2023年10月6日金曜日

呼ばれた時にチェックする(気付きシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は呼ばれ方や誘われ方で
自分の事を客観的に知る

という気付きに関するお話です。





唐突にどこどこへ行きたい!とか
何か呼ばれている気がする...とか

実際に声が聞こえる聞こえないや
視える視えないは別にして、
直感的に何処かへ出向こうとする感覚を

「呼ばれた」や「誘われた」という
表現をする事がありますよね。

これ、誰に呼ばれてるんでしょうか?
本当に呼ばれているんでしょうか?

実のところ、行き先や内容で
その正体も分かってきますし、
何よりも今のご自分の状態を
客観的に捉える事が出来るものなんですね。

特にご自身に縁の無い場所の場合とかだと、
状態が分かりやすいので、
今回はその点に絞ってお話します。





例えば、距離の遠近に関係なく、
無名の場所で自然が豊かな場所。
そういった場所を捜そうと
当てもなく出掛けて見付けた場合。

そういう場所には善い自然霊や
善い霊や想い等が多く存在している
という事が多いです。

つまり、この場合ですと、
ご自身がとても素直な状態、
綺麗な状態とも言えますね。

また、そう思ったけど、
出掛けようと思っただけとか、
出掛けたけど見付けられなかった...

そんな場合は、
素直さと俗欲(敢えて俗欲と言います)が
ご自身の中で混濁していて
スッキリしていない状態。
薄曇りって感じですね。

ここで少し考えてほしいのですが、
自然霊とかってそんなに呼ぶものだと
思いますか?
例えば、その人をピンポイントで...

答えはノーで、
実際には呼ぶ事は少ないです。
自然霊ってそういう存在じゃないですから。
それよりも、こう考えるとしっくりきます。

ご自身の補助霊さんが
行った方が良いよと“誘ってくれている”。

要は、補助霊さんが貴方の為を思って
前向きな行動を誘導してくれている。
そういうパターンなのですね。





次に、
例えばご利益で有名な神社仏閣とか
パワースポットなどの場合は
どうでしょうか?

この場合は、ご自身を救ったり
救うきっかけになる様に補助霊さんが
気遣いしてくれているパターンと

もう一つは、
ご自身の俗欲が他の俗欲に反応して
貧乏神や悪霊に誘われている
呼ばれているパターンがあります。

最初に言っておきますが、
神社仏閣もパワースポットも
そこに在られる神仏や自然霊が
悪いわけではないですからね。
それは絶対に間違えないで下さい。

では、前者と後者での違いを考えます。

行き先がどちらも同じだったとしても
そこでの行動、つまり業は明々白々に
違いが出ます。

前者の場合ですと、
その場の空気を感じ取って、
お土産的な物を購入するよりも、
参拝やご祈祷とか
そこの清浄さを重要視する筈です。

後者の場合は、
空気感よりもご利益を優先させるので、
何かを持ち帰る!という様な
占有的な業に走ります。





前者の場合は、
先述したパターンと同じで
意識の薄曇りという感じですが、

後者の場合は、
素直さと俗欲のバランスが
明らかに俗欲に傾いているので、
ギトギト汚れという感じですね。

この時には補助霊さんの声や気遣いは
ご自身に届いておらず、
それよりも周囲の俗欲や現地に渦巻く念、
果ては貧乏神や悪霊に
呼ばれている状態です。

これが如実に表れるのが回数でして、
前者の場合はご自身の状態が回復すれば
自然と数が減ります。

ですが、後者の場合は
欲がどんどん強くなるので、
回数が減るどころか日増しに
増えていきます。
まだ足りない!まだ足りない!と、
まさに餓鬼が如くです。

そして、いつしかご自身が貧乏神となる。

この手のタイプの人になればなるほど、
ご自身の正当性をムキになって表すので
やたらと神秘や奇跡を強調してきます。

依存症患者が理由を
こじつけるのと同じです。





こうなると、既にご自身では
どうすることも適いませんが、
そうならない為の気付くポイントが、
今回のお話なんですね。

これが全てではないですし、
あくまでもほんの一部の話ですが、

ご自分が呼ばれたなとか
誘われた?と思った瞬間に
この話を思い出してくれれば
セルフチェック出来るでしょ?

気付きというもの
小さい幸せというものはね、
外ばかりに目を向けていては
駄目なんです。

自分の内側にも目を向けて
初めて理解が出来るものなのですよ。