2026年5月30日土曜日

渇望するが故の(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




想いや思い遣りというのは
自分のみで確認ができる代物ではありません。

何故かと云うと、
相手が存在する事と
相手へ向けてのものだという事と、
相手共感して初めて成り立つものだからです。

また、「想い」は相手の受取り方次第で
どうとでもその内容が変わってしまいます。

自身が善しとする事であったとしても
それは貴方自身にとっての事であって
相手も同じとは限らないからですね。

この点をしっかり理解をすると
無闇矢鱈と「想いを...」などと云う台詞を
吐く様な真似はしませんし、

口にする事自体を忘れます。

例えば、
教える側の存在が
純粋に教える事を目的として
「想い」という台詞を言う場合はあります。

言わないと分かりませんからね。

それともう一つは、
お互いがお互いの想いを理解し合っていて、
その価値観を高度に共感している場合です。

これらの事例以外で口にしている場合は
基本的に想いというのを
理解していないから発しているか、

それっぽい言葉を吐き出して
何か不埒な事を画策しているか、

このどちらかとなります。
なので、
人を視る時の一つの指標となるのですね。




想いで相手に接して、それを想いとして
受け止めてもらえた場合の行為のことを

「思い遣り」と、云います。

同じ事をしても相手が想いとして
受取らなかった若しくは
受け止められなかった時は、

思い遣りとしては不成立となります。
下手をすると念に変わります。

例に出すと、
「余計なお世話」というのが分かり易いですね。

そのくらい、本来のスピリチュアルでは
思い遣りと云うのはハードルが高い代物です。
意図的に確立させようとして
出来る様なものではないという事なのですね。

それを理解した上で、
決して蓄縮せずに積極的に自身から
行動する事が出来るか否かが重要となります。

そこで失敗を恐れてしまい
己の中の完璧主義を壊す事が出来ないでいると
思い遣りどころか想いを喪失して
全ては「念」へと帰依するようになります。

その成れの果てが「貧乏神」という事になります。

これを防止する為、日頃から
「何のためなのか」「誰のためなのか」を意識して
行動する事が大切になってくるのです。

意識が自身の
内側へと向き過ぎると
念が増していき
想いを渇望するので
「想い」
という台詞を
多用するんやで

2026年5月28日木曜日

全き強さをその手に掴め(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




色んな所に霊は存在します。
人の霊も居れば、動物霊も居ますし、
自然霊も居るし本当に色々です。

そして、
その数は結構なものとなります。

ですが、その殆どが都合良く捉えられ
勝手な解釈の上で使われています。

恐くも無いのに怖いと思われたり
大したこと無いのに崇められていたり
明らかにその場に居るのに
まるで存在しない様に扱われたり。

視えないのを良い事に
笑ってしまう程に都合よく捉えています。

にも関わらず、
視てみたいとか視ようとしたりとか。
自分が苦しい時だけ、
そういう存在に肖ろうとしたりとか。

確実に言える事は、
そんな風にしていても霊は全く相手にしない
と、いう事です。

普段から失礼無礼な態度の人に
助け舟を率先して差し出す様な
間抜けな人は居ないのと同じで、

万物の想いや念を感じ取る存在が
そういった図々しい思考の人に
手を差し伸べる訳が無いのですね。




その手のタイプの人は現実を視ようとせずに
必ず幻想へ逃避します。
幻想は幻想でも自身に都合の良い幻想です。

ちょっと写真に光が差し込んだり
レンズの反射光が写り込んだだけなのに
霊か何かと思って質問をしてみたりする。

そこで理想とはかけ離れた事実を教えられると
決まって臍を曲げます。
こう言ったくだらない思考で
質問してくる人は想像以上に多いです。

本当に何かが映り込んでいるならば
分かる人はそのままを伝えるでしょう。

然しながら、何も映り込んでいないのに
事実を捻じ曲げて
話を合わせる様な落魄れた真似をする
分かる人は基本的には居ません。

自身の思い描いた幻想のままにしておきたいなら
余計な事をせずに大切に取っておけばいい。

若しくは、
どんな時でも自分の意見にイエスと言ってくれる
