今回は動き方について
お話をしたいと思います。
知識と言うのはとても大切です。
スピリチュアルや霊的な世界を
語ったりする業界というのは
今昔を問わず、
どうしても精神性や感情論の方へと
逃避してしまいがちであり、
それを是としている輩が
多いのが現実です。
与える側も受け取る側もという意味です。
ですが、
本来は確固とした知識に基づいて
話すべきジャンルであって、
そうでないと成り立たないのが
本質でもあります。
予知や予期、予言というのが
実際に存在していますが、
これらがその最たる例で
無知のままですと
どんなに濃ゆい内容の
予知予期予言も
その本質や真髄といった
根幹の内容を引き出す事は
無いと言っても過言ではありません。
そして、その知識というのは、
業界の知識だけではなくて
平たく言うと「叡智全般」です。
要は、人類がこれまで培ってきたもの
それに伴う知識と
個々人が学習して得てきた知識、
触れ得て知り得てきた総ての知識です。
自身が可能な限り得ているその知識を
フル活用しながら提供するのが
本来の在り方であり
少なくとも与える側や教える側は
そうでなくてはいけません。
簡便に言えば、
「現実を見ろ」
ということ。
理想に偏ってては駄目なのです。
自分達が生きているこの現世は
「この現実の中」にあります。
ロマンとしての陰謀論も
希望としてのディストピアも
理想としてのユートピアも
語る分には良いと思います。
けれども、それらは全て
この現実を踏まえた上にあります。
つまり、
現実を見ないと成り立たない
そういう可能性が非常に高い
虚構に近いのです。
それを如何に現実に引き寄せるかは
現実の知識を使い熟せた上での話です。
なので、各種科学的な知識も必要だし
非科学の知識も必要となるという事。
詰まるところ、
予知予期予言というのは、
予測の上に成り立つものであって、
そこを越えるものを視たとしても
表現する言葉すらも充てられないから
結局は与太話となってしまうんですね。
ですから、受け取る側も同様に
知識を持っていないといけませんし、
有無も無く盲信するとなると、
それは思考停止を意味しますし
それは破滅を意味します。
いくらぶっ飛んでいたとしても
現実に沿っていて
知識が伴っているのか
そこを視定められる様にならないと
元来のスピリチュアルや
霊的なものには近付けられませんからね。
早い話が馬鹿(自分本位)では使う事も
聞く事も無理ということ。
本来は
現実をより一層
現実たらしめる為の
叡智の表現法なんやで



