皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
何かしらの問題や事案が発生して
それらの改善に向けて
あれやこれやと思案すると思います。
その過程の中で、
人にアドバイスを求めたり
物に力を求めたり
神仏霊魂へ救いを求めたりするのが
皆さんの動き方です。
ですが、この動き方を実行していても
思うように改善しないから
人は悩み苦労をします。
何故に改善へ進み難いのかと言うと、
「自ら歩みを止めてしまう」からです。
己以外の存在へと
助言を求めたりするのは善いのですが、
その際に手段と目的を
入れ違えてしまう事が問題なのです。
助言はあくまでも助言であり、
何をするにも先ずは
己が動く前提でなければいけません。
例えば、
罹患して病院へ行き
処置や薬を処方してもらうのも助言です。
改善が「目的」であって、
病院や医師は貴方にとっての「手段」です。
当然に処置や薬も「手段」です。
けれども、
いつしか診断が目的となってしまい
そこで歩みを止めてしまう。
ここでの「歩み」と、いうのは、
「思考」を含んだ業です。
つまり、思考停止が相まって他力本願となり
自分は動く事がなくなってしまう。
その結果、
改善には程遠いものへと変貌していく。
スピリチュアルや霊的なものに対して
自身の改善を求めていながらも、
一向に改善へと進まないのは
個々の歩みを止めてしまっているのが
ほぼ全ての原因だと僕は考えます。
そして、その歩みを止める因子が
教える側にある場合もあれば、
神秘性や奇跡を言い訳にして
自ら止めてしまう場合もあります。
それですと何も進みません。
どんな事象であっても改善に向ける為には
自分から動く事が基本となります。
そこには
自分を信じたり自分に打ち勝ったり
駄目な自分を認めたり、愉しみを得たりと
ありとあらゆる物事が必要となるのです。
何をするにしても、
改善を欲するのであれば思考停止をしない事。
己の歩みを決して止めない事。
その先に初めて
貴方の求める安らぎがありますからね。
周りの存在も
含まれるんやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は動き方について
お話をしたいと思います。
何かをする時、
何かを決断する時のみならず
思い遣りを謳う
つまり総ての時に於いてですが、
「自分を信じ切りなさい」
「信じ切れる様にしなさい」
と、あにきは教えていますね。
この「信じ切る」というのは、
決して簡単ではないですが、
資格が必要な訳ではないですから
誰でも出来ます。
但し、
必須となる事項は存在します。
何かと言いますと、
「知識・情報」です。
無知のまま若しくは、
誤った知識や情報を抱えたまま
自分を信じ切ろうと試みると
容易に想像が出来る事なのですが
高確率で間違った方向へと
突き進みます。
当然と言えば当然です。
知識の無いままでは
自分を信じ切ろうにも
その事前に於ける
「精査」という段階を
踏襲する事が出来ませんからね。
知識を得ずに精査も行わず進み
その後に起きてしまうのは、
「自分本位」となる現象です。
「自分を信じ切る」
が
「自分だけが正義」
という解釈となる意味です。
何故、
こういう変遷を辿るのかというと、
「信じ切る方法
それ自体を知らない」
故に起きてしまうのです。
この信じ切る方法に必須なのが
知識であり情報であり
それを自身で精査する
という業なのですね。
何も知らぬままや
間違ったままで
自分を信じ切ろうとすると
「自分は間違っていない筈」
「自分だけが正しい」
「自分が一番だ」
「自分の方が分かっている」
という様な思考に堕ちます。
頼れるべき情報知識が無いから
他を否定して蹴落した上で、
自分という漫然とした
「器に頼るしかない」からです。
それを人は
上辺面や綺麗事と言います。
そして、
貧乏神へと近付くのです。
覚えておいて下さい。
信じ切るための必須事項は
知識と情報と
精査という業による経験値です。
ビッグネームでもなければ
その他大勢の感情でもなく
排他的思考でもないですからね。
正しい知識
正しい情報は
理にかなっているかを
考えれば
分かるものなんやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は前回の続きみたいな内容の
お話となります。
...思い出すには
何よりも素直さ度を高める必要があります。
素直さ度を高める為には、
自分自身と向き合う事が必須となるので、
まずは自身の弱点を認めるところから
スタートする事になります。
その上で、「自分を信じる」事に注力し
「小さい幸せ」を見付ける努力をしながら
「自分を拡げる」様にしていく。
その中で、当然に「他を信じる事」を
理解して行わないといけませんし、
ありとあらゆる点に気付ける様に
努力をしていかないといけません。
この時点で、人を見極めたり
人を見る目利きは出来てると思いますが、
それが本当に出来ているのかは、
自分自身に対する分析でよく分かります。
自分の弱点を認めていれば、
自虐的な台詞を吐いたり、
自虐的な思考となるよりも
「自身の弱点に甘えなかった」
という達成感の方が上回ります。
と、同時にこれで良かったのか?
