皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は、
ちょっとした考え方について
お話をしたいと思います。
この仕事をしていると
日々多種多様なお客さんに
お会いするのですが、
やはりと言いますか
良くも悪くも
堅めの思考の方が多い感じがします。
まぁ、仕方ないと思います。
こんな商売ですから、
お客さんもあにきの所へ来る前に
他所さんへ行かれてたり
興味を持たれているから、
自分で色々と調べたりしていますからね。
押し付け...とまでは言いませんが、
この業界は、人への言い方的に
それに近いものがありますから
「こうじゃなきゃいけない...」
という様な、決め付け型の堅さを
抱きやすいですからね。
ですが、それは同時に思考停止を
誘いやすいという欠点もあります。
良く言えば、真面目ですが
悪く言えば、思考停止です。
生きていく上で大切なのは
人として愉しむ事です。
そこには、真面目さも必要ですが、
柔軟さや緩さはもっと必要です。
何が起きても臨機応変に対処したり、
人としての器や懐を大きくする、
つまり、
自分を拡げる為にも緩さは必要です。
今日は4月1日エイプリルフールでした。
普通にインスタもUPしましたが、
気が付きましたか?
#は、縦読みだったんですよ?
内容はそれっぽく書きましたが、
ハッキリ言ってテキトーです。
エイプリルフールですものwww
ネタで釣るつもりでしたので、
釣りしてる可愛いAAまで入れました。
それに気が付けていれば良しですし
教えてもらってから気が付いたのであっても
それはそれで良し。ギャグですからねw
#の内容に釣られた人が居れば
それは釣る側のギャグ的にはもっと善しww
ずっと真面目にするのも良いですけどね、
そんなのは続かないし、
気が付いたら思考までもが
堅物になってしまって
見えるものも視えなくなったり
分かるものも分からなくなります。
以前にも話しましたが、背伸びと同じですよ。
ずーっと背伸びをしていたら
足が攣っちゃうでしょ?
真面目さを装い続けて見栄を張っていても
その反動ってのは必ず起こるんです。
それを無視して堅さの固辞に拘ると
挙げ句の果ては
世界がどんどんと狭くなってしまって
器量も大きくするどころか
自意識過剰になったり
被害妄想を引き起こしたり、
自分の内側に閉じ籠る様になって
終いには人として、
とても小さくなります。
百害あって一利無しです。
ですからね、
そうなってしまっては
何も面白くないですから、
思考停止を避ける為にも
「緩さという名の遊び心は
常に持っていなきゃ駄目ですよ!」
と、
あにきは日頃から教えているんです。
それを単に実演したのが、
今日のインスタね。
まぁ、ともあれですが、
あの内容に釣られている様ですと、
かなり堅く考えている状態か
本当に自意識過剰な状態とか
被害妄想状態だと思うので
だいぶ危険ですね。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は、単純な事について
お話をしたいと思います。
人生を全うした後、
良い所へ行きたいか
嫌な所へ行きたいか
こう尋ねられたら、
誰しもが良い所へ行きたいと
考える筈です。
では、
実際のところ良い所へ行くのは
簡単なのでしょうか?
特段、難しくなく
行けるものなのでしょうか?
あにきに言わせると、
そんな簡単なものではないです。
ただボケっと生きているだけでは、
ほぼほぼ地獄堕ちします。
そんな簡単に浄土へ行けるのであれば
何もわざわざ
この世に産まれてくる必要なんて無いです。
浄土へ行ける絶対条件の一つに
「幸せの度合いの向上」
というのがあります。
人には一人一人
幸せの度合いというのがありまして、
それを人生内にて如何に増やすか
つまり向上させる事が出来るか?
