皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は、幸せの度合いについて
お話をしたいと思います。
皆さんが感じる幸せというのは
多岐に渡ると思いますが、
これは基準をどこにセットするのかで
度合いというものが変わります。
例えば、
自分の身の回りだけで思考した場合ですと
当たり前の所作や事象について
幸せを感じる基準が高くなります。
何故かと言うと、
ここは日本です。
物と人と情報に溢れています。
余程自分が下手を打たない限り、
何も思考しなくても
ボケっとしていても生きていけます。
そういう環境の下に生きています。
蛇口を捻れば飲める水が出てくるし
ふらっと出かける事も出来れば、
命懸けで買い物をする事も無いです。
ですが、
地球上には日本での当たり前が
須らく異常
という様な場所が多々あります。
便利というのが当たり前になると、
そこへの幸せは、ほぼ皆無です。
幸せを感じ様にも感じられない。
つまり、幸せの基準が高い
という事になります。
誤解をしてほしくないのですが、
これそのものが悪いとか良いとか
そういう問題ではありません。
何も無理に不便さに興じろ!
という意味でもありません。
ここでの問題は
当たり前という目隠しに
覆われてしまって
幸せを感じにくくなっている
という点です。
本来であれば、
相当高度な幸せを得ているにも関わらず、
普通過ぎてしまって
その意味が理解できない。
結果として、
更に高度な幸せを望む様になって、
無理をしたり、
物に頼ったり人に頼ったり、
心よりも見てくれ重視な
張りぼての幸せへと傾倒する様になります。
苦労や労苦が無いというのは、
当然にこういう結果を招きます。
なればこそ、
そこへ焦点を合わせないといけません。
実際に経験するのも難しいですから、
せめて意識下でそれを認識する様に心掛ける。
これが幸せの基準を下げる事に繋がり、
幸せの度合いを高める事に繋がる。
小さい幸せを見付ける努力というのは、
こういう点へと繋がるのですね。
また、恒常的な楽というのは、
人の中に傲慢や怠慢を産みます。
これらは人の心をかなりの勢いで蝕みます。
心と言うと曖昧な表現なので
ハッキリと言いますね。
愛や愛情を蝕むのです。
愛や愛情を欠落させるという事は、
人のみならず
物や他の生き物、自然に対しても
思い遣りや優しさが薄れるという事です。
大切にしたり大事に使ったり、
心を込めるという事が出来なくなる
という意味です。
総じて、幸せの度合いも低くなります。
逆に幸せの基準はインフレを起こすので、
どんどんと高くなっていきます。
ですから、
ちょっとやそっとの事では
幸せを感じられないですし、
周りを貶める様な行為をする様になり、
反面、自分を異常に守る様になりますから、
尚の事、周りの心に触れなくなっていく。
こうしてループし完成するのが貧乏神です。
「足るを知る」
老子の有名な言葉ですが、
餓鬼の如く欲に塗れる貧乏神へと
変貌しない為にも、
自身のステップアップに必要な
幸せの度合いの向上の為にも、
自分に甘えずに
他力本願とならずに、
敢えて、幸せの基準を下げる努力が
実は必要なのです。
これ程迄に恵まれている土地に
根を張っているのが我々なのですから、
当然と言えば当然ですよね。