ぎません。

楽をしたいあまりに、
縷々響いてくる喧しいまでの綺麗事には
悦という名の毒素は有っても
即効性や回復効果はありませんからね。

俗欲の影響を
低下させて
純度を上げる
それには自身の
努力が不可欠やで