というのが、
人共通の生きる上でのお題目です。
で、
これをある程度向上する事が出来た人が
浄土へ行く切符を手に入れられます。
それは、かなりの難易度でして、
この世に居るのだから
この世の理、人の世の理を
守っていれば行ける訳でなく
この世に居ながらにして
向こうの世界の理を守りつつ
業を積み重ねていく。
というのが鍵となります。
この世の理を馬鹿の一つ覚え宜しく
ただ守っているだけでは駄目なのです。
それであるならば、
この世の理、要は人の法のみを
遵守していれば良いという事になります。
それですと、国や地域によって
差が発生しますよね。
何よりも、神仏を否定する事に繋がります。
人をベースにして
守っていれば良い訳ですから
どんな売り文句を述べたって、
神仏などただのお飾りという事になります。
これ、普通に考えて、
とても大きなパラドックスです。
日本に居るとピンと来難いですが、
世界を見渡すと宗教をベースにしている法や
国が結構多いですからね。
それを否定すれば、良い所へ行ける?
別にあにきは宗教家ではないですけれど、
それって何か違くね?
それに、この論理でいきますと、
この世の理さえ守っていれば
どんなクズでも良い所へ行ける。
という話にもなります。
生きていれば分かりますが、
皆が皆、必ずしも
法で裁かれる訳ではないですよね?
明らかに罪が黒の人でも、
法に違反さえしていなければ
裁かれる事は無いです。
貴方の周りを見渡してみて下さい。
皆さん罪なき真っ白で良い人ですか?
貴方自身はどうですか?
心も体も真っ白クリーン?
どう考えてもそれはないです。
それであるならば、
この世はもっと平和ですもの。
警察すら必要ないですよね。
基本的にボケっと生きていると
自然と罪を作ってしまうのが人。
その罪というのは、
この世の理に於ける罪ではなくて、
向こうの世界の理に於ける罪です。
以前にもご紹介しましたが、
向こうの世界の理での罪は大枠で
【 八罪 】
というのが、あります。
【業の断ち切り】
【業の放棄】
【他への辱め】
【自への辱め】
【信に徹さない】
【伝に務めない】
【勇を用いない】
【自に堕ちる】
これですね。
簡単に言えば、
この世の理を守りつつ
これを犯さない様にしながら
生きていく。
とても難しいですが、
その過程の中での苦楽を経験する事で
幸せの度合いが向上していく。
詰まるところ、徳を積むという話です。
ただ、徳を積むって言っても
よく分からないだろうから、
あにきとしては、
まずは小さい幸せを見付けてこうね!
っていう、とても簡単な方法で
教えている訳です。
どうしてもこういうのって
自分の周りだけで考えがちですが、
人なんですから、
全人類単位で考えないといけません。
そうやって考えると、
良い所へ行くのなんて簡単な訳ないって
直ぐに分かりそうなものですけどね。
先ほども述べましたが、
国境線を跨いだ瞬間に文化や法が
変わるんですよ?
それとは別の基準が存在していると
考えるのが普通だと思います。
(実際に存在しているんだけども...)
言及はしませんけどね、
簡単だと言うのであれば、
何か別の思惑が存在していると
考えるのが妥当だと思いますよ。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は前回の続きみたいな内容の
お話となります。
...思い出すには
何よりも素直さ度を高める必要があります。
素直さ度を高める為には、
自分自身と向き合う事が必須となるので、
まずは自身の弱点を認めるところから
スタートする事になります。
その上で、「自分を信じる」事に注力し
「小さい幸せ」を見付ける努力をしながら
「自分を拡げる」様にしていく。
その中で、当然に「他を信じる事」を
理解して行わないといけませんし、
ありとあらゆる点に気付ける様に
努力をしていかないといけません。
この時点で、人を見極めたり
人を見る目利きは出来てると思いますが、
それが本当に出来ているのかは、
自分自身に対する分析でよく分かります。
自分の弱点を認めていれば、
自虐的な台詞を吐いたり、
自虐的な思考となるよりも
「自身の弱点に甘えなかった」
という達成感の方が上回ります。
と、同時にこれで良かったのか?
