2025年11月17日月曜日

期待の源泉(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




何かに期待をして
その期待が叶わなかった時に
がっかりするのが嫌だから
出来るだけ期待はしない様にする。

インスタにも書いた話ですが、
この考え方は看過出来ません。

まず、期待をするに値する
「根拠の有無」というのがあります。

自身の中で期待するに余りある根拠がある。
ましてや、地に足を付けた形だったり
客観的視点からでも
努力の価値が認められる場合、

そこには期待するに値する
「根拠」が堂々と存在します。

それは、数値かも知れませんし、
思考的な感覚かも知れません。

何にしても
確固たる根拠が存在するのであれば
期待をした方が好結果に繋がります。




根拠を持っているという事は
「自信」へと繋がります。
理由無き自信ではなく、

列記とした「自信」です。

テスト勉強然り、
人間関係然りです。

にも関わらず、
ここで期待をしないというのは
己の自信や他の客観的評価や
前向きな意見よりも

達成出来ないかも知れないという
恐怖心や悲壮感に負けた事になります。
絶対的な自負があるのにです。

その感情こそが「駄目な自分」であり
自分本位そのものなのですね。

自己のポテンシャルを
最大限に発揮させるには、
期待をしないのではなくて
「期待をする」にベットした方が良いです。

その為に努力を重ねて自信を付ける。

他薦による評価を
駄目な自分に臆して裏切る行為というのは
想いを無碍にする以外の何物でもありません。

そんな恩を仇で返す動きをしていて
好結果が出てくるほど甘くはないのです。




ましてや、期待をするという事は、
「意識の具現化」への道程を指します。

努力を積み重ね、自信を手にして
想いの力場が強くなればなるほど、
その意識というのは
限りなく具現化へと近付いていきます。

それをわざわざ自ら放棄する
破棄する動きが、

「自分本位への屈服」です。

やれるだけの事をやり切り、
得難き自信を得たのであれば
形と成す為に期待をする。

そこには同じ想いの存在が
確実に傍に居る筈です。

そして、どんな結果となろうとも
万が一の結果となろうとも、
次へと繋がるものへと必ず昇華します。

ですから、
惜しみない努力の上に設けた自信を
源泉とした期待はすべきなのです。

これとは逆に、
根拠なき期待はお勧めしません。
そもそも努力もせずに期待する方が
どうかしているのですから。

努力無しの期待は
どんな結果に
なったとしても
最終的には
何かの所為にして
終わるんやで