頭が悪くて狡賢い方々にでも
賛同してもらえばいいだけです。

こういった都合の良い幻想へ逃げ込んでも
現実は何一つ変わりはしません。
少なくとも好転する事は無いです。

本当の意味で霊に何かを求めるならば、
現実の中の存在を詳細に観察したり

現実の中での素行を意識して
人様に迷惑が掛からない様な動きをする方が
明らかに先決となります。

挨拶すら出来なかったり
人の厚意を無碍にしたり
礼節や恩義を軽んじている様な人には

悪さをする様な霊が近寄ってくる事はあっても
霊に何か導きを下してもらえる事など
まず在り得ませんからね。

現世に生きている以上、
まず重んじるべきは現実です。

その意味が分かれば、
貴方の視える世界は一変しますよ。

みんな大好き
神さん仏さんだって
霊と同じ
括りなんやで

2026年5月23日土曜日

向き合い方(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




本来のスピリチュアルを知っていくと
必然的に「駄目な自分」というものへと
ぶつかる事になります。

この駄目な自分については
今まで散々話していますが、

要するに善い自分と対を成す部分です。

面接とかで聞かれる様な
長所と短所みたいに

善い自分と駄目な自分を
分離して考えてしまいがちですが、
そういう類の物ではありません。

対を成すものなので、
同じ位置の表裏で存在する自分です。

ですから、
善い自分が1000あれば
駄目な自分も1000存在する。

例えば、

のんびり屋さんなところが
善い自分だとするならば
危機感や緊張感に欠けるところが
駄目な自分という事になります。




そんな駄目な自分というのも自分です。
以前から話していますが、
どんなに嫌だと思ったところで
消去する事は叶いません。

寧ろ、毛嫌いする方がどうかしていて
その駄目な自分も自分なのだと認めて
如何に愛でる事が出来るかが

運気を上げたり、
生活を愉しくさせたりするための
必須条件の一つなのですね。

そして、駄目な自分というのは
大枠でのそれこそ誰が見ても
自分でも分かる様な部分もあれば、

核心的な部分や真に迫る部分、
自身の内面深くに根付いている様な
駄目な自分となると、

自分の事なのに自分では決して分かりません。

分かったとしても、
それを認めるという事が難しいのです。

では、どうするのか。

自分以外の存在に教えてもらう外
方法が無いのですね。




他者や周りの存在に
教えてもらうという事は
そこに意見を伺うという事になります。

その意見というのは、聴く側からすれば
とても辛辣な内容となります。
なので、聴いたとしても受け入れるのが難しい。

聴きたくも無い内容ですからね。

ですが、その内容を教えて欲しいと
願い請うのは貴方の自身なのです。

それなのに受け入れないというのは
人として礼節に欠けますよね。

ですから、聴くのであればどんな事でも
覚悟を以て聴かなければいけないし、
受入れる様に努力をしないといけない。

聴く貴方も苦しいですが、
話す側の相手はもっと苦しいのです。

にも、関わらず
その受入れる努力を怠ったらどうでしょうか。

その姿勢を相手さんは視ています。
もう何もまともな向き合い方はしてくれません。
それはつまり、駄目な自分に気付く手段を
永遠に失うという事になるのです。

苦しいからと言って自分を庇い
相手を蔑み自分を守ろうとする
これが自分本位です。

どんな時でも相手のためを考え
自分よりも優先的に捉えて動く
これが思い遣りです。

自身から頭を垂れて聴いたのであれば
相手に対して徹底的に真摯に向き合う。
それは聴いた時だけに留まらず、

寧ろ、聴いた後が本番なのです。

その場だけ真摯に向き合うのではなく
その場に相手が居ない時こそ
相手に対して真摯に向き合う。

この動きが出来る様になって
初めて分かる様になるもの
それが「想い」です。


想いが分かる人は
想いという言葉を
軽々しくは
口にしません。

その重みと苦しみを
理解しているからやで

2026年5月22日金曜日

自分を持つ(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




何をするにしても上手く捗らない
行動の結果に至るまでの因果の中で
原因を他へ求めてしまう。

物や人の所為にするというやつですね。

この状態に陥ってる時は
高確率で自分というものを見失っています。

