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2023年11月6日月曜日

ステップアップ・アンソロジー(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^





人が人として存在していく上で
何よりも重要になってくるのが
『心の大きさ』
となります。

「生きていく上で」ではなくて、
「存在していく上で」です。

ここで気を付けてほしいのが、
死んだ後も含んでいるという点。

時間換算すると生前よりも死後の方が
圧倒的に永いです。
そこまでの全てを鑑みてでの
人としての存在という意味です。

肉体が無くなってからが本番
という解釈にも取れますが、
それは正解であり不正解。

どちらも重要になってくるので、
死に希望を見出したり、
終末論を望んだりするのは
大きな間違いとなります。





死後の霊体(魂)の選別時に
念想の天秤というのが用いられます。
個々人の善悪を見極める物の総称で
ここの判別で行き先が決まります。

これの基準となっているのは、
見た目でもなければ何でもなくて、
罪の重さと愛情の理解度のバランス。

恨み、思い遣り、寛容性、恐怖心、
心を構成するもの全ての中で、
愛情をどれだけ理解したのか?
という点を、自身の犯した八罪との
バランスで決めるという事ですね。





人は、苦労や苦悩の中で答えを導き出し
形を成していきます。
ここで愛情の尊さ、愛情の理解度を上げて
心の大きさを拡げていく。
多よりも個の心の広さを重視しています。
これは向こうの世界の構成要素として
重要ですし何よりも自分達の為だからです。

これが誰しもがこの世に産まれてくる
最大の目的なのですが、

肉体を持ったこの世では欲という因子が
必要でもあり邪魔もしてきますから、
愛情よりも欲が増してしまう。

個の苦悩を多の欲で補うから、
愛情の理解度を上げる以前に、
心が狭小化していってしまう。

そもそもがこの世では
心の大きさを拡げるのが目的なのに、
淘汰されるべき点が増えてきたのでは
死後の濾過が進まなくなり
結果として滅という形となってしまう。

それではお話にならないので、
物質的な淘汰というのが
定期的に起こる様に出来ているのです。





この淘汰時に、ポイントとなるのは、
多の意識がどこへ向いているのか?
という点です。

前々回でもお話しましたが、
人は意識をした段階で現実となりますし、
そこへ向かって動き始めます。

もし、滅>生存という意識となれば
過去帰りとなりやがては滅亡。

生存>滅となれば、
未来への共歩となるので
間引きは完遂されるけど生存となります。

淘汰時の基準となるのは
この世の理での善悪ではなく
向こうの世界の理での善悪です。

つまり、念徳ということ。
心の大きさ、愛情の理解度を推し進める事が
出来る可能性が少ない人が
淘汰の基準となっていくという事ですね。

詰まるところ、本来ならば死後に
向こうの世界に帰る時に行われる
念想の天秤をこっちの世界で引き起こす。
という意味です。





現フェーズの黎明期では、
この意識のコントロールと
個>多というのは
実際に行われていましたが、

意識の物質化の論理的理解や
空間認識を行うまでの知識と知恵が
まだ足りていませんでした。

ですから、一番の難関である
個>多と、意識のコントロールを
最初に実現させておいて、
科学的な知識と知恵が一定数に満ちるまで
それを意図的に忘失させたのが、
このフェーズの始まりです。

