今回は動き方について
お話をしたいと思います。
何かをする時、
何かを決断する時のみならず
思い遣りを謳う
つまり総ての時に於いてですが、
「自分を信じ切りなさい」
「信じ切れる様にしなさい」
と、あにきは教えていますね。
この「信じ切る」というのは、
決して簡単ではないですが、
資格が必要な訳ではないですから
誰でも出来ます。
但し、
必須となる事項は存在します。
何かと言いますと、
「知識・情報」です。
無知のまま若しくは、
誤った知識や情報を抱えたまま
自分を信じ切ろうと試みると
容易に想像が出来る事なのですが
高確率で間違った方向へと
突き進みます。
当然と言えば当然です。
知識の無いままでは
自分を信じ切ろうにも
その事前に於ける
「精査」という段階を
踏襲する事が出来ませんからね。
知識を得ずに精査も行わず進み
その後に起きてしまうのは、
「自分本位」となる現象です。
「自分を信じ切る」
が
「自分だけが正義」
という解釈となる意味です。
何故、
こういう変遷を辿るのかというと、
「信じ切る方法
それ自体を知らない」
故に起きてしまうのです。
この信じ切る方法に必須なのが
知識であり情報であり
それを自身で精査する
という業なのですね。
何も知らぬままや
間違ったままで
自分を信じ切ろうとすると
「自分は間違っていない筈」
「自分だけが正しい」
「自分が一番だ」
「自分の方が分かっている」
という様な思考に堕ちます。
頼れるべき情報知識が無いから
他を否定して蹴落した上で、
自分という漫然とした
「器に頼るしかない」からです。
それを人は
上辺面や綺麗事と言います。
そして、
貧乏神へと近付くのです。
覚えておいて下さい。
信じ切るための必須事項は
知識と情報と
精査という業による経験値です。
ビッグネームでもなければ
その他大勢の感情でもなく
排他的思考でもないですからね。