と、いった確認をする思考も出てきます。
この流れに沿えてる人は、
基本的な人の見極めは出来ていますね。
この様な感じで
素直さ度を高めていく努力を
自らの意思でやっていかないと、
決して思い出すことはないです。
あにきに触れているからとか、
教わっているから思い出せるとか、
そんな訳ないでしょ。
あくまでも
あにきはきっかけでしかないですし、
自分で自分を乗り越えなければ
どうやったって思い出せません。
おまけに、この記事を読んで
「私は消される前に前回を読めた」
なんて優越感を得ている内は、
自分を乗り越えるなんてまず無理ですね。
読めなかった人に対する
思い遣りの欠片も無いのですから。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は小さい幸せを
見付けられている人であれば
誰しもがいずれブチ当たるであろう
少し高度な話をしたいと思います。
小さい幸せを見付けられないとか、
そもそも分からないという人が居ます。
若しくは、
分かっていると誤認している人。
共通している特徴としては、
・傲慢な思考
・自分本位な思考
・小さい器量
・自己中心的な欲求
・利己的思考
・他力本願思考
主にこんな感じです。
文字で書くと小難しいですが、
実際にその様な人に触れてみると
割と簡単に分かります。
基本的に自分を中心に据えた思考なので
立場を弁えるという事に欠如しています。
要は貧乏神の特徴そのままなのですね。
困りものなのは、一般的な善悪では
見抜けないという点です。
という感じの他人様からの目線は
今までも散々お話していますが、
驚きなのは、
当の本人さんにその自覚が無い事です。
ご本人さん自身は、
小さい幸せを見付けまくっている方々と
同じ感覚だと認識しているという意味です。
なので、どこまでも知ったつもりでいます。
例えば、貴方がそういう人に対して
「それは違うよ」「こういう意味だよ」
とか、分かる範疇で説明をしたりすると、
当たり前の様に
「ですよね」「だよね」
との返答が来るでしょう。
3秒前までご本人が話していた事を
否定しているにも関わらず、です。
不思議でしょ。
何故でしょうか?
ここで分かる事は、このご本人が
自分の誤りを顧みるという
人としての基本的な業(おこない)よりも
自分を認めてほしいという承認欲求と
自分も分かっているという自己研鑽
自分の方が正しいという自己顕示欲
これらの自己中心的な欲求が、
貴方の意見に耳を貸すという思い遣りよりも
勝ってしまっている。
という状態だからです。
つまり、
意識の方向が内側へ向きすぎているのですね。
こういう状態の人は、
必然的に意識を外側へ向けられません。
要は、視線を外へ向けたり、
視野を広げるという事そのものが出来ない。
なので、当然に小さい幸せを見付けられない。
小さい幸せというのは、言わずもがな
自分にしか価値のない極微弱な幸せです。
人と比べたり、
物に表したり出来る事ではない幸せです。
分かりますよね?
ですが、こういった意識の向き方ですと、
いつまでも人と比べたり、
物的な価値基準での判断しか出来ないので、
小さい幸せのそれが何か
というものが分からない。
その中で、
「きっとみんなも自分と同じ」
と、思考しているので、
必死に同意を求めたりしてきます。
あまりにも自己救済的な欲求が強いので
誤りを認められない結果、
他者を無理矢理自分へ合わせようとする。
その過程の中で、
形などに拘っていられないから
立場を弁えるという事が出来なくなるのです。
「好んで」同じ組織に属していたり、
「好んで」始めた習い事だったり、
「好んで」顔を出しているイベントなのに
自分の方が間違っていないとか、
今のこの組織はおかしいとか、
言っている事が分からないとか、
自ら「好んで」参加しているのに
自己の優位性のみを主張する様な
話し方を優先させてしまう。
一言で表わすのであれば、
『小さい器量の人』
という感じです。
この手の人の言う小さい幸せは、
自分本位な「小さい欲求」です。
同じ言葉を使用していても
話の内容をよく聴いてよく考えれば
その歴然たる違いに気が付きます。
気が付けばそれは貴方にとっては
まさに小さい幸せです。
ですが、注意すべきなのは
ここで我欲、
つまり気が付けた自分の裏側ですが
それに負けてしまい、
ハッキリと意見を言わなかったり、
否定をしなかったり、
あやふやにしてしまうと、
貴方も同意見だと認識されてしまう点です。
こうなってしまうと、
せっかく見付けた小さい幸せが、
一転して帳消しとなり逆に禍欲となって
貴方に付き纏う事になるのです。
どんな時でも、
どんなシチュエーションでも
小さい幸せを見付けたら
『自分を強く保つ』
という事を忘れない様にして下さい。