今回は動き方について
お話をしたいと思います。
何かに新しく気が付いたり
見付けたりする「発見」は
とても身近な所に点在しています。
確かに遠くへ行かないと
見付からなかったり
分からなかったりする発見もありますが、
基本は身近な面で起こり得ます。
にも関わらず、
見付け難いのは何故なのか。
そこには
「過剰なルーティン化」
と、いう念基軸的な所作が関わっています。
ルーティン化自体が駄目な事
という話ではないです。
生きる上で、日頃の生活をする上で
決まり切った動きというのは必須ですし、
毎度毎度違った動きをするのは
とても非生産的ですからね。
その反面、
「楽に興じる」のも確かでして
以前から話している通り、
視野がとても狭くなります。
何でもかんでもルーティン化させるのは
楽になるのと引き換えに、
思考を著しく阻害する事に繋がります。
端的に言うと、
「考えるのを辞める」という意味です。
ここで言う「考える」とは、
「意識をして行動する事」や
「意思を以て意図的に動く」
という事を指します。
ルーティン化によって効率的で
合理的な動きが可能とはなりますが、
その数は明らかに減衰減少してしまう。
自身を「発見に導く」には、
目線を誘導させないといけません。
目線の誘導とは先に述べた
「考える」という事の比喩です。
同じ事ばかりを続けていれば
同じ部分にしか目は向かなくなり、
総てに於いて
「やってるつもり」
「動いているつもり」
「考えているつもり」
といった流れとなってしまうのですね。
これが「念基軸思考」です。
物事は想いと念のバランスが肝心です。
ルーティン化によって
楽と同時に念基軸思考に偏る訳ですから、
ある場面場面では
時には非効率的だったり
非合理的な所作を敢えて行い、
想い基軸へとバロメータを戻す事も
必要になってくるのですね。
この動き方や考え方が
「柔軟性」となります。
発見や「気付き」とは
この柔軟性を得た動きが出来なければ
その根本的な数を増やす事は不可能です。
また、そこには知識も必須となります。
こういった点を日頃から見直しつつ
実戦の中で常に養っていく動きを
「日頃の業(おこない)」
と、言います。
ここまで読んで、
なるほどと思った方も居れば
「私は出来ている方だな」と
思われた方も居るでしょう。
これぞ実戦や

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