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2026年5月3日日曜日

捻くれを正そう(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




幽体を強くしても
無敵になる訳ではありません。

疲れる時は疲れますし、
倒れる時は倒れます。

ですが、一つハッキリと言えるのは
自身を見つめた上で、

自分以外の影響を受けてなされた性格を
矯正する事が出来れば、

それまでと比べたら
無敵と言える状態へと
持っていく事は可能です。

自分が元々所持している性格は
変える事が出来ません。

これはアイデンティティそのものですから
一生ものです。

それとは別に、様々な影響を受けて
構築されていく性格、

自身が逃避や忌避するために構築した性格、
その他強制された性格というのは

基本的に矯正する事が出来ます。




ここの性格を矯正して、
元々の性格に戻してあげる。

更に、それまでの造られた性格を
フィードバックして新たに構築をする。

その過程の中で、「素直さ」という点を
如何に見詰めさせて
自認させてあげる事が出来るか。
また、
その素直さを理解する事が出来るか。

素直さそのものを維持させていく事が出来るか。

ここが可能とならなければ
幽体を強くしても意味が無いものとなります。

早い話が、
捻くれ者では駄目という意味です

素直さ度の高さが全ての基準です。
幾ら想いを掲げていても、
綺麗な言葉を使っていても
それっぽい行動をしていても、

素直さ度が低ければ全ての行動は
自分本位へと堕ちていきます。

自身の行動と根本的な考え方。
ここの全てに関わるのが素直さ度であり
幽体の強さというのは、
素直さ度の高さから生まれてくるのです。

何故なら、
幽体は感情を司る部分ですしね。

つまり、ここを読んでいたとしても

「そうは言ってもねぇ」
「だってねぇ」
「でもねぇ」

みたいな台詞を心の中でも吐く様では
どうしようも無いって事なのですよ。

素直さ度が
高い人はね
DはDでも
「だよねぇ」や
「ですです」に
なるものなんやで

2025年6月9日月曜日

考える前に動く(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




相手を想って動く事の難しさを
しつこい位に話をしています。

難しいと聞くと、
どうしても簡単な方法は無いものかと
考えるのが常というものです。

実際に、簡単な方法が
有るか無いかで言うと方法はあります。

と、言いますか、
方法そのものは簡単過ぎるくらいに
簡単なのですね。

僕が散々話している事が
その方法なのです。

ただ、それを極限まで難易度を
上げてしまっているのは、

動く前にゴチャゴチャと
余計な事を巡らせて足止めをしている
貴方自身です。

思考を巡らせて分かるものであれば
動く前にちゃんと考える事が大切です。

けれども、
頭を巡らせたところで分からないものを
幾ら考えようとしたとしても、

考え方が分からなかったり
考える思考力や理解力が追い付かなかったら
そもそも答えが出せないのですから、

それは考えているのではなくて
ただ言葉を脳内ループさせているだけであり
単なる「作業」をしているだけになります。




答えが出せないものを続けていると
徒に疲れが溜まるだけですし、

「言い訳に言い訳を連ねる為の作業」

と、なっていきますから
急速に足取りが遅くなっていき

「何もしない」という結果となるのです。

ですが、それだと理解をしている人しか
何も出来ないという結論となります。

それは非常にナンセンスですし、
全く面白くないですよね。

その点を回避させて
誰もが実行に移せる為の簡単な方法が

「考える前に動く」なのですね。

万物は
「肉体」「幽体」「霊体」という素体が
合わさって構成されています。

この内の肉体的行動の場合でしたら
動く前に考える必要が出てきます。

肉体的行動というのは、
俗欲をベースとした行動です。
普段から皆さんがやっている
何でもない動きの事ですね。

これとは別に、
「幽体的行動」や「霊体的行動」
というのがあります。

