今回は動き方について
お話をしたいと思います。
常日頃より
「嫌な事は起きないでほしい」と、
願い請うものだと思います。
確かにその通りなのですが、
肝心なのは起きた後の対処
つまり、「事後の対処」です。
事前や未然の希望や願望ばかりを
強く請い過ぎるが故に、
起きた後の心構えや対処などが
疎かになってしまう
という現象が起きます。
そこには、
「本気度の薄さ」
というものが、関係してきます。
強く請うというのは、
一考すると自身の行動と捉えがちですが
請う事自体が外側に向けた行為です。
要するに、他力本願ですから
簡便に例えてみるならば、
「言ってみただけ、あとはよろしく」
「やってみただけ、あとはよろしく」
「聞いてみただけ、あとはよろしく」
みたいな感じとなります。
本気度が薄いのですね。
これとは逆に、
請う為に‟何か”を捧げたり
請うから“何かしらの”努力をする
などであれば、自己努力の一環となるので
本気度が濃くなります。
この場合ですと、
同じ様に「何かの事象」を想定して
喫した際に事前や未然の希望ではなくて
事後の心構えや対処を
現実的に想定する様になります。
物事や事象に対する思考というのは
「事後に向けた事前の動き」が、
須らく重要となってくるのです。
よく視てよく聴いてよく考える
と、いう簡潔な業はここにも繋がります。
本来のスピリチュアルで重視するのは
ファンタジーに満ちた事前や未然ではなく、
そこに存在する事後一択です。
現実の中の事後を纏めるには、
事前に於ける
「素直さ度の高さ」と「本気度の濃さ」が
明朗な必須要件となるのです。
そして、それらは常時意図的に意識をして
己の内へ身に沁み込ませる方法でしか
伸ばしたり厚みを持たせる事が
決して出来ない繊細なものなのです。
ですから、
考え込んで硬化してしまい
動くまでのイニシアチブを失わない為にも
まずは動いてイニシアチブを取り
その後じっくりと思考に結び付かせて
慣れてきたら思考からの行動という流れへと
負担なく進む事が出来る様に
「よく視てよく聴いてよく考える」
という簡便な業に示しているのです。
にも関わらず、それでも順応困難となると
現実不直視で幻想に逃避している曲解
という事になりますから、
事後の重要性を理解するのは
不可能に近いです。
起きた後の対処を思考出来なければ
事前も未然もあったもんじゃないですからね。
溺れて先を
見据えられないのは
見据えられないのは
ここに起因するんやで


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