2026年1月19日月曜日

褒める為には(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




大人だろうと子供だろうと
何か善い事をしたのであれば
「褒める」という業が大切です。

これは散々話しているので
いい加減にしろと
言われてしまいそうですが、

褒める為の前段階には
何が必要なのでしょうか。

褒めるとは言っても、
単に見たまんまを褒めているのでは

中身が伴わないし、
ただの馬鹿野郎ですよと
意味が無いですよという話は
以前にしました。

この中身を伴わせるための
重要事項が「否定」です。

褒める為なのに、
肯定ではなくて否定をするのかと
疑問を覚えるでしょうけど、
ここが重要な部分です。

善い事からの褒めるという流れですから、
普通に捉えるならば肯定です。

けれども、ここに落とし穴がありまして
それですと何も考えていないのですね。
流れ作業となってしまっていて
自身の中へ落とし込めていない状態です。




とは言え、
態々口に出して否定をする
必要はありません。

そんな事をしても相手さんを
只管に辛くさせるだけですからね。

あくまでも「褒める」のが最終目的であり
その為の手段として「落し込み」があり、
それを遂げるための「否定」です。

ここをしっかりと行う事で、
物事や事象の中身を正しく把握できます。

逆に云うならば、
これを省略してしまうと
見た目に流されたりするという事です。

ここのタイミングで「否定」をする事で
疑問符が貴方の中に生じます。

この疑問符を起きた事象で
逆説的に穴埋めしていく。
宛ら、一次方程式を解く感じです。

そこでの解が話と同となれば
褒めるに値する事象という事になる。

そうでなければ、何らかの疑問符
xやyが残る状態という訳ですから、
突き詰めていく必要がある訳です。

それを怠ると見た目に流されて
ズルも見抜けずに
「褒めたら負け」の状態に堕ちるのですね。




この否定というのは、
何も相手が居る時のみではなく
自身に対しても使えます。

と云うよりは、
寧ろ率先して使わなくてはいけない。
卑下する為の否定ではなくて、

事実に対して
最も近しい仮答を導く為の「否定」。

一も二も無く自己肯定ばかりに
目を向けていると、
自己防衛的な都合の良さが際立つので
事実認証があやふやになってしまいます。

そうなると、視点が一元化されてしまい、
多元的な視点、多面的な視野の確保が叶わず
逆説論での分析解析が出来なくなるのです。

詰まるところ、
「反省」「自戒」が出来ないという意味です。

どんな物事や事象でもそうですが、
一元的な視点ですと
そこには先述した様な「疑問符」が生じません。

既に式も解も見えている状態なのですから
至極当然の流れです。
そこからの自戒など在りもしないし、
出来る筈が無いのです。

先へ繋げる為の反省や自戒という業を
全うするのであれば、

まずは自身の動きを俯瞰視点から否定する
「自己否定」が必須となります。

勇を用いてこれを繰り返していくと
仮想とは言え、多元的な視点の確保が
構築される様になっていくので、

結果として、相手を想うですとか
相手の考えを計れる様になり、
相手の為へと繋がっていき、

「思い遣り」を得る運びとなるのです。

漫然たる自己肯定を進めて
他者からの全否定を受けるよりも

毅然たる自己否定からの
穿った肯定の方が何倍も何倍も
善いのではないかなと思いますけどね。

素直な否定を
素朴な疑問を
どこまで自分が
ストイックに
やれるかが
分かれ目やで