2023年5月25日木曜日

健常者しか徳を積めないの?

皆さんこんばんは、あにきです^^

今回は徳についてのお話です。





ー健常者、障害者の区別なしー


徳を積むに当たっての区別などはありません。
誰だって積むことが出来るのが徳です。
つまり、誰にでも浄土へ行くチャンスはある。

けれども、ここで疑問が出てきます。

自分の意思で動けなかったり、
コミュニケーションが取れない場合は
どうなるの?

という疑問です。

徳を積むという事は
善い業(おこない)をする事だと
誰しもが耳にしている筈です。

にも拘わらず、自分が動けなかったりしたら
積もうにも積めないじゃん...みたいな。

ですが、積めるんです。

これは、徳というものの捉え方を
『自己基準なのか?他人基準なのか?』
と、小さく考えてしまっているから
疑問に思えてしまうんですね。

世の想い(業)は巡り巡るもの(回向)
というものを理解すれば分かってきますし、
ちゃんと視えてきますからね。

その為にも、徳の種類から理解を
してみましょう!




ー受諾の徳(じゅだくのとく)ー


自分以外の人からの業で徳を積む事を
受諾の徳と言います。

受け身で徳を積むと考えれば良いです。
例えコミュニケーションを取れなくても
自分に対して徳を積んでくれた人の徳が
そのまま自分の徳にもなる事です。




ー与儀の徳(よぎのとく)ー


自分以外の人に対する業で徳を積む事を
与儀の徳と言います。

与えて徳を積むと考えれば良いです。
例えばコミュニケーションを取れない人に
対して色々とやってあげる。

与えた事が徳となるという意味ですね。




ー己末の徳(みすえのとく)ー


自分が自分に対する業によって徳を積む事を
己末の徳と言います。

例えば、自分を褒めてあげるとか、
自分のモチベーションを持ち上げるとか、
そういう意味で自分に徳の意識が向いていて
自分で始まり自分で終わる徳という意味ですね。

ちなみに、自己満足や自己研鑽とは
違いますからね。あれは徳とは言いません。




ー巡り巡るというのを意識するー


この様に業がどの方向を向いているのか?
どの視線での業なのか?
という中で徳の積み方も分類されていき
どこかしこで必ず徳を積める様に
なっているんですね。

この仕組みさえ分かれば、
健常者とか障害者とかの枠組みで
徳を語る理由も無くなりますし、

人によってはですが、
障害のあるお子さんをお持ちの親御さんとかは

「この子は徳を積めるのかしら...」
「良い所へ行けるのかしら...」

とか、ご心配になった時とかも
あったと思うんです。

あにきも身内にダウン症の子がいましたから
そのお気持ちは本当に理解できます。

けど、本来はそんな心配は無用で、
苦悩はあれども全力で向き合ってぶつかって、
楽しんで、悲しんで、怒って、喜んで、

人としてのバランスを大切にしながら、
人としての活きる道を進んでくれれば
何も問題は無いのですよ。

ちなみにですが、これは重篤なご病気の方や
その介護をされているご家族などにも
当て嵌まりますからね。

改めて言いますが、
徳を積む事に健常者とか障害者とか、
そういった区別は全く存在しませんからね!