精神的側面の発展には
物質的側面の発展が必要だけれども、
それには数が増え続けて
心の品質は悉く落ちてしまうという
リスクが絶対的に発生をします。

けれども、それを乗り越えないと
ステップアップ事態が完遂はできない。

なので、このフェーズでの事象の流れは
とりわけ精神的側面の流れは、
未来(過去)→現在→未来
となるのです。



2023年10月25日水曜日

善い影響力と徳(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は善い影響力についてです。





【 徳 > 恨 み 】

という図式になると、
善い影響力の方が悪い影響力を
凌駕しますので、
必然的に運気が上がり始めます。

前々回でも話しましたが、
悪い影響力や恨みというのは
誰でもいつでも発する事になります。

これを完封させるのは、
人には無理です。
感情がありますからね。

ですから、飽和的に徳を積む事が
善い影響力を増加させるポイントと
なってくるのですが、

ここで”徳”というものを
ちゃんと理解しておかないと、
増やすに増やせない事に繋がります。





徳をいわゆる善行(ぜんぎょう)と
捉えていると、まず増えていきません。

人に良い事をしましょうの善行ですね。

要となるのは、
人様に善い事をする前に、
自分にとっての善い事をしないと、
そこは実行が出来ないという点です。

誰かを愛したり信じたりするのに
自分に対してそれが出来ない人が
他人に対してなんてまず無理ですよね?
これと同じです。

この理論がそのまま当て嵌ります。

なので、
まずは、自分にとっての善い事を探す、
気付ける様に行動をする。
意識を向ける。
これを”小さい幸せ”というのです。

小さい幸せに気付けなかったり、
この絶対数を増やせないと、
徳の相対数が増える事はありません。





色々な言葉が出てきたので
ゴチャゴチャになっても
つまらないですから、
纏めましょう。

小さい幸せ、徳、厄、恨み
これらが自身や個人間
特定可能な相手に発する
逆に受け取る等のものなので、
ミクロ面になります。

そして、これらが増える事で
増大したり減少したりして、
周囲や不特定で与えるもの
もしくは受け取るものが
善い影響力、悪い影響力です。
ですから、こちらは
マクロ面ですね。

これらが常に循環連動して
乗じて増減するものが
いわゆる運気となる訳です。

なので、
運気を上げたいのならば
日頃から小さい幸せを見付けましょ。
小さい幸せに気付きましょ!
その為の努力をしましょう。




2023年10月21日土曜日

人の持つ影響力を理解する(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^





人はその場に居るだけで、
周りの人に対して
驚く程の影響力を生み出します。
それはどんな人でも変わりません。

善い影響力も有れば、
悪い影響力も有ります。

これは人に与えるのと同時に
自身も与えられている事になります。

で、あるならば
どうせなら善い影響力を伸ばしたい。
受け取りたい。
そう考えるのが人です。

ですが、
まず考えないといけないのは、
悪い影響力の方。





人は、どんなに善い性格で、
善い行いをしている人でも
一定数の恨みを買います。

同時にこれは、一定数の恨みを
与えているという事にもなります。

『自分はそんな事ない!』と、
思った人も居るでしょうけど、

例えば、
車を運転していて、
自分が信号を通過したら赤になりました。
後ろの車は行けませんでした。
後ろの車はどう思っているだろうか?
もし、急いでいたとしたら...ねぇ?...

では、
スーパーで買い物をしている時は?
家に居る時は?

程度の大きさはどうあれ、
少なからず恨みを与えてしまっている。

これが悪い影響力であり、
自分の意識とは裏腹に勝手に与えてしまう。





これに相反して、
自身から率先して行動をしないと
なかなか与える事がないのが
善い影響力です。

例えば、
身なりや仕草等です。
自分から気を付けてないと
良くならないでしょ?

それと、率先して行動しないと
逆に悪い影響力となってしまう。

これも身なりや仕草で
考えれば分かりますが、
率先しないとだらしなくなったりして、
善い影響には程遠くなりますよね?

つまり、善い影響力というのは、
常に悪い影響力と背中合わせに位置していて
自身が意識していないと裏返ってしまう
表裏一体のものであり、
自ら発さないと稼働しないものなのです。





これが人の持つ影響力。
人に相対する以前に関わる最初のものが
この影響力で、
人の善し悪しの見極めや、
自身の運気の上げ下げというのは、
この先にあるものとなります。

ですから、取っ掛かりとなるこの影響力を
理解してるのとそうでないのとでは、
結果にかなりの差が生じるのは
必然なのですね。



2023年6月12日月曜日

考えるけど自然とやるもの

皆さんこんばんは、あにきです^^

今回は思い遣りについてです。




生きていると色んな所で
思い遣りを出したり受けたりします。

道を譲るとか、物を譲る、
順番を譲る、場所を譲る、声を掛ける、
教えてあげる、などなど...

多岐に渡ってその機会があるものです。

それは自分とて同じことで、
受ける側としても多々あるはずです。


けれど、それが無いという人もいます。
思い遣りを感じた事が無い人。

実際にそういう台詞を吐かれた事もあります。
では、どうしてそういう方は
思い遣りを感じた事がないのでしょうか?

単純に思い遣りを与えた事が無かったり
少なかったり、見返りを求めたり
しているからです。




それでは、どこまで行っても
思い遣りに遭遇する事はありませんし、
気付く事すらありません。

そして、そういう方の殆どが
思い遣りを受けているのに、
自分を優先させたいがあまりに、
反故にしているだけという事実。

なので、自分には還ってこない。
当然に"気付き”という重要ポイントにも
気が付くはずもない。


ですから、普段からまずは与える事が
必要になってくるし、
誰でもかれでもというのは少し違うから
見極める努力をしなければいけない。

また、思い遣りというのは、
優しくするだけが全てではなくて、
メリハリを以って叱ったり怒ったりする事も
思い遣りなんです。




教えてあげられる立場の人が教えてあげる。
黙って見ているのか?
聞こえないふりをするのか?
見て見ぬふりをかますのか?

