今回は動き方について
お話をしたいと思います。
分からない事を無理に分かった体で
押し通そうとするのではなく、
素直に分からないと言えるか。
また、何が分かっていて
何が分からないという様な
分析がちゃんと出来るかどうか。
この様な純朴な動きが出来ない人は
かなりの確率で話を盛ります。
人に何かを紹介する際や
自分の話を伝える時、
起きた事などを教えたりする際に
話に尾鰭を付けて
もりもりに盛ってしまう。
しかも、そこには明白な悪意が無いのです。
なので、自身は相手に対して
善い事をしているつもりになっている。
もしくは、相手のためとすら
考えたりしてしまっている。
けれども、それは大間違いでして、
明々白々な「自分本位」に外なりません。
一番良いのは、
ありのままを伝える事。
それが許されない場面も間々ありますが、
基本的にはそのままを伝えたり
教えたりするのが定石です。
事実誤認が生じますからね。
ですが、前述した事が出来ない人は
ごく自然に話を盛ってしまう。
何故なら、
相手のためだと言い聞かせながら
自身を綺麗に見せたいから。
自分が褒められたいから
自分を褒めてほしいから
また、
恩を売りたいからと考える人も居ます。
何にしても、自分本位で利己的です。
それであるにも関わらず、
思考としては善行だと勘違いしているので
そこに悪意が存在しないのですね。
けれども、それが故に
盛った話を言われた側では
ふと事実確認が行われた際、
「そんな風に言った覚えが無い」とか
「実際にはこうだったよ」などの
盛り話との明確な齟齬が発覚してしまいます。
その結果として、盛り話をした人が
「嘘を吐いた」
と、いう事になるのです。
話した当の本人は相手のためだと考えていて
「想い」を軸としているつもりが、
逆に数倍にも跳ね上がった「念」を
その相手から飛ばされてしまうんです。
これが、「良かれやらかし」の本当の恐さです。
自分が「やっちまった...」と気が付く時には
既に取り返しのつかない状態となっていたり、
悲惨なまでの
大事故となってしまったりするのです。
自分本位や駄目な自分というのは
至る所に存在していて、
おまけに消す事は絶対に叶いません。
どんなに気を付けていたとしても
必ず出てこようとするものなのです。
相手のためだと思うのであれば
数歩先の状態をちゃんと思考するようにする。
癖となっている「楽」に対して
普段から甘んじない様に心掛ける。
こう言った細やかな努力と
素直で純朴な所作を行う事、
行う努力をすることが
日頃の業なのですからね。
自分なんや
相手の事を
考えてたら
盛る事自体が
出来んもんやで



