今回は考え方について
お話をしたいと思います。
生活の中で、
おいそれとは口にしないけれども
縷々様々な悩みを
抱えている人は多いです。
僕がよく聴く悩みの中で
上位に位置しているのが
身内の問題です。
「いびり」とか
「たかり」とか
「嫁姑」とか
「謂れなき難癖」とか
身内だからこそ起きやすく、
身内だからこそ対処に困る。
ご家族に相談をしてみても
話が平行線で終わる事など当たり前ですし、
自分は何も悪くないのに
気が付いたら悪の権化みたいな扱いに
なってしまう事もあります。
これが、職場とかであれば
辞めるとか辞めさせるみたいな
パワープレイが可能なのですが、
身内の場合というのは
そう簡単には辞められません。
ましてや、身内であるが故に
時間も何も関係無しに
どこまでも責め立てられてしまう。
そんな中、この手の問題を
一般論で解決しようとすると
必ず出てくる綺麗事が
「普通にしていれば大丈夫」
「すぐに飽きるから平気」
「正しい人が最後は勝つから我慢」
みたいな台詞です。
ハッキリ言いますが、
そんなやり方で解決なんか出来ないですし
四六時中責め立てられている様な
理不尽がまかり通っている中で、
普通にしていて解決なんかする訳ないと
少し考えれば分かる事なのですね。
虐められている人に対して、
「黙っていれば良い」と
言っているのと同じ愚行です。
言い換えれば、虐めている人の方の
肩を持つという事です。
そんなの筋が通らないでしょ。
そうこうしている内に、
責め立てられている人は
何かしらの異常を来して肉体的な疾病を患い、
その後確実にメンタル崩壊しますよ。
それだけは絶対に避けないといけないです。
参考までにですが、お肌に異常が出始めたら
それはメンタルの黄信号ですからね。
どんな場所にも貧乏神は存在します。
身内他人の別を問わずに存在します。
特に身内に存在する場合は、
先述した通り、他人の場合よりも
逃げ場が圧倒的に少ないのですから
「(日常的な)心の拠り所」と
「気持ちの吐き出し」と
「論理的に捉えた修整」というのが
常設的に必須となってくるのです。
拠り所と吐き出しというのは
何となく分かると思いますが、
「論理的に捉えた修整」というのは
イマイチ理解が難しいと思います。
これは何かと云うと、
どんな物事でも理不尽でも
必ず自分にも原因があるというのを
客観的に教えてもらってしっかりと理解をする
と、いう流れの総称です。
人は皆同じではなくて、皆違うのです。
貴方の基準が他者の基準とは
成り得ないのと同様に、
他者の基準が貴方の基準にも成り得ない。
貴方が善しとする事であっても
他者からすれば悪にも成り得る。
僕もこれが原因で
過去に虐めやハラスメントを経験しています。
そこの違いを論理的に理解する為に、
苦しんでいる御本人の過度な被害者意識や
綺麗事などを失くさせる。
これが修整です。
この一連の動きを身内の人が客観的に
行う事も不可能ではないですが、
大抵の場合は利害関係が生じてくるから
経験のある第三者でないと中々に難しい。
そして、この「論理的に捉えた修整」は
相手を許す為に行うのではありません。
徹底抗戦をする為に行うのです。
世の中はね、そんなに優しくないのですよ。
弱い奴を見れば叩きたくなるし、
弱気になればあっという間に潰される。
綺麗事もクソも無い状況に陥ってるのに
そんな悠長な事なんかしてられないでしょ。
貴方に何かがあったら、
困るのはお子さんやご家族なのですから。
現実で生きている以上は現実をちゃんと視て、
現実的な動きをする為の
実戦型アドバイスをするのが
本来のスピリチュアルです。
本当に助かりたいのであれば、
生温い一般論なんか
クソ喰らえってやつですよ。
通用せぇへん
知恵知識五感
あらゆるものを
総動員して覚悟決めての
総力戦やで