これらは感情や想いを基礎とした動きを指し、
向こうの世界の理を芯に据えた動きとなります。

現世の理ではなく、向こうの世界基準なので
一見すると理に介さない様な動きです。

この行動の場合は考える前にまず動き、
先に「感覚」を肌身で覚えます。

その事後に改めて考える。
こうする事によって理解度が数段増します。




何故なら、
向こうの世界の理に則った動きなのですから、
それを補完させるに余りある様な
「知識」「経験」があれば別ですが、

そうでなければ、
考えようにも考えられないものだからです。
けれども、そこに肉体は存在するのですから
行動自体は可能です。

自分よりも先に相手を想ったり
正しく全き思い遣りに繋がる様な動きは
総てこれに該当します。

では、実際にどうやるのか。

色々な場面に於いて
自分の中で足止めを施す思考が
出てくる瞬間がありますよね。

例えば、徳積みでも話しましたが、

コンビニでゴミが落ちているとします。
それに目を向けた貴方は拾おうとする。
その瞬間に

「自分の家じゃないし」とか
「お店の人の仕事だから」とか

そういう思考が巡り始めて
拾おうとした自分の事を足止めします。

それをガン無視すれば良いだけです。

似た様な事が挨拶でも言えますね。
挨拶をされたら普通に挨拶を返せば良い。

それが出来ないのは何故なのか。
やれないのは何故なのか。
下らない疑心暗鬼となる前に動く。

その後の事はその後で考える。
日頃から練習や訓練という経験を
積んでいなければ

「事前に分かる事なんて実は物凄く少ない」

という事に気が付ければ、
この動きは容易に出来ますし
僕の言ってる「簡単」の意味も分かりますよ。

事前よりも
事後に分かる物事を
確実に紡いで
実とするのが本来の
スピリチュアルやで

2025年3月11日火曜日

癒しと幽体(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




様々な癒しがあります。

マッサージの様な肉体に触れる癒しとか
映像や絵画の様な
目で見て感じ取る癒し、

音楽などの耳で聴きとる癒し、

アロマの様な匂いを嗅ぎ取る癒し

美味しいものを食べて
満足を得る癒し。

五感に直結しているもしくは、
それらを複合的に感じ取るものが
基本的な癒しの形となります。




これらの癒しというのは、
肉体を通じて幽体にも影響を与えます。

幽体の流れというのが整ったり、
肉体内での幽体の納まりが整ったり、
幽体から溢れている感情色が安定したりと

色々な効果を発揮してくれます。

幽体が整うと肉体にも影響が露出します。
逆に言えば、
肉体が整っても幽体のバランスが崩れていたり
納まりが悪かったりすると

せっかく整った肉体も
時間を掛けずに崩れ易くなったりします。

幽体の整いは「想い」が基本となります。
ここでの想いは自身のだけでなく、
対象者が要る癒しであるならば
その施術者の想いも必須の要素となります。

しっかりと癒された筈なのに、
どこか物足りなさを感じていたり。

しっくりと感じられなかったりする時、
自身や相手の「想い」と、いうのを
意識してみても宜しいかと思いますよ。

幽体が整った時の
感覚ってのは
何とも言えない
独特のものなんやで

2025年2月8日土曜日

清浄なるもの(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




何か辛い事があった時や
疲れてしまった時などに
自分を整えるという意味合いで

好きな事をしたり、
リラクゼーションに励んだりする
皆さんその様な動きをした事が
あるのではないでしょうか。

この様な、
心身をリラックスさせたり
気持ちの高揚をさせたり
澄ませる動きをする事を

「清浄化(しょうじょうか)」

と、言います。

清め洗い流すという意味なのですが、
この時に意識すべき事の一つに

「透明度」

と、言うものがあります。




何の透明度かと言いますと、
簡単に表すならば「心」です。

よく世間で言い表わされている

「心を無にする」とか
「感情を無にする」

というよりは
字の如くなのですが、

「心を透き通らせる」

と、いうイメージです。
実際には何をしているのかと言えば
