今回は動き方について
お話をしたいと思います。
誰にでもの話ですが、
「善い自分」
「駄目な自分」
を持ち合わせています。
これは単純な
長所短所の分類ではなくて
自分の中に存在する
想い基軸を中心とした部分
念基軸を中心とした部分
これらの俗称の様なもので、
切っても切れない関係性のものです。
この善い自分と駄目な自分を
上手く制御する事が
運気の向上と維持には不可欠です。
ですが、人とは面白いもので
善い自分や駄目な自分と
聞いてしまうと、
どうしても善い方を優先的に捉えたり
慮る様な行動を執り始めます。
ここがまた一つの落とし穴なのですね。
どうして善い自分を優先的にするのか。
そこを思慮しないといけません。
善い自分ばかりを
前面に押し出そうとするのは、
駄目な自分を隠したり
自分自身からも見えなくさせるため
と、いう様な
言い換えをする事も出来ます。
そして、そういった時の自分は
果たして想い基軸なのか念基軸なのか。
善い自分を出していたとしても
それを蹶起させた部分は
(駄目な自分を)見せたくないとか
見たくないという「俗欲」なのですね。
という事は、
善い自分を出しているつもりが
念基軸の状態となりますから、
これの中身は駄目な自分に他ならないのです。
善い自分と駄目な自分
想い基軸と念基軸というのは、
常に表裏一体の相互関係にあります。
その上で、どちらにも化けるという
擬態性も持ち合わせています。
物凄くステルス性が高いのですね。
こういった特性があるので、
善い自分ばかりを前面に出していても
良くなどならないし寧ろ、
悪化する理由がここにあるのですね。
重要なのは両方に目を向けること。
善い自分も駄目な自分も
どちらも自分という事を理解する事。
善い自分に偏らせたところで
それは利己的思考に基く動きでであり
念基軸を礎とするものですから、
業にはならないのです。
一方的な御利益を求めて
お参りに行くようなものと同じです。
神さん仏さんはそれら念基軸を無視しますが
悪霊生霊は喜んで寄ってきます。
大切なのは
常に「ニュートラル」であること。
善い自分を押し出すのでもなく
駄目な自分を抑えるのでもない
フラットに視ながら
どちらも制御して動かす。
ニュートラルを意識した動きをすると
自然とこの動きが出来る様になります。
この捉え方が日頃の業に繋がっていくのです。
「Nに目覚めろ」
出してあげる事も
運気の向上と
維持には
必要なんやで



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