2026年1月6日火曜日

理解する努力(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




人の話をよく聴く。

人との会話をする時
人から何かを教わる時

よく聴くという基本的な所作が
とても大切になってくるのですが、
「よく聴く」を実践しながら若しくは
実践した後に行う

「よく考える」

という所作も忘れてはいけません。

人の話を聴いている時、聴いたあと、

理解する努力をするのか
理解したと自分に言い聞かせるのか

「よく考える」という業は、
ここで差が視えます。

理解したと自分に言い聞かせてしまう人は
「言語的な理解」と「本質的な理解」を
一緒くたに捉えてしまう癖があります。

例えば、何かを教えてもらった際に、

「分かりました」
または
「分かります」「確かに」

と、条件反射的な反応で
答えてしまう事が多いです。

これとは別に
理解する努力が出来る人は、

言語的な理解と「本質的な理解」を
分けて考える伝える事が出来ます。

どういう事かと言うと
例えば、何かを教えてもらった際に

「分かりました」
ではなくて

「言葉については分かりました。
ですが、内容については分かりません。」

みたいな感じで、何が分かっていて
何が分からないのかという様な
修飾を口に出して上手に使います。




本来、話をしている最中ましてや
何かを教示してもらっている時というのは、
原則として自身の知らない事や

自身の中で不明瞭な部分の解説となります。
つまり、言葉や知識の海を
処女航海している様なものです。

早い話が未知でよく分からない状態。

けれども、話している言語は理解が出来る。
皆さんは日本人だから日本語話者でしょ。

日本語で話をしてもらっているのですから
そこで使われている「言葉」は
多かれ少なかれ即時理解が出来ますよね。

これが「言語的な理解」です。

この言語的な理解と、
話の本質的な理解というのを
その場でイコールとさせるには、
土台となるそれ相応の知識が必要です。

つまり、知らぬ状態の話を聴きながら
本質まで理解を示すのは
現実的にほぼ無理という事なのです。

但し、その補完材料として話者による
話し方や解説の上手さが存在します。

この場合、それを理解していて
相手のためを考えてくれる話者であれば
思考停止を防ぐ為に、

「今の今、理解しなくても大丈夫ですよ」
「分からなかったら質問をどうぞ」

みたいな事を、必ず諭してくれます。




これら上述した両者の差となるのが、

「想念のベクトル」であり
「意識の方向」です。

意識の方向が自身に向いていれば

「認められたい」
「負けたくない」

などの、承認欲求や自己顕示欲の類が
強く出てしまうので、

「理解をしたと
自分へ言い聞かせる動き」をします。

同時に思考停止もしますし、
分かりもしないのに背伸びした結果
自ら質問をする機会すら手離す事になります。

反対に、意識の方向が相手に向いていれば、

「ちゃんと答えたい」
「もっと詳しく知りたい」
「もっと教えてほしい」

と云った具合に、
自身が今相手と何をしているのか
その行為に対して真摯に向き合って
粗相の起きない様な心情を働かせます。

要は、相手目線を仮想した共感を求めるので、
細かく丁寧な言い回しをする様になるのです。

この様に、問答一つで
相手や自身の「意識の方向」をチェックする。

「何が」分かっていて
「何が」分からないのか

会話という日頃の業に直結する所作の中で
互いに見極めたり、気付いたり、
気付かせてあげる事が出来るのが
本来のスピリチュアルであり、

そして、
あくまでも現実的で実戦型である
と、云うのも忘れてはいけません。

不意に出る言葉は
ある種での楽やで。
楽に溺れるのが
どういう意味かを
思い返して
考えてみてや。