もう少し掘り下げてみると、
「人に合わせてしまっている」状態です。

何かの判断や決断をする際に
人の意見を聞いたり、
きっかけを貰う事は間々あります。

しかし、それはあくまでも
第三者からの助言や提唱であって

決断をするのは自分自身なのですね。

この意見を聞くという段階で
自分で思考する事を放棄してしまっていると

その他者の意見を
都合よく自身の意見として捉えるので
己の責任すらも他へ転嫁してしまいます。

当然ながら、
そこから派生する判断や決断も
他人任せという流れとなります。

この様な態様を至極当然だと認識する人は
何をやっても上手くいく事はありません。

そこに「自身の意思」や「自分を持つ」
と、いう思慮そのものが存在しないからです。




自己意思や自分を持たないで
先述した通り他者任せとなってしまうと、
そこに努力の価値を見出す事が適いません。

所謂、「ヤル気が出ない状態」となるのですね。

自らの意思で自らが決断し覚悟を決めるから
前へ動こうとする推進力を得る事が出来ます。

どんな事でも良いですが、想像してみて下さい。
人に「やれ」と言われて行う事よりも
自分で「やろう」と考えた方が
断然動き易くなりますよね。

例え、行動した結果が失敗だったとしても
自身で覚悟を決めて動いた事であれば

そこに一定の責任を背負いこみますから
決して後悔などはしない筈です。

また、それに伴う反省をする事も可能です。

これらの動きを本来のスピリチュアルでは
「正の螺旋」と呼称しています。




善い動きの因果律の中で、
どうしても繰返しと捉えがちですが
そこには時間と空間の概念が必ず加味されます。

つまり、物事や事象に関しては
時間が進む力が物理的に添加されるという意味です。

なので、繰返しですとその形状は「円」ですが、
円に対して推進力を加えると
それはスパイラル=螺旋という形状となるのです。

同じ様な事をしていたとしても、
全く同じには成り得ない事象の進み方の概念です。

少し話が逸れましたが、
この正の螺旋に乗る為に必要なのが
「自分(自己意思)」です。

この自分を持つために必須な動きが、
「やたらと人に合わせない」という姿勢です。

人に合わせれば合わせる程に、
自己意思の減衰は速度を増します。

社会通念上、合わせる必要がある善い部分と
楽を目的とした合わせようとする俗欲の部分。

これらをしっかりと見定めて
腹を括って決断し率先して動く
と、いう業が出来ないと

念頭でお話をした様な上手く捗らない状態へと
滑落していくのです。

この上手くいかない流れの事を
「負の螺旋」と呼称しています。

そして、負の螺旋の流れは
「堕落」そのものですから、行き着く先は
生きている内は「貧乏神」
死んだ後は「悪霊化」を経て「地獄行き」となります。

どの道、皆さんが望む様な幸せとは
程遠い結果となるという流れなのですね。

文字や言葉でこういった事を視聴きしても
この流れがどれだけヤバいのかは
全くピンと来ないと思います。

元々、分かり難い話ですし
そういった内容なので全然構わないのですが、

せっかくなのでこの「ヤバさ」を
記載した本日より三日間の内に
皆さんの夢の中で味わえる様にしてみますね。
2026.5.22~2026.5.25

偶にはこういった遊びもいいでしょう。

貧乏神、生霊、
悪霊、地獄とその先
これらの一端を
視れる様に頑張ります
おっかなくても
ノークレームで
お願いなんやで

2026年5月20日水曜日

振り撒く憎悪(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




人の悪口陰口を叩いたり、
理不尽な妬み嫉みを露骨に向ける。

これらは喜んでやる様な事ではないし
一般的にも
やってはいけない事ではありますが、

憎悪を振り撒くと云う行為でいうならば
実は結構軽めです。
割と簡単に想いでの相殺が可能ですからね。

かと言って、やっても平気などとは
思わない方が良いです。

それよりも、物凄く強烈に
相手に対して周りに対して
憎悪を振り撒く所業があります。

それは、「自虐」です。

これは陰口や悪口などの程度を
遥かに超えた憎悪の振り撒きで、

想いでの相殺がとても難しい代物です。




「自らを虐げる」と書いて自虐。

負の感情の矛先が自身に向くと同時に
聞いた人全てに対して憎悪を振り撒き、
更に憎悪を抱かせる。

陰口や悪口も依存度が高いですが、