と、いった確認をする思考も出てきます。
この流れに沿えてる人は、
基本的な人の見極めは出来ていますね。
この様な感じで
素直さ度を高めていく努力を
自らの意思でやっていかないと、
決して思い出すことはないです。
あにきに触れているからとか、
教わっているから思い出せるとか、
そんな訳ないでしょ。
あくまでも
あにきはきっかけでしかないですし、
自分で自分を乗り越えなければ
どうやったって思い出せません。
おまけに、この記事を読んで
「私は消される前に前回を読めた」
なんて優越感を得ている内は、
自分を乗り越えるなんてまず無理ですね。
読めなかった人に対する
思い遣りの欠片も無いのですから。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は小さい幸せを
見付けられている人であれば
誰しもがいずれブチ当たるであろう
少し高度な話をしたいと思います。
小さい幸せを見付けられないとか、
そもそも分からないという人が居ます。
若しくは、
分かっていると誤認している人。
共通している特徴としては、
・傲慢な思考
・自分本位な思考
・小さい器量
・自己中心的な欲求
・利己的思考
・他力本願思考
主にこんな感じです。
文字で書くと小難しいですが、
実際にその様な人に触れてみると
割と簡単に分かります。
基本的に自分を中心に据えた思考なので
立場を弁えるという事に欠如しています。
要は貧乏神の特徴そのままなのですね。
困りものなのは、一般的な善悪では
見抜けないという点です。
という感じの他人様からの目線は
今までも散々お話していますが、
驚きなのは、
当の本人さんにその自覚が無い事です。
ご本人さん自身は、
小さい幸せを見付けまくっている方々と
同じ感覚だと認識しているという意味です。
なので、どこまでも知ったつもりでいます。
例えば、貴方がそういう人に対して
「それは違うよ」「こういう意味だよ」
とか、分かる範疇で説明をしたりすると、
当たり前の様に
「ですよね」「だよね」
との返答が来るでしょう。
3秒前までご本人が話していた事を
否定しているにも関わらず、です。
不思議でしょ。
何故でしょうか?
ここで分かる事は、このご本人が
自分の誤りを顧みるという
人としての基本的な業(おこない)よりも
自分を認めてほしいという承認欲求と
自分も分かっているという自己研鑽
自分の方が正しいという自己顕示欲
これらの自己中心的な欲求が、
貴方の意見に耳を貸すという思い遣りよりも
勝ってしまっている。
という状態だからです。
つまり、
意識の方向が内側へ向きすぎているのですね。
こういう状態の人は、
必然的に意識を外側へ向けられません。
要は、視線を外へ向けたり、
視野を広げるという事そのものが出来ない。
なので、当然に小さい幸せを見付けられない。
小さい幸せというのは、言わずもがな
自分にしか価値のない極微弱な幸せです。
人と比べたり、
物に表したり出来る事ではない幸せです。
分かりますよね?