透明度を増加させる事で、

俗欲を一時的に減衰させて
半ば強制的に向こうの世界へ
幽体を触れさせている感じです。

ここでの向こうの世界とは
浄土とかではなく、狭間となります。




その為のイメージと言いますか
コツみたいなものになりますが、

心をイメージさせるというよりかは

「肉体を透明にさせる」
「肉体の質量を限りなく無くす」

という様なイメージをすると
非常にやり易いです。

幽体の話なので、
どうしても心や感情にイメージや
意識を向けがちですが、

それらは元から
目に映るものではないので
却ってイメージがし難いのですね。

それであるならば、肉体の方が
普段から目にしてますから
逆にイメージをし易いのです。

上手くやれると、
質量を忘れた様な感覚を覚えます。
その後は物凄くリラックス出来ますから
お手軽ですしお薦めですよ。

色んなイメージが
ポンポン
湧いてきたりも
するんやで

2025年1月11日土曜日

色(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




「幽体色」と「感情色」
というのがあります。
読んで字の如くとなりますが、
幽体の色と感情の色です。

幽体色というのは、
その存在の持っている

「基本的精神性」

とでも言う代物となりますので
色が変わる事はありません。
但し、薄まる事はあります。

感情色というのは、
皆さんで言うところのオーラだと
思って頂いて結構です。

これに関しては、
感情面に起因しますので
色がその都度変化します。

″都度"という表現が見合う程
頻繁に変化します。

また、俗欲の濃さによっても
色の出方が変わります。




この二つの存在箇所を
物質的な表現で言い表わすならば

幽体色が「肉体内」
感情色が「肉体外」

という感じです。

見え方の強弱の差はありますが、
感情色は訓練すれば
誰でも見れる様になるモノです。

それと反して幽体色については
誰もが視れる代物ではありません。

これら二種の亜種として
「病色」というのがあります。

色とは表現出来ますが、
厳密には「煙」の方が近い表現です。

肉体に属する弱点箇所
例えば、

怪我をしそうな部位や
病気になりそうな部位が
煙を纏った様な感じとなり
その色が濃い程、近い内に発症する
というものとなります。




ここまで解説をしてきた
各種「色」ですが、これらは
「音」としても表わす事が出来ます。

音の強弱や高低でもありますが、
「響き」や「伸び」などの表現が近いです。

これらは肉体の視聴覚にて
直接得る場合もありますし、
人や場合によってはイメージとして
間接的に得る場合もあります。

また、基本的にこれらの感覚は
「五感に基き得るもの」ですから、

視覚、聴覚以外の嗅覚、触覚、味覚でも
稀有にはなりますが、
識別出来る事もあります。

ちなみにですが、
「色」を視聴き出来る人が居たところで
その人を必要以上に特別視する様な事は
何ら意味がありません。

重要なのは、
視える人の方ではなくて

「必要としている方」へ

しっかりと教えたり伝える事ですからね。

どう考えても
大事なのは
そっちやろ

2025年1月6日月曜日

干渉力の操作(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




前回のお話しの中で、
干渉力というのがありました。

「相手さんの幽体へ干渉する力」

と、いうものですが、
これそのものは人のみならず
万物総てが持ち得ている力です。

しかし、その干渉による影響力の
本領を発揮するのは死後となります。

肉体を失って、
幽体と霊体のみとなった後であれば

ほぼどなたでも意図的に
この干渉力を操作する事が
可能となります。

よく、憑依をこの幽体への干渉と
考える人が居ますが、それは間違いです。

憑依というのは、
「霊体への直接干渉」
となるので、全くの別物となります。




幽体への干渉力は
「操作」が出来て初めて本領となります。

その操作に於いて須らく邪魔となるのが
「肉体」なのですね。

もっと言えば、「俗欲」です。

先程、死後に本領発揮出来ると
お話をしましたが、
生前と死後と何が違うのか。