自虐の依存度と比べたら可愛いものです。

一度、自虐を主体とした思考へ嵌ると
早々簡単には抜け出せません。
自身を見つめ直すにも何かにつけて
DDを発動してしまいますし、

理不尽さでも周りを圧倒してしまう。

しかも、その理不尽というのが
自分で自分に向いているので、
論ずる事が不可能に近くなるのです。

つまり、
会話が成立しないという意味ですね。

そうなってしまうと、
手の打ち様が無いのが現実です。

自身の殻を何重にも塗り固めてしまって
人の話が入り込む隙すら無く、
言い訳に言い訳を重ねた状態で纏まります。

自身の都合一色での解釈が優先されますから
どんな正論も曲解の渦に飲み込まれます。

「どうせ自分は~だから」

を口癖や枕詞に使っている人を見掛けたり
目にする事があったとしたら
決して耳を貸さないのが妥当です。

話半分以下にしておくことをお薦めします。

妙な優しさを発動させて
まともな受け答えをしてしまうと、
貴方自身がその禍根の渦に飲み込まれて
人としての尊厳を破壊してしまいますからね。

優しさを以て
接するならば
相手は必ず
見定めなさい
でないと自分も
同じになるで

2026年5月14日木曜日

夢見る思考は恥ずかしい(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




自身の意識の方向を常に確認します。
慣れてくればその確認方法は
セルフで行う事が出来ますが、

殆どは他人さんから教えてもらう形が
メインになってきます。

ですが、ここで一つ問題がありまして
教えてもらうにしても

善き方向に向いている時ですと
人はあまり教えてくれません。
善い事や褒める事を嫌うからです。

役割がしっかりしている人や、
常識を持ち合わせている人は
嫌な顔をしないで教えてくれます。

但し、
対象者が嫌な奴じゃない場合に限ります。

誰にでも教えないのは
世の中のルールですものね。

人は、駄目な方向へ向いている時
ここぞとばかりに指摘してきます。
それは指摘というよりも

「鬼の首を取った」

と、いう感じになります。
それほどに人の不幸は蜜の味なのですね。




これを話すと高確率で
「そんな事は無い」と、
心の中で反論しようとする人が居ますが

そんな貴方はどうですか。
善い事よりも嫌な事や駄目な事の方が
ナチュラルに出来たり動けたりするでしょ。

それが普通なのですよ。

ですから、普段からしっかりと
意識をしないといけないのです。

悲しいかな、
人と云うのは善い事をする場合は
意識を強く持たないと出来ない仕様なのです。

それを繰り返していると
その動きが自然となっていきます。

暫く頑張っていれば、
今度は通常の逆の思考回路となっていきます。
善い事を中心に考えられるようになる
という事ですね。

善い事は甘くてとろける蜜の味ではなくて、
濃くてビターな苦みのある大人味です。

それは想いや念にも当て嵌まります。

想いは苦くて
念は甘い

ここを履き違えて幻想に溺れると
どえらい事になりますからね。

根本をちゃんと
理解する事が
大切なんや
甘い言葉に
躍らされずに
現実を視るんやで

2026年5月12日火曜日

本質へ続く路盤形成(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




自分の考えている事をしっかりと伝える。
また、
伝える事が出来る相手が居るというのは
とても有難い事です。

そこから自身の伝えている事を
理解してくれたり
また、
理解する努力を惜しまない相手というのは

本当の意味での宝物だと
考えた方が善いです。

人に自身の意思や考えを
伝えるというのは想像以上に困難です。

言葉の読解力も個々人で異なりますし、
行ってきた経験値も知識量も変わります。
理解するポイントというのも
縷々様々ですから困難を極めるものとなります。

上辺の話だけならば
決して困難ではありません。

余程の認識不足だったり
相手がそもそも話を聴こうとしなかったりと
根本的な問題点が無い限りは
寧ろ、簡単だと言える筈です。

今ここで話している困難というのは、
そういった上辺の話ではなくて

物事の「本質」に纏わる話の事を意味します。

言葉は理解が出来たとしても
その「本質」というのは
中々理解出来るものではありません。

伝える側にしても受け取る側にしても
相当な覚悟と努力が必要になります。




そして、