ですが、こういった意識の向き方ですと、
いつまでも人と比べたり、
物的な価値基準での判断しか出来ないので、
小さい幸せのそれが何か
というものが分からない。
その中で、
「きっとみんなも自分と同じ」
と、思考しているので、
必死に同意を求めたりしてきます。
あまりにも自己救済的な欲求が強いので
誤りを認められない結果、
他者を無理矢理自分へ合わせようとする。
その過程の中で、
形などに拘っていられないから
立場を弁えるという事が出来なくなるのです。
「好んで」同じ組織に属していたり、
「好んで」始めた習い事だったり、
「好んで」顔を出しているイベントなのに
自分の方が間違っていないとか、
今のこの組織はおかしいとか、
言っている事が分からないとか、
自ら「好んで」参加しているのに
自己の優位性のみを主張する様な
話し方を優先させてしまう。
一言で表わすのであれば、
『小さい器量の人』
という感じです。
この手の人の言う小さい幸せは、
自分本位な「小さい欲求」です。
同じ言葉を使用していても
話の内容をよく聴いてよく考えれば
その歴然たる違いに気が付きます。
気が付けばそれは貴方にとっては
まさに小さい幸せです。
ですが、注意すべきなのは
ここで我欲、
つまり気が付けた自分の裏側ですが
それに負けてしまい、
ハッキリと意見を言わなかったり、
否定をしなかったり、
あやふやにしてしまうと、
貴方も同意見だと認識されてしまう点です。
こうなってしまうと、
せっかく見付けた小さい幸せが、
一転して帳消しとなり逆に禍欲となって
貴方に付き纏う事になるのです。
どんな時でも、
どんなシチュエーションでも
小さい幸せを見付けたら
『自分を強く保つ』
という事を忘れない様にして下さい。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は意識の共有についてのお話です。
人は何かをする時に
意識の共有をすると
想像以上の力を発揮します。
簡単な点で言うと、
阿吽の呼吸などがそうですね。
言葉を口に出さなくても、
知合いや友人家族とかでなくても
パッとした時に、
次の動作をササっと行える。
何だか普通に
「あーあるよね」と、
思われるでしょうけど、
普段、見たまんまの事や
見たまんまの物しか信じない人でも
「あーあるよね」
と、言う事が多いです。
まぁ、その場合はすぐさま偶然、
たまたまだと
否定言が入りますが、
それはあまりにも無思考過ぎると
あにきは思っています。
前項で述べた阿吽の呼吸は
人の持っている能力の一つで、
「意識の共有」です。
特に我々日本人は、
この能力に長けています。
長けているというよりも、
「長けすぎてて忘れている」
と言った方が正しいですね。
当たり前になり過ぎている
という事です。
日本人は善くも悪しくも
「異種を受入れる」
ということを古から
ナチュラルにやってのけてる存在です。
受け入れる事に対する畏怖が
極端に少ないです。
それが故に、「流される」という
対反応が強く出てしまう。
この、
「異種を受け入れる」
という点は、
今現在の我々の生活上でも
色濃く出ています。
カレンダーを見ると
それがすごく分かりますよ。
神道、仏教、キリスト教、占星術、
旧暦、暦法…
物によっては、もっと載ってるし
こんなに大量の情報を受入れる事を
当たり前にやっている訳です。
これが外国ベースで考えると
どれだけ普通じゃないかは
他国のカレンダーを見れば
一目瞭然ですよ。
ただ、ここ80年弱の日本人は
考えるという事を極端に辞めてしまった
辞めさせられてしまったが為に、
「流される」方へ極振りしてしまっていて
「受け入れる」=「流される」
と、勘違いしている人が多くなってるので
益々、自分達の持っている能力を
忘れてしまっている。
この「異種を受け入れる」という感覚は
「意識の共有」の副産物です。
「意識の共有」という能力は
特別な人にしか宿っていない様な
能力ではなくて
元々皆さんが持っている能力であり、
代々引き継がれてきた能力なのですね。
今も確実に皆さんの中に存在していますが
見事なまでに忘れているだけ。
ですが、ちょっとした事で
思い出せる能力でもあるし、
その片鱗は普段から出ています。
それを阻害しているのは
何でもない「俗欲」です。
けれども、俗欲を消せないのは
以前からも話していますよね?