そういう場面でちゃんとした行動を取る
これも思い遣り。

あにきが若い頃。
電車の中で酔っぱらって女の人に絡んでいる
初老の男性がいて、その女性は困っているけど
周りの人は誰も助けないし、何もしない。

「おじさん、おじさん!」
と、声を掛けてこっちが
話し相手になってやって、
その場を切り抜けた事があります。

こういうのが思い遣りだと思うのね。




結局、周りの人もその女性からも
何も無かったけど、その場は収まったし、
そのおじさんには後で謝られた。

結果としてオッケーじゃね?
という経験をしました。
特にこれと言って何も無かったけども、
スッキリしたのと、今こうして堂々と
体験談を話すことができる。

これが思い遣りから得られた徳でもあります。

皆さんは、思い遣りをどう考えますか?
受けた事が無いって人は、
今一度ご自身のスタンスを考えてみるのも
アリかも知れませんね。

2023年5月25日木曜日

健常者しか徳を積めないの?

皆さんこんばんは、あにきです^^

今回は徳についてのお話です。





ー健常者、障害者の区別なしー


徳を積むに当たっての区別などはありません。
誰だって積むことが出来るのが徳です。
つまり、誰にでも浄土へ行くチャンスはある。

けれども、ここで疑問が出てきます。

自分の意思で動けなかったり、
コミュニケーションが取れない場合は
どうなるの?

という疑問です。

徳を積むという事は
善い業(おこない)をする事だと
誰しもが耳にしている筈です。

にも拘わらず、自分が動けなかったりしたら
積もうにも積めないじゃん...みたいな。

ですが、積めるんです。

これは、徳というものの捉え方を
『自己基準なのか?他人基準なのか?』
と、小さく考えてしまっているから
疑問に思えてしまうんですね。

世の想い(業)は巡り巡るもの(回向)
というものを理解すれば分かってきますし、
ちゃんと視えてきますからね。

その為にも、徳の種類から理解を
してみましょう!




ー受諾の徳(じゅだくのとく)ー


自分以外の人からの業で徳を積む事を
受諾の徳と言います。

受け身で徳を積むと考えれば良いです。
例えコミュニケーションを取れなくても
自分に対して徳を積んでくれた人の徳が
そのまま自分の徳にもなる事です。




ー与儀の徳(よぎのとく)ー


自分以外の人に対する業で徳を積む事を
与儀の徳と言います。

与えて徳を積むと考えれば良いです。
例えばコミュニケーションを取れない人に
対して色々とやってあげる。

与えた事が徳となるという意味ですね。




ー己末の徳(みすえのとく)ー


自分が自分に対する業によって徳を積む事を
己末の徳と言います。

例えば、自分を褒めてあげるとか、
自分のモチベーションを持ち上げるとか、
そういう意味で自分に徳の意識が向いていて
自分で始まり自分で終わる徳という意味ですね。

ちなみに、自己満足や自己研鑽とは
違いますからね。あれは徳とは言いません。




ー巡り巡るというのを意識するー


この様に業がどの方向を向いているのか?
どの視線での業なのか?
という中で徳の積み方も分類されていき
どこかしこで必ず徳を積める様に
なっているんですね。

この仕組みさえ分かれば、
健常者とか障害者とかの枠組みで
徳を語る理由も無くなりますし、

人によってはですが、
障害のあるお子さんをお持ちの親御さんとかは

「この子は徳を積めるのかしら...」
「良い所へ行けるのかしら...」

とか、ご心配になった時とかも
あったと思うんです。

あにきも身内にダウン症の子がいましたから
そのお気持ちは本当に理解できます。

けど、本来はそんな心配は無用で、
苦悩はあれども全力で向き合ってぶつかって、
楽しんで、悲しんで、怒って、喜んで、

人としてのバランスを大切にしながら、
人としての活きる道を進んでくれれば
何も問題は無いのですよ。

ちなみにですが、これは重篤なご病気の方や
その介護をされているご家族などにも
当て嵌まりますからね。

改めて言いますが、
徳を積む事に健常者とか障害者とか、
そういった区別は全く存在しませんからね!