皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は意識の共有についてのお話です。
人は何かをする時に
意識の共有をすると
想像以上の力を発揮します。
簡単な点で言うと、
阿吽の呼吸などがそうですね。
言葉を口に出さなくても、
知合いや友人家族とかでなくても
パッとした時に、
次の動作をササっと行える。
何だか普通に
「あーあるよね」と、
思われるでしょうけど、
普段、見たまんまの事や
見たまんまの物しか信じない人でも
「あーあるよね」
と、言う事が多いです。
まぁ、その場合はすぐさま偶然、
たまたまだと
否定言が入りますが、
それはあまりにも無思考過ぎると
あにきは思っています。
前項で述べた阿吽の呼吸は
人の持っている能力の一つで、
「意識の共有」です。
特に我々日本人は、
この能力に長けています。
長けているというよりも、
「長けすぎてて忘れている」
と言った方が正しいですね。
当たり前になり過ぎている
という事です。
日本人は善くも悪しくも
「異種を受入れる」
ということを古から
ナチュラルにやってのけてる存在です。
受け入れる事に対する畏怖が
極端に少ないです。
それが故に、「流される」という
対反応が強く出てしまう。
この、
「異種を受け入れる」
という点は、
今現在の我々の生活上でも
色濃く出ています。
カレンダーを見ると
それがすごく分かりますよ。
神道、仏教、キリスト教、占星術、
旧暦、暦法…
物によっては、もっと載ってるし
こんなに大量の情報を受入れる事を
当たり前にやっている訳です。
これが外国ベースで考えると
どれだけ普通じゃないかは
他国のカレンダーを見れば
一目瞭然ですよ。
ただ、ここ80年弱の日本人は
考えるという事を極端に辞めてしまった
辞めさせられてしまったが為に、
「流される」方へ極振りしてしまっていて
「受け入れる」=「流される」
と、勘違いしている人が多くなってるので
益々、自分達の持っている能力を
忘れてしまっている。
この「異種を受け入れる」という感覚は
「意識の共有」の副産物です。
「意識の共有」という能力は
特別な人にしか宿っていない様な
能力ではなくて
元々皆さんが持っている能力であり、
代々引き継がれてきた能力なのですね。
今も確実に皆さんの中に存在していますが
見事なまでに忘れているだけ。
ですが、ちょっとした事で
思い出せる能力でもあるし、
その片鱗は普段から出ています。
それを阻害しているのは
何でもない「俗欲」です。
けれども、俗欲を消せないのは
以前からも話していますよね?
肉体を持って生活している以上は
必要な物でもあるからです。
だからこそ、制御が必要なのですよ。
自身の俗欲を制御する事に努めれば
確実に思い出していきます。
何も修行するとか山籠もりとか
水行とか滝行とか大変な事ではなく、
心を無にするとかでもなく、
自分を信じきる事がスタートなのですね。
そして、ちゃんと理を以って考える。
独りよがりの意固地な癖を
前面に出すのではなく、
理に合っているのかをちゃんと考えた上で
自分を信じ切る努力をする。
もしくは、その逆順です。
この「意識の共有」が出来るとね、
物の味とか、匂いとか、触感とかを
変える事も出来ますし、
人以外の存在とのコミュニケーションも
誰でもナチュラルに可能なんです。
もっともっと数が増えれば、
意識の物質化や物質の非物質化だって
確実に行う事が出来ますよ。
少なくとも昔の日本人、
縄文と呼ばれた時代の人は
それをやっていましたから。
ただ、こうして言葉で聞いたり、
頭で考えると小難しいし、
何言ってんだこいつは?
って、思うでしょ?
そんなの分かり切っているから、
自然と思い出せる道筋が出来る様に
頭で考えるよりも前に、
小さい幸せを見付けるという
簡単な方法を教えているんですよ。





