皆さんこんばんは、あにきです^^
さて、前回の続きとなります。
貧乏神としての要素が完成した人は
周りの人に対して牙を剥いていきますが
手当り次第という訳ではありません。
まず、貧乏神に人が寄ってきます。
様々な理由と状況で集まってきますが、
一番多いのは、
【人に対する目利きが出来ない人】です。
例えば、その時に心が病んでいたり
病んでいるというのは、
普通に精神的に病んでいるのもありますが、
霊的に憑依されていたりする事も含みます。
また、
物事をハッキリと言えない人だったり、
そもそもが過剰な平和主義思考の人、
つまり、脳内お花畑思考の人だったり、
色々です。
その次に多いのが、貧乏神と同類の人です。
似たような性格ということ。
自己憑依者、貧乏神は「ある事」を
基本概念として行動します。何かというと、
【 責任回避 】です。
無責任ではなく、責任回避です。
これは明確に違いますので間違えないで下さい。
そもそも責任というのを考えもしないで
行動するのが無責任です。
責任回避というのは、
責任は負いたくないけど、責任を負っている様な
態度を見せて周りの人に認められたいという、
承認欲求の形の一つとなりますから、
無責任とは全くの別物です。
で、その思考が貧乏神の行動概念の基本形なので、
何をするにしても最終的な行為は他人が行う様に
立ち回ります。
年齢性別を問わず、
その為ならば平気で嘘だって吐きます。
その間に、感情の強弱を巧みに使い分けて
責任感がある人を利用して動いていきますが、
根本的に責任感に溢れている人は、
人の中身をちゃんと見ようとするので、
貧乏神の特質を早期に見抜きます。
(これが目利きの代表例です)
なので、早々に貧乏神から離れていきます。
問題はここからで、
では目利きの出来ない人ってのは、
どうなるのかと言いますと、
貧乏神の行動に惑わされてしまい、
自身の正義感や優しさ、義憤など様々な感情を
逆撫でされた上で利用されてしまい、
気が付いたら貧乏神の代わりとして、
表立った行動や行為をするようになっていきます。
この時に、ご自身でも何かがおかしい?と
気付き始めてくるのですが、
そこで前述した
「物事をハッキリと言えない」
だったり、
「過剰な平和主義思考(お花畑)」だったり、
という面が邪魔をしてしまい、
ループに嵌っていきます。
そして、気が付いた時には、
貧乏神の思考=自身の思考と
勘違いをするようになり、デフォルトになる。
当然、その人の周りの人(家族とか)は
付いていけなくなるから、不穏になっていく。
最終的には、何かしらの不幸が纏わり付いて
そのまま戻れなくなったり、
家族やパートナー、友人と別離したり、
曰く因縁のある結果となっていく。
大概の場合、そこまでいく途中で助けられたり
助けを求めたり、形は多々あれども
貧乏神から離れていくものなのですが、
そのまま貧乏神と似た存在に
堕ちていく人もいます。
これの繰り返しで、貧乏神と似たような人が
集まっていきますので、
『類は友を呼ぶ』と解釈する人もいますが、
間違わないで下さい。
人のしあわせを抜き取って、
不幸へ追いやる存在の集まりなのですよ?
決して良い存在ではないのですから、
これは類友ではなくて、
『同じ穴の狢(おなじあなのむじな)』
となります。
こうして不幸の極大化を進めていくのが
貧乏神であり、恐ろしく、
そして醜い点なのです。
ただ、そんな貧乏神も人なんで
嫌がるタイプ、性格ってのがあります。
それこそが、不幸を避けるための
目指す方向となってきます…