今回は考え方について
お話をしたいと思います。
前にも話しましたが、
日常と云うのは
皆さんが想像している以上に
スピーディに動いているものです。
せかせかと動くという意味ではなくて
「常時即断即決を迫られている」
と、いう意味でのスピーディですね。
実のところ、ゆっくりと考えたり
判断や決断まで時間を割いたりするのは
大枠で考えている場合のみとなります。
例えば、運転などがそうで、
A地点からB地点へ向かうとします。
都合1時間の運転としましょう。
別に急いでいる訳でも無く、
時間にも余裕があります。
のんびりと行こうと誰もが思いますね。
然しながら、これは大枠での話。
一度乗車して運転するとなると、
運転中は即断即決のオンパレードです。
貴方が目的地へ向かって
のんびり行こうとするのとは裏腹に、
ハンドルを握れば視線は三点動作をしますね。
何か危険を察知すれば速度を落とします。
逆に速度を上げたりもします。
そういった際に、
のんびりは構えていられません。
常にその場その場で
即決しないといけないのです。
そんな即断即決が集まった結果として
目的地へ到着する訳です。
時間や意識はのんびりだとしても
やっている事は即断即決という最速の動き。
ここがポイントなのですね。
この視点で考えてみると
日常という実生活は即断即決の集合体です。
家庭内、職場、学校...
ありとあらゆる場面が即断即決で進みます。
けれど、大枠で考えたら
時間にゆとりがあったりするので
ゆっくりと動いている様に勘違いをしてしまう。
なので、意図的に感覚を使う時も
その実戦的な速度を意識しないと
日常の流れに反映されないので
意味の無い代物となってしまうのです。
実際にそうじゃないですか。
例えば、五感をフルに使うにしても
目を閉じて集中集中...
なんて、している暇など
日常のどこにもありゃしません。
あるとすれば、自分自身が
護られて保護されている様な
一部の空間と時間だけなのです。
レクチャーやセッションとか
何らかしらの勉強会とかね。
趣味で神社やパワースポットに
出向かれる人なども結構勘違いしています。
ああいう場で自分以外誰も居ないなら
別にのんびりとお目目を閉じて...と、
やっていても良いでしょうけど、
人気のスポットだったらどうします。
単に邪魔なだけですよ。
ほぼほぼ確実に恨みを買います。
そんなのはどう考えても現実的ではないです。
日常に則していないのですから、
使えていないのと同じなのですね。
感覚と云うのは、
あくまでも日常の中で実生活の中で
普通に使えてなんぼです。
その為には、得意な部分の1つの感覚だけで
一点突破を目指そうとするのは
あまりにも非合理的です。
わざわざ受容体として研ぎ澄ませる部分を
ニッチにしているのですから。
それであるならば、
あらゆる感覚の得手不得手を理解した上で
定説だけでなく逆説も利用して
受容体を出来る限り複数にした方が
スピードの補完が可能となります。
僕が日頃から
「あらゆる感覚を無駄にしたら駄目だよ」
「一つに拘ったら駄目だよ」
「増やしていかないと駄目だよ」
と、話しているのはこの為なのですね。
より実戦で使える感覚を
身に付けてほしいわけですよ。
伸ばすと同時に
不得手な面も
何故に苦手なのかを
考えてみると
そこも受容体として
使えるんやで