それは、「肉体の有無」です。
肉体が無くなると
行動理念の中心たるものが俗欲、
つまり「価値的思考」から

「想い」「念」という
「個的思考」へと変化します。

狭間に居る段階ではまだ俗欲が
ベースとなっていますが、
それでも生前の物とは変貌します。

霊界へ進んだら完全に
「想い」「念」が中心となります。




要は、想いや念を理解して
俗欲の制御を行えれば
幽体への干渉を意図的に操作する事が
生前でも可能という意味です。

但し、ここでの注意点は、
操作が可能という点なだけであって、

「善に限った事ではない」

という面です。
思い出して下さい、
万物は表裏一体の関係です。
表があれば裏もあります。

想いや「念」と述べているのですから
善い面だけという捉え方は危険です。

また、負の面での操作というのは
正の面での操作と比べると
とても簡単です。

実際に皆さん、
意地悪や卑屈な思考は
自然とやってしまうでしょ。

その反面、善い事と言うのは
イチイチ意識しないとやれないし
やらないし、
そこにも自分本位という罠が
待ち構えていますからね。

つまり、
正の面での操作が出来るという事は
当然に負の面での操作も出来る。
という事になります。

片方だけを
望むと
もう片方に堕ちて
痛い目を見るやで

2025年1月5日日曜日

幽体への刺激(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




現世に於ける万物には、
「肉体」「幽体」「霊体」
と、いう3つの要素があります。

肉体は、
物質体の事を指し示しており
現世における俗欲や自我、
自己同一性など
幽体及び霊体の物質的表現型です。

幽体は、
主に感情を軸とした精神性を司ります。

霊体は、
個という存在そのもの意識であり、
個体形成の根幹を成す中心情報
とも言える部分です。

これらが一つとなって
形成しているのが現世での万物です。

人だけではなくて、
万物の総てが基本的に
これで成り立っています。

自我の形成やその強弱に於いて
媒介を基にしている存在も多いですが
(身近な物で言うと石とか水とか)、
基本原則は変わりありません。




その原理原則の中で現世では
肉体へと目線が向きがちですが、

実は様々な場面に於いて
幽体への作用が
結構なウェイトを占めています。

常時、幽体も霊体も
肉体の中に納まっているものですが、

例えば、
幽体が肉体から少しズレたりすると
ズレた部分の肉体には、
重さの変化などの影響が生じたりします。

幽体への影響力を「干渉」と言いますが、
この干渉力が極端に強い人等と
接したりすると、

幽体の流れが激しくなったり
逆に弱まったりするので、
自身の肉体に於けるちょっとした弱点に
影響が出てきたりします。




これを「幽体への刺激」と、言い
あにきが「副作用」と述べてるのは
この事を指しています。

「干渉力」を意図的に制御して
相手さんの幽体の流れを調整し、
可能な限り善き形へ整える。

その反動として
生じるものだから副作用。
何となく分かり易いかなと思って、
そう述べているだけです。

主だった副作用としては、
頭痛、眠気、高揚感、倦怠感などです。

鈍感な幽体が一時的に敏感となり、
それが急速に鈍感に戻る際に
肉体へ影響を及ぼして副作用となります。

ちなみに、
「鈍感な幽体」というのは
決して悪い意味ではなく、

現世では肉体を纏っているので
必然的に鈍感となってしまいがちなのです。
実際に、
皆さん見た目で判断したりするでしょ。

副作用は
出たらOKとか
出なきゃダメとか
そういう類の
ものではないんやで

2023年10月27日金曜日

自分で自分に呪いを掛ける(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

何とも物騒なタイトルとなりますが、
本当の意味でのスピリチュアルを
知りたいのであれば、
絶対に避けては通れないテーマが
これになります。

自己憑依です。





あにきのセッションやレクチャーを
受けて下さってる方や
スピ日々を読んで頂いてる方には
最早、馴染みのある言葉だとは
思いますが、
自己憑依について解説していきます。