無理に理解をさせようとしてしまうと
それは「押し付け」となってしまうので、

相手の思考を停止させる事に繋がります。

それでは元も子もありません。

自発的に考えてもらう様に動き
自立して思考出来る状態を作り出す。

当然に意に介さない答えとなる事もあります。
それはそれで仕方のない事です。
相手さんに責を負わせるのではなく
自身の力の足りなさを省みます。

相手さんが全く理解に遠い状態の場合や
思考している様に見せて思考停止している場合、

この時は答えを見出せるように
道筋を立ててあげます。

標識や看板を掲示する様な感覚です。

但し、相手さんの経験値が乏しかったり
俗欲に則した反応を示している場合は、
道筋の説明そのものが高難度となります。

考え方が分からないというレベルではなく
考えるための領域が存在しないのですから。

こういった場合はどうするのかと云いますと、
相手さんの出した答えを
一度経験して貰うのが善いでしょう。

失敗をすれば一つ経験が増えますから、
その失敗を数多積重ねてもらって
道を作り上げる形にするのです。

道が無いのに標識を掲げても
何ら意味が無いですからね。

順番を遡って対応するのも
伝える側や教える側に位置する立場には
絶対的に必須な思考回路なのですよ。

正解だけを
教えるのではなく
不正解の大切さを
教えるのが
教える側の
責務なんやで

2026年5月9日土曜日

幽体を整える(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




先日ここでお話をした際に
「幽体の整え」について軽く触れました。

肉体から幽体がズレてしまうと
様々な弊害が発生します。
それを戻してあげる作業が「幽体の整え」です。

実際に何をするのかと云うと
例によって見た目的には
会話をするだけです。

本来のスピリチュアルに於いて
この手の作業は
基本的に会話のみで成立します。

それでは話が面白くないと思いますので
もう少しコアな部分に触れて話します。

会話によって引き出すのは
素直さ度の向上です。
ここで重要になってくるのは、

自身の体験によって露呈した
若しくは
徒に隠している駄目な自分を
認識させる点にあります。

この「駄目な自分」と云うのは
つまるところ自分本位の表現型です。
貴方にとっての「善い自分」の反対側です。

善い自分を伸ばす為にも
駄目な自分を認めさせないといけないのです。

そして、
駄目な自分は本人でも気付けますが
自分だと認めることを嫌がるのですね。

善い自分は本人ですと気が付きません。
よく一般的に言う長所など善い自分ではなく
あれはデコレーションみたいなもので

自身にとって都合よく作られたお飾りです。

本当の意味での善い自分というのは
他者の目からでしか
教えてもらう事が出来ない云わば「本質」です。

これを伸ばす為には
正反対に位置している駄目な自分を
「自分だと」認識させないといけません。

また、これは同時に当人の素直さ度を上げる為の
最速最短な方法なのですね。




逆に云うと、
駄目な自分も自分なのだと認識しようとしない人は
素直さ度を上げるのが非常に困難になる
と、いう事を指し示しています。

会話でこの作業を只管に行いつつ、
皆さんの目には写りませんが
同時に幽体を肉体に納める作業をするのです。

これは相手の幽体に
こちらの幽体を合わせて行います。
引っ張ったり押し込んだりする様な感じです。

肉体に幽体が納まると
それまでの症状が消え始めて
身体が軽くなるので嫌でも分かります。

五感の感度が強い人ですと、
会話している最中でも暖かさや冷たさを感じます。

素直さ度が低くても幽体を戻す事は出来ますが、
その維持と納めるのに掛かる時間で
差が生じてきます。

どうせなら善い状態が長続きしてほしいですし、
素直さ度が低いという事は
いずれまた極度なズレを生じさせてしまいます。

根本的な解決に結びつけた方が
善いに決まっているので
この点を重視している訳です。

但し、1つ問題点があるとするならば
素直さ度を上げるのは苦痛を伴うという点です。

まぁ、そこを耐えられなければ
いずれ貧乏神になるだけですし、
それは相手さんの性格や考え方の問題なので
こちら側の知った事ではないですけどね。

セッションではこれを普通にやっているのです。

相手の受取り方で
全てが決まる以上
こちら側からの
押付けはナンセンス
でしかないんやで

2026年5月8日金曜日

