2024年7月14日日曜日

気付きのための思考(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回はシンプルに日々の中での
気付きに関する事について
肩の力を抜いてお話をしたいと思います。





あにきは日頃からインスタグラムに
何かと小さい事を載せています
景色やらクワガタやらトンボやら...

事、特別なものを載せている訳ではなく
あくまでも日々起きている現象を
全き日常を、
加工せずに載せているだけなのですが、

珍しいとか不思議とか、
多々ご感想を頂いています。

ですが、改めて申し上げますけどね、

本当にどこにでもある事ですし、
決して珍しい事ではないのですよ。

ましてや、ここは秘境でもなければ
ただの山であり森なのですから。

では、どこにでもある事として

「どうして自分は気が付けないのだろうか」

という疑問が出てくると思います。
インスタを見る方によっては、

ご自分の住まいも似た環境だったり
近い環境だったりする方も居る訳ですからね。






これは単に

「思い込みによる思考の固定」が、

主な要因であると、あにきは考えます。

どういう事かと言いますと、

例えば、
日頃の景色などは
毎日違っていますよね?

その理屈は理解されていると思いますが、
実はまだ思い込んでしまっている為に
視線等の誘導が出来ていない

という感じです。

要するに、
一瞬動く度に、一歩動く度に、
見える景色、視える空気、視える物、
全て秒単位で違う筈なのに

どれもこれも同じだと
思い込んだまま過ごしているからこそ
気が付けない
無意識下での五感の固定です。





こんな事を経験した事はありませんか?
いつも車で走っている道を
徒歩で通った時に、
普段何気なく見ていた風景の
意外性に気が付いたり、

目線を少しだけずらしたら、
思いもよらぬ看板が立っていたなど。

人は速度上昇による視野狭窄や
意識を集中しない事による見流しが
実際には思っている以上に多いのです。

見ている様で視えていない
景色や空間の細かいディティールが
目の前にさも突然現れたかの様な経験。

それは単に発見で済む話ですが、
気付いた人や見付けた物によっては、
神秘ですとか奇跡ですとか
そういう風に位置付けられ易いです。

ですが、その結論は実に安直でして、

それまで自分の我儘で
気付かなかっただけであり
見付けられなかっただけなのです。

つまり、
今貴方ご自身が思い描く様な
口にする様な神秘も奇跡も、
五感さえ研ぎ澄ませれば
いつでも身近に転がっているのですね。





それを鑑みれば、
視ようとする目的意識が薄いが為に
目線が慣れていないだけですし、

聴こうとする目的意識が薄いが為に
耳が慣れていないだけです。

その他の嗅覚、味覚、触覚も同様です。
目的意識が薄いが為に慣れていない。

なので、
神秘だの奇跡だの不思議だのと
感じてしまうだけであって、

それらは元々そこら中に
転がっているのですね。
第六感も何もないのです。

あにきは常々申しております、

「神秘や奇跡を感じたければ
五感を徹底的に研ぎ澄ませればいい」

と。

何となく視るほど世界は狭くないですし
何となく聴くほど世界は無音ではないです。

その思考を持てる様になれば、
これまでの神秘は神秘ではなくなりますし
これまでの奇跡も奇跡ではなくなり、

その先にある
本当の意味での神秘や奇跡を
身体全体で感じられる様になりますし、

その時に初めて第六感というものを
その身で感受し制御する事が
出来る様になりますからね。

神秘や奇跡に対する気付きというのは、
現実を現実として逃げずに追及する事で
誰でも得られるモノなのです。

ですから、
安易に第六感に頼るというのは
非常に危険な行為でもありますし、

実は気付きというものにとって
最遠の選択肢なのです。

いつも違う現実を理解してみましょう。
理解出来る様に努力をしてみましょう。

毎秒毎分で違うのがよく分かりますよ。
そうすれば必ず気付けますからね。