自己憑依とは、その名の通り
自分で自分に憑依するという事を
意味しています。

ですが、現実的な話
自身に憑依をするなどは
出来る筈もないので、
これは現象を比喩した表現になります。
そこをまず理解して下さいね。

で、改めてですが、
どうして自己”憑依”という表現を
しているのかと言うと、
それがまるで所謂”憑依”と似通った
症状が出てしまう現象だからです。





この時の憑依体は自身の念そのものです。
ご自分の中の負の思考、つまり念。

恨み、つらみ、妬み、嫉み、
ありとあらゆるマイナス思考の事を
あにきは便宜上【念】と言っていますね。

これらは通常ですと、
少量ならば勝手に不特定多数へ向けて
飛んでいくものなのですが、

念の生産量がご自身の許容量を
超える程になってしまうと、
放出せずに逆流が起きてしまい、
溜め込み始める流れとなります。

その溜め込んだ念が
ご自身の幽体を覆う形となり、
やがて自我をも蝕んでいく。

これが自己憑依の作りです。

実際の憑依は、
【他者からの霊体への干渉】です。
これに対して自己憑依は
幽体への被覆となりますので、
まるで別物にはなるのですが、
自我を蝕むのが最終段階となる以上は
憑依と呼んでも差し支えないのかと
あにきは思っています。





自己憑依の恐ろしい部分は
概ね3つです。

①通常の憑依と同様に自覚できない。
②除霊などの技が使えない。
③通常の憑依と誤認されやすい。
④自身の根本的問題が解決しない限り
解除しても何度となく繰り返す。

この中で一番の問題点は②③となります。
一見すると④に思いがちですが、
これは普通の憑依でも同じですので、
大した問題ではないです。

②に関しては、
ご自身の念が問題となるので、
除霊という事がそもそも難しいです。
除ける避けるは無理ですからね。
何せ、自分自身ですし。

③に関しては、
本当に多いと思いますよ。
自己憑依と通常憑依を見極められる人は
少ないと思います。

念の見え方が、生霊のそれとか、
霊のそれにとても似ているんですよ。
よく視ると微妙に違うんですけど、
被憑依者の内面を覗ける視覚の方でないと
どうにも難しいと思います。

ただ単純に霊が見える系の人だと、
100%分からないと思います。





自己憑依の方の特徴は、
貧乏神に生じる特徴と似通りますが、
決定的な違いは自我汚染が進んでいない
という点です。

先ほど述べました通り、
幽体への被覆となりますので、
終末期でない限り霊体(自我)が
抗っている状態が多いのです。

なので、初期~中期にかけては、
暗い思考、他者と自分の置き換え、
それらに伴う涙脆さ。

というのがメインで表れてきます。

他者と自分の置き換えというのは、
感情移入ではなくて、
他者を自身の思考回路そのもののみで
判断することを指します。

簡単に言うと、
自分の事ではないのに、
何の疑いもなく自身の事と認識し、
他者の意思はまるで反映させない。

さしずめ、
一人称と三人称が混ざり合った様な
感覚と言えば良いですかね。





自己憑依の終末期は憑依同様に
死に希望を抱く様になります。

これら一連の過程が
呪いを掛ける工程とも似ており、
受呪のそれとも同様なので、
本タイトルの様な表現となる訳です。

何にしても、
捨て置けない状態となりますから、
ひょっとして...と、気付かれた方は、
あにきみたいな業界人に
相談をされた方が良いと思いますよ。

ちなみに、
自己憑依という言葉は、
あにきの造語ですので、
他所で言っても通じませんからね。
悪しからず。



2022年11月1日火曜日

運気が上がり下がりする原点についての話です

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は、
運気の上がり下がりについての話です。




毎日を過ごしていると、体調と同様に
精神的にも調子の良い時と
悪い時が繰り返されているでしょ?

ってか、そもそも運気とは何か?
そのままの言葉で言うと、

【己が引き寄せる他の要因が原因で
引き起こされる幽体の浮き沈み】です。

はい、意味不明ですね^^
もう少し細かくすると...

