2025年3月4日火曜日

善い感じ嫌な感じ(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




霊というのは至る所に居ます。
それは自然霊も動物霊も同じです。

ありとあらゆる場所に存在して
私達の傍で生活をしています。

と、いう事は
常に何かしらの霊的な存在に
私達は触れていると考える方が妥当です。

にも、関わらず場所や場面を特定させた
物の捉え方でしか判断をしていない人が
多いのが現状です。

例えば、
神社へ参詣したりパワースポット等に
足を運んだ際は、龍神さんなどの
自然霊を意識しようとしたり。

はたまた、夜や薄暗い場所に行くと
悪霊を意識したり、
一人の時に生霊を意識したり。

良い事があったりすると
ご先祖さんを意識してみたり。

等々、思い当たる節が結構あるのでは
ないでしょうか。




そんな限定的な場面のみでしか
存在しないほど彼等は少なくないです。

街中にも自然霊は居ますし
神社にだって悪霊が居る事もあります。

つまり、
視えない何かに対して
漠然とした恐怖を一方的に覚えたり
こちらの都合で考えも無しに信望をするのは

実は危険だったりするという事です。

もし、あなたが勝手に恐怖した存在が
善い霊だったらどうしますか。

貴方が信望した相手が悪霊だったら
どうされますか。

ご自身が思い描いていた結果とは
全く逆の結果になる事は必至です。

そうならない様に
善い霊体には敬意を払い。
悪しき霊体は回避する。




その方法が、「感じ取り」です。

その場に至った際に、

「善い感じがするのか」
「嫌な感じがするのか」

を、色眼鏡を掛けずに感じ取ります。

ここで言う色眼鏡というのは、
様々な「俗欲」を指します。

恐怖心や思い込みなど、
余計なバックグラウンドを意識しないで
単純な感覚に身を寄せて、

善いか嫌かのみを「素直に」感じ取る。

非常にシンプルな所作ではありますが、
これが「よく視てよく聴いてよく考える」の
第一歩となる重要な業となるのです。

真実は意外と分かり易いものです。
それを惑わせているのは
誰でもない自分自身なのだと、
はたと理解する事が出来ると思います。

貴方が素敵だと思えた霊的な経験、
貴方の恐怖した霊体験、

その事象とその後の結果の乖離。
善い筈なのに嫌な事が起きたり
怖かったのに善い事が起きたり

これらは、この「感じ取り」を
怠っていた故の因果でしかありません。

ほんの少しの一手間が
総ての結果を変えてしまうものなのですよ。

考え無しに
流されていれば
善い結果など
来ないんやで