皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
自分自身の事を無能と呼ぶ人が居ます。
「何も出来ないから」
「人と比べてここが悪いから」
「何も持っていないから」とか
僕から言わせればの話ですが、
それらは無能なのではなくて
単に知っていないだけです。
本当に無能なのであれば、
全く何も出来ません。
けれども、自分の口から
その言葉が出来てきている内は
まだ無能ではない。
確かに、こうして生きていると
「(物理的に)何もできない人」
「社会生活に合致出来ない」
「対応が出来ないという人」が
一定数は存在します。
ですが、そういった方達は
本当にどうする事も出来ない事情の
人達を指すのであって、
自分から無能とは言わないし言えない。
また、無能というのとは違います。
人と比べて何が出来ないと無能なのか。
逆に何が出来れば有能なのか。
お金を稼げれば有能なのか。
人間関係を構築出来れば有能なのか。
仕事一つ取っても
今のこの時代は多岐に渡ります。
学生時代には思いもしなかった方法で
花が咲く人も居るし、
いい歳になってから自分の在り方を
知る人も沢山居ます。
隣の人と同じ事が出来ないから
無能だと言うのであれば、
この世の殆どの人が無能です。
人は他者と全く同じ事が出来る様には
元々作られていません。
どんなに器用に見える人でも
何かしら不得手とする面がある。
同時に、
何かしら得意とする面を持っていたり
その人だから特化しているものを
持っていたりするものなんです。
無能だと自身で口にしてしまう人は
そこに気が付いていないだけ。
但し、そこに気が付く様になるには
何をどうやっていても
自分自身から動かないといけません。
自らの意志で動き始めないと
気が付けないものなのです。
例えば、
絵心が無いと思っているのは自分だけで
本当は凄いセンスを持っているかも知れない。
音楽とは縁が無いと勝手に思っているだけで
実は相当凄い演奏センスを
持っているのかも知れない。
話しかり、文章しかり、操作しかり、
人付き合いしかり、
何から何まで与えられるものではなくて、
自分から率先して動いて
気が付いていくしか方法が無いのです。
人はね、自分が思っている以上に
他人には興味がありません。
貴方が泣こうが喚こうが
上手く出来ようが下手だろうが、
口にするほど興味なんて持っていない。
だから、貴方が周りと比較して
無能だと自己判断する意味も無いのですよ。
人は人に対して
無理に合わせ様とすればする程に、
自分は自分を見失っていきます。
時間を掛けてでも視えてくる筈のものが
視えて来なくなってしまって、
どうする事も出来なくなってしまう。
若くないからとか歳だからとか
可愛くないからとか何だからとか
誰かの基準で決めるものではないし、
貴方の人生は貴方が決めるものであって
他の誰でもないですからね。
無能なんて自ら口にしてはダメです。
これらを全て都合よく放棄して
本当の意味で無能となったのが
貧乏神と呼ばれる人なのですからね。
協調性が無くっても
誰でも何かしら能力は
持っているんやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
人は様々な個人力を持ち得てます。
それについての内容は
以前にも触れましたが、
心構えとしては
「特別と思わない」事が大切です。
これについても、
霊能者を例に挙げて
事あるごとに述べていますね。
各種霊能力もそうですし、
超自然現象や超常現象を起こしたり
経験したりする事も、
日頃のちょっとした不思議現象を
味わったりする事も、
全く特別な事ではないのです。
当然にそれを体現する人の事を
特別視する必要もありません。
何度でも言いますが、
各個人が元々何かしらの個人力を
持ち合わせているのですから。
人それぞれが何某かの能力を
既に得ているものです。
その規模は最初は小さいですが
自身の力を
繋げていくことによって、
影響力の範囲を大きくしたり
広くしたり濃くしたり、
鋭敏にさせたり逆に鈍くしたり
増したり減らしたりと、
規模や力を拡げる強くする事は
確実に可能です。
また、非科学能力開発は
単一能力ではなく複数能力です。
「視える」を一つ取っても
細分化して突き詰めていくと
確実に科目が複数となります。
その流れに沿っていくと
単一能力となる方がおかしいのです。
そして、それは誰にでもある。
力を目の当たりにしたとしても、
それをいちいち凄いだとか
ましてや、崇めるなんて必要は
全くないのです。
そういう心構えでいる事が
貴方にとっても
貴方の周りにとっても
貧乏神化防止の
最たる力となりますからね。
普通に出来たら
素敵やんね
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回はインスタの補足として
お話をしたいと思います。
本日の#にて、
縄文時代云々と書きましたが、
あの時代
何が足りていなかったのでしょうか?
単純に想いや想いの力、
意識の力とも言いますね、
中今力とも表現できます。
言い方は何でもいいですが、
人の繋がりや想いの繋がりといった
視えてるけど視えない力は
あの時代に確かに存在していました。
ですが、問題はそれが一部の人に
集中していたという点と
それを理解する為の知能と
広める為の知能
この双方が足りていなかった。
これは、とても致命的な問題でした。
一部の人に力が集中するという点は、
これですと、例えその人が善人であっても
時間が経てば間違いなく滅します。
神頼みの様な、一極集中型となるからです。
また、それを見て理解するよりも先に
拝み倒してしまうその他の人の知能の低さと
広めようと努力はしたいけど、
やはり基本的な知能の低い能力者側。
敢えて知能と書きましたが、
これは文化力や科学力、
つまり、
物質的な作用から生じる知能の事を指します。
ここが何よりも大問題だったのです。
これを解消させる方法は二つでした。
1つは自滅。
1つは力を忘れる代わりに科学面の知能を付ける。
ご先祖さん達は、後者を選んだという訳です。
子々孫々が追々に知能を高めて、
自分達の持ち得る力を
ちゃんと発揮できる様に祈って。
ご先祖さん達の目的は、
一部の能力者が力を独占する事ではなく、
誰もが自由に力を使える世を目指していました。
そこで広めたいのですが、
物も語彙も、科学も医療も何もかもが
今とはレベルが違いますから、
大切にすべき点なども教えるに教えられず
伝えるに伝えられない状態。
なので、過去の教えに則って
重要な選択をした。
という訳ですね。
ここまで話しましたので、
視野を現代に戻しますと...