苦しみの先に(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




生きている以上は、
様々な苦しみに直面します。

その苦しみから逃れたいと考えたり
苦しみそのものを拒絶したいと考えたり
色々な形で「苦しみ」について
考える事が多いものです。

苦しみはその中身によって
種類も種別も変わります。

自分の我儘で発生した苦しみなのか
生きていく上での必然として
発生した苦しみなのか。

罰としての苦しみなのか
人生や経験としての苦しみなのか

理不尽な中での苦しみなのか。
先を見据えた上での苦しみなのか。

単に苦しいから楽になりたいと
考えてしまうのであれば
それは些かお粗末すぎます。




その苦しみには必ず理由があります。
貴方が考えただけでは
分からない理由かも知れないですし、

貴方が考えないといけない理由かも知れない。
貴方が一番分かっている理由かも知れない。

相手の一方的な理由かも知れない。

どういう苦しみに於いても
理由を必ず考えないといけません。

知らないけれど何となくや
知りたくも無いとか
考えたって分からないから考えないとか

そういう逃げや放棄をするのではなく
しっかりと理由を考えるのです。

時間が掛かっても良いし、
分からないなら聞いたって良いのです。

ただ、必ず考える。
考えた上でヘルプを求めるなり
何かしらの外の手段を使うのです。

理由を考えるという事をせずに
人に頼る様な真似をすると
苦しみの先に在るのは荒涼とした世界だけです。

考え方が
分からないなら
それだって
聴けばいいんやで
聴かないで
分かったフリが
一番の怠惰なんやから

2026年5月3日日曜日

捻くれを正そう(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




幽体を強くしても
無敵になる訳ではありません。

疲れる時は疲れますし、
倒れる時は倒れます。

ですが、一つハッキリと言えるのは
自身を見つめた上で、

自分以外の影響を受けてなされた性格を
矯正する事が出来れば、

それまでと比べたら
無敵と言える状態へと
持っていく事は可能です。

自分が元々所持している性格は
変える事が出来ません。

これはアイデンティティそのものですから
一生ものです。

それとは別に、様々な影響を受けて
構築されていく性格、

自身が逃避や忌避するために構築した性格、
その他強制された性格というのは

基本的に矯正する事が出来ます。




ここの性格を矯正して、
元々の性格に戻してあげる。

更に、それまでの造られた性格を
フィードバックして新たに構築をする。

その過程の中で、「素直さ」という点を
如何に見詰めさせて
自認させてあげる事が出来るか。
また、
その素直さを理解する事が出来るか。

素直さそのものを維持させていく事が出来るか。

ここが可能とならなければ
幽体を強くしても意味が無いものとなります。

早い話が、
捻くれ者では駄目という意味です

素直さ度の高さが全ての基準です。
幾ら想いを掲げていても、
綺麗な言葉を使っていても
それっぽい行動をしていても、

素直さ度が低ければ全ての行動は
自分本位へと堕ちていきます。

自身の行動と根本的な考え方。
ここの全てに関わるのが素直さ度であり
幽体の強さというのは、
素直さ度の高さから生まれてくるのです。

何故なら、
幽体は感情を司る部分ですしね。

つまり、ここを読んでいたとしても

「そうは言ってもねぇ」
「だってねぇ」
「でもねぇ」

みたいな台詞を心の中でも吐く様では
どうしようも無いって事なのですよ。

素直さ度が
高い人はね
DはDでも
「だよねぇ」や
「ですです」に
なるものなんやで

幽体を強くする(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




運気と云うものを語る上で
幽体は切っても切れないものとなります。

人は肉体と幽体、霊体の三つを以って
成り立っている存在です。
霊体を幽体が覆いその外側に肉体があります。

霊体は個人そのものです。
幽体は感情を司る部分で、
肉体は御覧の通りの肉です。

通常、霊体と幽体は肉体に納まっており、
肉体の中心部に霊体があります。

幽体は肉体にすっぽりと入っていますが、
その外側は揺らぎと云って
肉体から少し出ているのですね。

例えるなら、皆既日食の時に見える