肉体を持って生活している以上は
必要な物でもあるからです。
だからこそ、制御が必要なのですよ。
自身の俗欲を制御する事に努めれば
確実に思い出していきます。
何も修行するとか山籠もりとか
水行とか滝行とか大変な事ではなく、
心を無にするとかでもなく、
自分を信じきる事がスタートなのですね。
そして、ちゃんと理を以って考える。
独りよがりの意固地な癖を
前面に出すのではなく、
理に合っているのかをちゃんと考えた上で
自分を信じ切る努力をする。
もしくは、その逆順です。
この「意識の共有」が出来るとね、
物の味とか、匂いとか、触感とかを
変える事も出来ますし、
人以外の存在とのコミュニケーションも
誰でもナチュラルに可能なんです。
もっともっと数が増えれば、
意識の物質化や物質の非物質化だって
確実に行う事が出来ますよ。
少なくとも昔の日本人、
縄文と呼ばれた時代の人は
それをやっていましたから。
ただ、こうして言葉で聞いたり、
頭で考えると小難しいし、
何言ってんだこいつは?
って、思うでしょ?
そんなの分かり切っているから、
自然と思い出せる道筋が出来る様に
頭で考えるよりも前に、
小さい幸せを見付けるという
簡単な方法を教えているんですよ。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は運気を上げるのに欠かせない
モチベーションについてのお話です。
日頃の生活の中で、
モチベーションと呼ばれる
自身のバロメーターが
日毎に上がり下がりしていますよね。
上がったり下がったりするのが
普通と言えば普通なのですが、
それが故に
下がっている時に嫌な事が
起きやすいから、
なるべくなら下げたくない。
そう考えると思います。
その通りです。
だからこそ、
モチベーションをアップさせようと
色々考えたり実行したり、
物に頼ったり様々な手法を
やってるんだと思いますが、
なかなか上手くいかないでしょ?
それは、根本的な問題として、
モチベーションを
アップさせようと考えているから
上手くいかないんです。
では、どうするのかと言うと、
モチベーションをなるべく高い位置で
維持させる様に考えるんですね。
無理にモチベーションを
アップさせようとする事は、
例えるのであれば、
「背伸び」と同じなんですね。
ずっと背伸びをしているとどうなります?
疲れてしまって、
うへぇ...ってなるでしょ?
下手したら、脚が攣って大惨事にもなる。
それでは、モチベーションを
なるべく高い位置で維持するというのは
どういう例えになるのかと言うと、
『背筋を伸ばして綺麗な姿勢で立つ』
という感じです。
疲れるどころか、これが本来の姿なので、
何も悪い事が無い。
これで身体が攣るというのであれば、
どこかが悪くなっているという事ですから
分析と対処が必要となりますね。
これは精神面や霊的な面でも同じでして、
モチベーションの維持さえしていれば、
その努力をしていれば、
下がる事が無いのだから
実質的なモチベーションアップを
しているという事になる訳です。
それでも、下がる兆しがあったり、
下がるというのであれば、
貴方の中に根本的な問題がある事になる。
であるならば、
その問題点を潰してやればいいだけでしょ?