今現在、科学の最先端は
人の意識という面の解明と解析、
新たな局面に入っています。
既存の物質思考な文明社会から、
シンギュラリティを通過し
精神的物質的なハイブリット文明に
移行しつつあります。
ここで、重要になるのが想いそのものです。
「想いの力」ですね。
「意識の具現化」とも言えます。
つまりは、ご先祖さん風に言えば中今力です。
既知の価値基準から新たな価値基準への移行。
その流れはもう既に始まっています。
以前の投稿でも書きましたが、
今はその最初の10年の二年目です。
この10年は淘汰の10年です。
従来の価値基準から
本来の価値基準へ移行出来る人と
難しい人との選別淘汰。
これが明確に行われる10年間。
その先の10年は移行期です。
淘汰が完了した上での秩序形成期。
本来の価値基準は言うまでもなく
想いそのものです。
そこへ向かって、
アナロジーな霊性やスピ関係の非科学側面も
デジタルな最先端科学の結晶も
進み方は違いますが、
ベクトルは同じ方向を向いています。
そして、行き着く先も同じです。
アナログやデジタルで分けない世界が
今の人類(フェーズ3)が目指す
最終到達点です。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は前回の続きみたいな内容の
お話となります。
...思い出すには
何よりも素直さ度を高める必要があります。
素直さ度を高める為には、
自分自身と向き合う事が必須となるので、
まずは自身の弱点を認めるところから
スタートする事になります。
その上で、「自分を信じる」事に注力し
「小さい幸せ」を見付ける努力をしながら
「自分を拡げる」様にしていく。
その中で、当然に「他を信じる事」を
理解して行わないといけませんし、
ありとあらゆる点に気付ける様に
努力をしていかないといけません。
この時点で、人を見極めたり
人を見る目利きは出来てると思いますが、
それが本当に出来ているのかは、
自分自身に対する分析でよく分かります。
自分の弱点を認めていれば、
自虐的な台詞を吐いたり、
自虐的な思考となるよりも
「自身の弱点に甘えなかった」
という達成感の方が上回ります。
と、同時にこれで良かったのか?
と、いった確認をする思考も出てきます。
この流れに沿えてる人は、
基本的な人の見極めは出来ていますね。
この様な感じで
素直さ度を高めていく努力を
自らの意思でやっていかないと、
決して思い出すことはないです。
あにきに触れているからとか、
教わっているから思い出せるとか、
そんな訳ないでしょ。
あくまでも
あにきはきっかけでしかないですし、
自分で自分を乗り越えなければ
どうやったって思い出せません。
おまけに、この記事を読んで
「私は消される前に前回を読めた」
なんて優越感を得ている内は、
自分を乗り越えるなんてまず無理ですね。
読めなかった人に対する
思い遣りの欠片も無いのですから。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は眉唾らしく
能力についてお話をしたいと思います。
人には様々な能力があります。
霊視したり、予知したり、
視たり視えたり
聴いたり聴こえたり、
言い出したらキリがないですが、
誰でもその力を持っているものです。
ただ、それは個々人で違っていて
伸びる部分も違います。
これをあにきは
「個人力」
と、呼んでいます。
とは言え、
手からビームも出ませんし、
触れずして物を動かす事も
出来ませんけどね^^
一人一人、得ている能力が違っていて
それを今は忘れている状態です。
どうやって思い出すのかも様々です。
自分で思い出せるのか、
誰かにきっかけを与えてもらうのか、
これという物事は無いですが、
条件さえ揃えば思い出せます。
ただ、思い出すだけでしたら、
たかが知れていますし、
何となくで出来る程度でしたら
力とは呼べません。
それを徹底的に伸ばして
自分の意思で制御して初めて
力と呼べるものになるのです。
なので、
ただ視える聴こえる程度で
自分を凄い凄いと言っている人を
あにきは全く評価しません。
そういう人は自分でもその力の
理屈すら分かっていないのですからね。
人と違うという点に優越感を覚えて
鼻を伸ばしている程度の人には
価値などありません。
個人力を思い出して更に伸ばすには
「素直さ度の向上」
「知識の向上」
「愛情の理解度の向上」
「愛の理解度の向上」
これが必須となります。
要は、想いの力を理解するという点が
とても重要になってくる訳です。
その為には、
念の力への理解も必要になりますし、
負の力と正の力の違いも
分からないといけません。
また、善い影響力と悪い影響力の違いや
その効果範囲や伝播速度、
これら意識の具現化における、
科学的に判明している範囲での説明や
その共有など、
思いの外現実的な側面の知識も必要です。
何となくで済ませているから
眉唾物となってしまうのであって、
理解して制御すれば現実となるものです。
個人力とは、
間違いなくそこにある力ですが、
理解と制御が難しいから
眉唾で納まっていますけれども、
そうも言ってられない時代に
突入しているのも、また事実なのですけどね。
あにきのお客さんでもね、
実際に個人力を実感し始めている人が
多くなり始めているのですよ。