2025年4月19日土曜日

霊の感知を人に利用する(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




「霊を感知する」

と、言いますと、大概の人は
悪霊などを想像するのかと思いますが、
それはあまりにも偏り過ぎてる思考です。

狭間の世界に滞在している霊の
凡そ8割が所謂「善い霊」です。

悪霊等は残りの2割なので
数で言うと少数派なのですね。

であるならば、
霊を感知すると考えるならば
「善い霊」を
真っ先に思い浮かべないとおかしい
という事になります。

これは本当の盲点でして

「霊=悪」

という先入観や間違った認識による
固定観念からの思い込みなのですね。

また、「悪霊だと思いたい」という
霊を悪者と決め付けてしまう
ご本人の問題でもあります。




悪霊に思いを馳せる人というのは
自身にもその気質があると
断言しても良い状態と言えます。

早い話が、

「自分本位で自己優位性重視の
貧乏神気質の人」

なのではないかという事です。

例えばですが、
「私は霊が視えるの」とか
「私は分かるのよ」系の人などが
貴方の身近な所にも居るかと思います。

この手の方々がこれらの台詞を
口にする際というのは、
殆どの場合が悪霊を指しています。

「肩が凝っている」とか
「嫌な事が続いている」とか

その手の話を耳にしたからとは言え、
相手の状況が悪い時だけ霊的文言を
吐くのは、おかしいと思いませんか。

本当に分かるのなら
相手さんの調子が善い時や
何でもない時にこそ
何かしらを伝えていないといけません。

霊=悪ではないのですから。




ちゃんとした意味で霊の感知が出来ると
善い霊の感知が圧倒的に増えます。

というよりも、それが普通です。

善い霊の感知が出来れば
悪い霊の感知はとても容易です。

何故ならば、
この場合ですと明朗な「違和感」として
貴方の感覚が検知するからです。

この「違和感」を人に利用します。

悪霊というのは生前から片鱗が出ます。

それが貧乏神であり貧乏神気質の人
という存在なのです。

霊は人であり人は霊です。

「生きて肉体を纏っているか」
「死んで肉体を失しているか」

端的に言えばこれだけの違いなのです。

一般的には視えない存在の善し悪しを
自己判断出来てしまえば、

肉体という殻を纏っている人が
幾ら表面上で誤魔化していても
その中身は筒抜けに近い状態となります。

こうして誰もが実生活の中での
実戦的有効活用を可能とさせるのが、
本来のスピリチュアルなのです。

悪い事ばかりを
口にする奴は
総じて嫌な奴と
相場が決まって
いるんやで