そうすれば、
益々下がる事は減りますからね。
では、実際にどうやって
モチベーションを維持させるのかというと、
詰まるところ、
日頃から思考を巡らせれば良いのです。
とにかく「考える」という事ですね。
ただ考えるのではなく、
答えを出す為に考える。
『点が線になる』
事を目指して思考を意識するんです。
「あー、なるほど!」
という事が多ければ多い程、
それに順ずる流れが多ければ多い程、
モチベーションというやつは維持されます。
何故かと言うと、
ワクワクするからです。
要するに、
「モチベーションが下がる隙を与えない」
という事です。
これが「維持」というやつです。
日頃からやり取りしている
あにきのお客さんはご存知だと思いますが、
普段よく話している、
「無理せず頑張って下さいね!」
という意味はここにあるんです。
「無理しないで!」でも無ければ
「頑張って!」でも無いし、
「頑張らないで!」でもなくて。
『無理せずに頑張って!!』
これを素直に受け止められている方は
実際にモチベーション維持出来てますからね。
ちょっとしたコツ1つ、
さり気無い言葉一つに対しても
意味を考える様に、日頃から思考する。
実は、
モチベーションを下げない方法ってのは
とてもとても簡単だったというお話でした。
年明け1月か2月にでも、
モチベーションを維持しやすくなる様な
リピーターさん限定イベントでも
需要があったら開催してみるか…
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回はお客さんより
前回の記事についてのご感想と
実体験談を戴きました。
という訳で、
早速ご紹介させて頂きます。
注:
()部分は、読みやすい様に
あにきが加筆しました。
改行は、あにき仕様です。
ブログ読みました。
瞬間瞬間を意識して生きる。
随分意識していても、
ふとした瞬間
何かに流されてしまう事があるので、
気をつけて過ごしています。
たまたまなんですが、
昨日(前記事の前の晩)の朝起きた時、
「今日も生きている。普通に目が覚めた。
みんなもいる。善かった。」
と、心からそう思ったんです。
病気したり、
家族に何か不安を抱えている時に
思うことは今までもありましたが、
特に大きな事を抱えていないのに、
意識しなくても自然にそう思ったことは、
今までに無い感覚でした。
それから急に、
瞬間瞬間への意識がしやすくなったというか、
上手く言えませんが、
目的を持って行動する
ということに意識が高まり、
何かに流される前に
意識しやすくなった気がします。
これを気のせいにしないで意識していこうと、
ブログを読んで更に思いました。
今、この瞬間を愉しんで生きる。
本当に大切なことですね。
以上、Hさんからの
ご感想と実体験談でした。
皆さんこんばんは、あにきです^^
今回は考え方についてです。
人は辛い時に
他人に対して辛さの共有を求めます。
特に、今昔問わずスピ系職の方に、
意見や考えを委ねる方もそれなりに
居ると思います。
この時に意見を聞いて、
自身で思考するなら結構ですが、
思考そのものを委ねてしまうのは、
非常に危険ですし
あなたのプラスにはなりません。
何故かと言うと、
委ねてしまう事で、自身の思考を
停止させてしまっているからです。
思考を停止させると、
人生の歯車が狂い始めます。
これだけ聞くと、
大袈裟に聞こえるかも知れませんが、
ちょっと角度を変えてみると
すごく理解が出来るものなのですね。
第三者の意見や考えに身を委ねる。
他人の思考に乗っかり
自身の思考を捨てる。
これって皆さんがご存知のスピ的現象と
非常に酷似しています。
それは、「 憑 依 」です。
ご自身が無意識の内に他者(霊)に
思考を勝手に乗っ取られてしまう
これが憑依です。
自身から率先して
他人へ思考を委ねるのが思考停止。
自らの知らぬ内の話か
自ら進んでかの違いなだけで、
結論は同じです。
思考を停止させると、
辛さから解放されて不安や恐怖が
緩和されて楽になりますが、
自身の決定権や選択権を
他人へと売る訳です。
決定権と選択権が無いのだから
運気は下がりますし
何よりも人として堕落します。
「自分の全てを渡す訳じゃないのに
いくら何でも大袈裟な!」
と、思われるでしょうが、
一度この味を覚えると
何かにつけて他人へ委ねる様に
なっていきます。
どうしてかと言うと、楽だからです。
楽そのものは悪ではありません。
但し、中毒性が高く甘くて旨いので
行き過ぎた楽をする様になります。
そうなると、もはや自身での思考は
完全に停止していますし、
全ての行動において責任回避へと
躍起になる。
結果、周囲からの信頼も信用も無くし
ただひたすらに堕落して
人ならざる者へと変貌していく。
この一連の流れの様に、
思考停止とは恐ろしい依存性なのです。
人へ意見を求めるのは大切です。
助けたり助けられたりして、
前へと進んで行くのが人間ですからね。
しかし、
それはあくまでも自身で思考して
苦悩苦心していく前提での話です。
運気UPや善い人生、
善い生活を望むのならば、
己の心(想い)は委ねる事無く
必ず自身で思考をすること。
その為に何が出来るのかを
ちゃんと心得ること。
スピ系職の人と相まみえる際には、
そこに細心の注意を払うこと。
これに限りますからね。