2025年4月25日金曜日

姿勢の堅持(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




どの様な物事に於いても

「教える側」と「教わる側」という

明確な立場の違いが存在します。
どちらの立場にしても

その「姿勢の堅持」というのが
非常に重要となってきます。

教える側としては、

「コンセプトの維持」
「コンテクストの把握と生成」

方針や事象の相互性に関する事が
主だった堅持内容となり

教わる側としては前回記述をしました、

「本気度の濃さ」「素直さ度の高さ」

それに伴う純度の高さや
「理の三原則の把握」等が
主な堅持内容となります。

理の三原則とは、
「信に徹する」「伝に務める」「勇を用いる」
を指します。




互いの立場の中での姿勢の堅持は
想いの遣り取りに繋がります。

ここでの想いの遣り取りとは、
1つの目標の為に前に進んで行く事であり

その双方の想いが「想いの力場」を発生させ
運気を上げる事に一役買う流れへと繋がります。

ここで注意すべきなのが自身の俗欲であり
その最たるものが「自己満足」です。

例えば、教わる側に焦点を当てます。

教わるというのは、とても良い事ですが
その効果を発揮させるのは

「教わった事を使用もしくは使用後」となります。

その手前段階で終えてしまうと
教わるという行為に納得しただけの
自己満足となります。

前回記述した"何かの努力"をする訳でもなければ
教える側の想いにも反する姿勢です。

詰まるところ、
想いではなく自己満足という
「念基軸」での行動となり「念想の齟齬」が
発生する訳ですね。




これは自分本位な思考を以て
相手の想いを無碍にする事ですから
向こうの世界の八罪の一つである

「他への辱め」となります。

と、同時に理の三原則の把握にも
遵じていないという事にも繋がります。

教える側と教わる側は
決してフラットではありません。
そこには明確な立場の差が生じます。

その差を理解した上で、
双方の想いを歩み寄せる相互性が
「姿勢の堅持」です。

そして、立場の無理解と相互性の放棄は
教わる側より発生をします。

何かを教わり前を向いていこう
進んで行こうとするのは
教わる側の目標であり目的です。

にも関わらず、教わった事を使いもせずに
自己満足という俗欲に溺れたり
不努力を棚に上げた身勝手な言い訳をして
その指針すらも自ら放棄する。

姿勢を理解しない人は
運気を上げる事など無理に等しいです。

ここを掌握せずに自分本位を貫いた存在が
貧乏神でありその眷属です。

運気は自らの手で
努力し掴むもの
決して他力本願で
楽して得られる様な
モノではないんやで