今回は考え方について
お話をしたいと思います。
何かの業をした後に幸せを感じたり
感じ取ったりする事があります。
この幸せを
「幸福感」と、言います。
幸福感は業の流れや目的、
その内容によってサイズが
大きく変動します。
小さくても大きくても
1つの幸福感として帰結するのですね。
幸福感はサイズを問わず
ほぼ統一に幸せを感じられます。
但し、そこの幸せに
「徳」と、いうものが絡むか絡まないかで
その先の流れが変わってきます。
「徳」と、いうのは形が様々です。
周りが知らぬ間に一人で完了させる徳もあれば
周りに示してから完了させる徳もあります。
どちらも徳なので
選り好みをする様なものではないのですが、
さも「やっています」と、
アピールをする形の徳ですと
自己顕示欲や承認欲求が足を引っ張る
なんて事が多々起きます。
その流れとなりますと、
大量の恨みや念を徒に引き寄せてしまい
徳の効果よりも、
恨みの効果の方が蓄積してしまって
ご自分の状態が
増悪(ぞうあく)する結果となります。
これは本当に多いです。
本当の意味での幸せを噛み締めたり、
幸せを呼び込める人というのは、
他者や周りの存在の幸せを
自身の幸せと認識出来る人の事を意味します。
人の不幸は蜜の味だと
下種な心情が勝っている状態ですと、
結局は自分で自分の脚を
引っ張る流れとなります。
どんなに小さい幸せだとしても
仮に周りが理解しがたい事だとしても
如何に周りの存在の幸せを自身の幸せとするか
その「周り」というのを
可能な限り「万物」にまで範囲を拡げる。
ここに本来のスピリチュアルが指し示す
「幸せ」というものが存在します。
小難しい様ですが、詰まるところ
「独りよがり」にならなければ善いのです。
思い遣った先にある「幸せ」は、
一人では決して得られない代物であり感覚です。
それを幾つ集められるかが、
鍵となってくるのですよ。
念想の天秤や