今回は考え方について
お話をしたいと思います。
日頃の業というものには
縷々様々な物事がありますが、
その中でも「言葉」と「内容」というのは
得てして軽視しがちな点となる事が
多く見受けられます。
現代に於いて会話とは、
何も対面だけではありません。
電話は勿論のこと、多少の時間差はあれど
LINEなどの通信アプリでのやり取りも
立派な「会話」です。
常に相手のためを考えるのであれば、
この「会話」の中では一体何を
気にしなければいけないのかと云うと、
それが「言葉」と「内容」です。
言葉というのはそのままの意味です。
適切な文言を使っているかどうか。
但し、適宜丁寧な言葉や
綺麗な言葉を使うという意味ではなく、
相対している人物やそのやり取りに応じた
言葉を選んでいるかどうかです。
例えば、
気の置けない相手との何でもない会話で
普段はラフに話しているのに、
他人行儀な言葉を使われたり使ったら
おかしな具合になりますよね。
その逆も然りで、
お堅く話す場に於いてラフな言葉を
選んで話したら違和感を覚えますね。
そして、何よりも相手の状態や状況
環境を見据えた言葉を
ちゃんと選んでいるかがポイントです。
自分本位状態や自己優先状態となると
必然的に相手の事が視えなくなります。
思考的視野狭窄ですね。
そうなると、相手のためを考えれば
使ってはならない言葉も
「自分が良く思われたいが為に」とか
「自分を基準に捉えてしまう」から
使ってしまうものなのです。
僕は右耳が聴こえませんが、
その事実を教えて知っている人からも
「声が大きいですね」や
「よく聞けよ」などと
言われたりしていましたし、
それで傷付いたりする事が多々ありました。
今は慣れっこですが、その代わり
相手さんが疾患や障害を抱えていたり、
もしくは、そのご家族が疾患や障害などを
抱えている場合もありますから、
既知の事実だろうと知らなかろうと
会話での言葉選びには注意しています。
思い遣りですね。
次に「内容」なのですが、
この軽視は中々に奥が深いです。
以前に投稿をしました
これらの記事に被るものなのですが、
「反省」「感謝」「理解や了解」
などの単語の羅列は使うにしても
その内容については端折ってしまう。
「お願い」などについても同じですね。
何がどうして何故どこでいつという
内容に遵ずる解説や説明、
つまり、修飾するための言葉を
短絡させてしまう。
短絡させる側としては、
「わかってくれる(だろう)」
「要点だけを言えばいい」
「説明をした(つもり)」
と、なっているだけで、
短絡した内容を受け取った相手が
どういう風に感じるかなどは
微塵も考えていない状態ですね。
甘えや願望が前面に出てしまい
肝心要な部分を欠落させて
相手のためを考えずに自己優先で
自分本位を発動させている訳ですから、
受け取る側に対してかなりの不快感を
与えてしまうのは必定であり、
本来のスピリチュアルで云うところの
「恨み」や「念」を買ってしまう訳です。
思い遣りというのは
普段から気にして使い続けて
初めて使い熟す事が出来る「技」なのです。
尚且つ、自分本位というのは
常に貴方の隙を狙い続けているのですから
監視する意味も込めて
駄目な自分をしっかりと認めないと
いつまでも同じ事を繰り返しますからね。
業に出るもんや
その逆も然りで
口先ばかりの怠惰も
ふとした時に
出てくるんやで