コロナみたいな感じです。

この揺らぎはその人のモチベーションで
大きく変わってきます。
早い話が、元気であれば勢いがよく
微妙であれば勢いが少なくなります。

この一番外側にある薄皮みたいなのが
オーラと呼ばれるもので
これは色がコロコロと変わりますが、

幽体自体の色は基本的に変わる事がありません。




他の霊体からの影響や干渉、
自身のモチベーションの大幅な変化

これらによって
幽体が肉体からズレるという現象が発生します。

肉体から幽体がズレてしまうと、
様々な不具合が発生し易くなります。

軽い部分で云うと、
痺れや冷え、軽い頭痛や疼痛です。

中度以上になると
睡眠障害や視覚障害、味覚障害、嗅覚障害、
聴覚障害、四肢の不具合、
重度になると死の危険が近くなります。

これらを引き出すのが、憑依などです。

これだけ聞くと怖いものですが、
実際には幽体を強くさせる事で
幾らでも回避させる事が可能です。

幽体を自力で強くさせる方法は多々あります。
肉体から強化する方法(筋トレとか運動とか)
瞑想やマインドフルネスなどの精神統一法、
思考回路自体の強化法

方法は多々ありますが、
最終的なポイントとなるのは
「自身の動き方改善」
「素直さ度のアップ」です。

根本的な動き方を改善させない限り
同じ事を何度も繰り返します。
素直さ度を上げて、聴く耳を持つ事が出来ないと
そもそもの改善自体が不可能です。

ホンモノと呼ばれる存在は
幽体の強化とズレた幽体を戻す事が可能です。
肉体からズレた幽体を戻す作業を
「幽体の整え」と云います。


自身を見つめて
相手のためを
考え素直に動く
隙を失くして
信に徹して
維持に努めるのが
重要なんやで

2026年4月29日水曜日

視えないものが視える時(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




感情を突き動かされた際に、
どこへ向かってその感情を押し出すのか。

これは意識の方向のお話ですが、
人の内面を視る上で
非常に分かり易いポイントでもあります。

感情を動かされる点というのは
日頃から多々ありますが、

あまりに小さいものですと
逆に分かり難くなりますので、
ここでの例えでは冠婚葬祭とします。

人生の中で儀礼として
御身内出なくとも
幾度かは参列をすると思います。

この時に、果たしてどこへ向かって
感情を投げ掛けているのか。

誰のために感情を出しているのか。
これを視るのですね。

こうして文字で読むと難しく思えますが、
実際には至極簡単に見抜けます。

主となる相手に対して涙を流したり
微笑んだりしているのか。

自分に対して、
泣いたり笑ったりをしているのか。

周りへのアピールとして
演じているのか。

第三者として視てみると
面白い様に見抜けます。




気持ちや心、想いや念というのは
想像している以上に形として出るのです。
それはどんなに気を付けていても出ます。

ましてや、
疾しい感情が出ているとなると
視ている側が嫌になるレベルで分かります。

純粋に主となる相手へ真摯に向き合って
動いているのであれば、
その所作は自然体として現れます。

そして、それは儀礼外の部分でも
何ら変わる事がありません。

過去の思い出などという意味で
自分に対して向いている場合も、
割と自然体として出ます。

感情面で希薄になる事も多いですから、
却って薄情者だと勘違いされたりもします。

問題は周りへのアピールの場合。
これは露骨に感情を出しますが、
その出し方が過度となるので違和感を生じます。

大袈裟と考えれば分かり易いですね。
けれども、単に演じているだけですから
驚くほど長続きしません。

そもそもやりたくない事なので、
長続きさせる事自体が出来ないのです。

独りになっている時、
その場から離れている時、
人の目から離れている時、

全ての感情がリセットされて
行動が一気に自分本位へ傾きます。
発言から所作、ほんの少しの動きに至るまで
それまで抑えていた自分本位が

堰を切ったかの様に出てきてしまいます。

人の本性を見抜きたいのであれば、
こういった点を押さえるのですね。

普段から自分本位なのだから、
早く楽をしたい気持ちが秒単位で高まります。
いつもやらない事をやるのですから、
耐えられるものではないのですよ。


人のヤバさを
目の当たりにしたら
迷う事無く
距離を取るべきやで
情を掛けたら
引き込まれて
自分も終わるで