今回はちょっとした事を
お話をしたいと思います。
人は常に自分との戦いです。
それが嬉しい時も悲しい時も
怒っている時も楽しい時も
いつだって自分との戦いです。
自分が調子に乗れば痛い目を見ますし
自分に閉じ籠っても痛い目に合います。
その中で、悲観に暮れてしまって
何も思考しなかったり
人に頼ってばかりだったり、
何かに全力を傾ける訳でも無く
ただ何となく生きる様になると
ちょっとした事で憐憫の闇に誘われて
渦を巻く様に自に堕ちていきます。
何故にそうなるのかと言うと
そこには人を信じたり慈しんだり
思い遣る気持ちが欠けているからです。
以前から話していますが、
自分が何かをする時に、
「何に対しての思いでやるのか?」
という事を考える事が大切です。
この時に、自分ではなく
「自分以外の誰か何かの為にやる。」
これこそが思い遣りの初想です。
この感覚が無ければ、
瞬間一瞬を愉しむにしても
自分の檻を抜け出す事が叶いませんから
掴めるものも掴めませんし、
それが一人で行う事にせよ
人と行う事にせよ
参観日の後の懇談会よろしく
だんまりで固まって何も得られない。
人の為にという思い遣りさえあれば
ここぞの時の踏ん張りも効けば
何に於いても全力で愉しむ事が出来ます。
例えそれが嫌な事だったとしてもです。
どうにも皆さん忘れがちですが
瞬間一瞬というのは、
永遠ではありません。
その後の刻には確実に続いていますが、
永遠が保証されているものではないです。
貴方が自分本位に浸っているその瞬間にも
何の前触れもなく終わってしまうほど
脆くて壊れやすいのが瞬間一瞬なのです。
だから、無駄には出来ないのです。
何事に於いても、
思い遣りを以て常に全力で愉しむ
思い遣りを以て瞬間一瞬を愉しむ
人として悔いなく生きる為には
どこまで行っても
人への想いが必須になってくるのです。
それが分からないとか、
あーだこーだと屁理屈述べたり
自分が一番
という大義を成就させる幻想を抱くから
「悔いても悔い切れない程の悔い」を
持つ様になる訳です。
人を想いながら何かをやってみれば
それが普通の事だと認識さえすれば
貴方の世界はガラッと変わりますよ。