あなた以外の人の気持ちや想い
つまり、念ですね。
なので、生きている人だけでなく
死んでいる人も該当します。

その念をあなた自身で引き寄せてしまい、
己の幽体に影響を与えてしまう。
(悪霊や生霊はここで強制的に
干渉してきて下げる方に働くから厄介)

結果、気分が乗らなかったり、
落ち込んだり、逆にアゲアゲになったり
高揚したりする。

この流れ、行為、事象そのものが
【運気】と呼ばれるものです。


んで、これに抗ったり、揚げてもらったり
して自分の幽体が強くなったり
弱まったりしているのが、
気力の上がり下がり。
つまり、【運気の上がり下がり】なんですね。




次に、運気をUPさせるという事は
どういうことなのか?

これは、単純に運気を下げないという意味です。

他の要因が基本的な原因である以上は、
己のモチベーションの上下がポイントになります。

モチベーションが上がっていれば
余計な念を取り込んでも影響は最小限に済むんで、
良い方向へ働きます。

逆に下がっていれば、最大級に他の念の影響を
受けてしまうので、悪い方向へ働きます。

なので、
【モチベーションをUPしたら維持させる】
というのが運気をUPさせる!
という意味そのままになるんですね。
下がらないんですから。




次に予防線の張り方ですが、
これはちょっと難しくて幾つかの気付きが
必要になります。

普段からモチベーションの維持に努めて、
その点を意識していると、
下がるポイントでのきっかけや経緯、自分の癖、
事象の流れ、などといった視えないものに
気が付くようになってきます。

どういう風に気が付くかというと、
ひょっとしたら、自分が原因なのでは?
と、最初に思うようになります。

そこまで来ると、一見すると、
自分ではなく他者が原因だと思しき事でも、
その前段階や流れを考えた時に
大抵は自分がきっかけなのでは?
ということに気が付きます。

大体が自分の業(行い...行動・言動)によって
発生するものなのだから、
人のせいにしている内は分からないし、
気が付かないし、掴むことすら出来ないと
思えてきます。

ここがポイントで、
【自分がきっかけ】という点に気が付かないと
前述の運気が下がる前触れでのきっかけや
経緯、癖、事象の流れに気が付ける様には
ならないし、予防線すら張れないんですね。




自分がきっかけなのだというのが理解できれば、
その場その場での発してはならない言葉や台詞
やってはいけない行動などが、
その時々で何となく視えてきます。

具体的に言うと、
心の中にちゃんと自分の声で響きます。

もし、それに抗って言ったりやったりすれば、
悪い方へ流れるので結果論から見ても、
しなければ良かったと理解ができる。

そうやって、コツを一つずつ積み重ねていく。

また、「でも…、だって…」
という考えがある内も、
ちゃんとした予防線は張れない。




難しい話ではありますけど、
実際にやる事はとても簡単で
話す時、動く時のほんの数秒前に
己の心に耳を傾けるだけ。

そうすると、言っちゃいけない言葉とか、
やっちゃいけない事などが、
自分の声で流れているのが分かる。

これを聞いて実行する事が、
そのまま運気を下げない為の予防線となるんです。

但し、否定する気持ちや邪魔な他者の感情も
同時に自分の声で流れてくるので、
心の中を静かにさせる(冷静でいる)努力を
日々行うことも必要となってはきます。

また、憑依や纏わり付きなどで
運気が下がる場合は、
明らかに他者の声で響きますので、
慣れてしまえば直ぐに気が付きます。

そして、下がらないための予防線というのは
あくまでも予防線なので、
その結末たる落とし所は、
自身でしっかりと考えなくてはなりません。

人任せ、他力本願でどうにかなるものでない事は
ちゃんと理解しないといけません。

ここまで分かると、
ただ単に縁起物を所持したり、
石や御札やお守りを手にしていたり、
神社仏閣にお参りしまくっていれば
運気が上がるという訳ではないのも、
これで理解が出来ると思います。

Keyになるのは常に自分自身なんです。