2023年4月3日月曜日

綺麗事からの脱却(気付きの応用)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は見極めに関しての気付きについてです。
(応用編ですから、セッション未経験の方は
どうかご注意下さい。)

あれやこれやと人に振り回されたり
惑わされたりして、
大変な思いをされている人は多々います。

そういう人の特徴として、
「綺麗さへの極端な偏り」が挙げられます。




綺麗さってのは、見てくれもありますが、
何よりも考え方とか心情とか、
ここではいわゆる内面的な部分での話です。

常日頃から言っていますが、
人は綺麗事だけで成り立っている訳ではありません。
誰にだって汚い部分、見せたくない一面はあります。

ここをしっかりと理解する必要があるんです。
自分で自分を分かってあげる!という意味です。

人に見せたくない。見られたくないから、
自分も見ない!見たくない!!向き合わない!!!
ではなくて、
そういう一面も自分なんだと、きっちりと理解する。

その上で、自分の負の一面が
元々持ち合わせているものなのか?
はたまた、
人から影響を受けて作られたものなのか?
この部分を考えてみる。





一見すると、人を見極めると言っておきながら
自分の方しか見ていない様に思えるでしょうけど、
ここがミソでしてね…

前述した、考えてみるの時に、
自分がどういった変遷を得て今こうなったのか?
どういう特徴があったのか?
具合や調子が悪い時はどうだったのか?
と言った、身体やメンタルでの隠しきれない特徴や

自分以外の人様(家族やパートナー、友人も含む)から
指摘されたポイントは何だったのか?
などに、気付くための大切な行程なんですね。

だって、人の事は分からなくても
流石に自分の事は分かるでしょ?




ここでの気付きを得られるか否かで、
後々の結果は本当に差が出ます。

どこまでも自分の闇を直視しない人は、
いつしか自分もその闇に引っ張られてしまって、
良くなるどころか悪しき存在に引き寄せられたり
自分がそうなったりします。

直視するだけで、しっかりと分析をしない人も同一です。
悪化が遅いか早いかの違いってやつです。

どうしてか?

大抵の場合、こういうパターンですと、
悲劇のヒロイン症候群を発動させた挙句、
自己嫌悪に陥って抜けられなくなります。
なので、結果は変わらないんですね。




人を視る為に、自分をちゃんと視て分析する。
その一挙手一投足を肌身だけでなく、
全ての感覚を用いて覚えていく。
その過程で真に大切な気付きが得られます。

そして、それが経験へと繋がって、
自然と人を視る時のポイントへと移行していく訳ですね。

ですから、改めて言いますけども、
自分を直視する事も分析する事もしていない人ほど、
もっと言えば、貧乏神を引き寄せてしまいガチな人、
もしくは、実際に騙されたり、危うい人ほど、

綺麗事に偏ります。




怒りはダメ。悪口はダメ。何にでも感謝しなきゃダメ。
常に笑顔でいないとダメ。綺麗な物しか見てはダメ。
綺麗な言葉しか使ってはダメ。嫉妬はダメ。
常に清らかな心でいないとダメ。恨みはダメ。

こうして見ると偏っているでしょ?
いつも言ってますけど、バランスが大切なんです。
人としてのバランスがね。

偏った綺麗事は心の醜さを強めます。
綺麗事への極端な拘りは貧乏神を呼び寄せます。